第184話「火の玉ガール」
〈鎌鼬〉は巨大なイタチそのものというシンプルな外見をしている。
しかし、耳のあたりまで裂けた口の中に並ぶ牙といい、獰猛そうな顔つきといい、明らかに肉食獣の恐ろしさを秘めている。
リングの外にいた三匹は、するりとマットに上がってきた。
対峙してみるとはっきりするのだが、〈鎌鼬〉は160センチの身長の藍色とほぼ変わらない体長で、尻尾まで含めればニメートルほどであろうか。
二足歩行するイタチというだけでかなり不気味な存在なのだが、注目すべきはその尻尾の先についた鋭く弧を描く刃だろう。
妖刀の輝きと禍々しさを持つ、その刃は〈鎌鼬〉自在に操る武器―――鎌であることに疑いの余地はなかった。
伝承によれば、鎌のごとき爪を持っているか、口に咥えているとされている〈鎌鼬〉の真の姿を見て、藍色は少しだけ興奮した。
「日野さん、外に出て。〈護摩台〉に上がった以上、もうあいつらは私を倒さにゃい限りここからは逃げられなゃいから」
「―――でも、猫耳さん。ここは何なの? このプロレスのリングのような場所セットは……」
「違うよ」
摩耶の台詞を遮るように藍色は言った。
「ここは、プロレスのリングじゃにゃい。ボクシングのリングですよ。ロープだって四本だし」
そう、藍色にとってこの四角い〈護摩台〉はボクシングのリングでしかなかった。
退魔の結界でありつつ、愛するボクシングを執り行うための舞台。
ここが巫女ボクサー―――猫耳藍色のホームなのである。
「―――まあ、グラブをつけている暇がにゃかったのが残念だけど」
ボクサーである以上、その象徴であるグラブをつけていないことは画竜点睛を欠くが、悠長につけている時間もないのだから仕方がない。
藍色がアップ・ライト・スタイルに構えをとると同時に、
カアアアアン!
という〈護摩台〉特有のいくさ開始の鐘の音が鳴り響く。
三匹の〈鎌鼬〉もここが戦場になっていることは理解しているのだろう、無闇に慌てることなく、藍色と対峙する。
三対一。
紛れもなく不利な状況であった。
(真ん中のでかい一匹の尻尾の鎌が一番大きい。たぶん、あれが「斬る」係でしょうね。左のわずかに小柄なのが「転ばせる」係で、腰に壺らしいものを抱えているのが「治す」係かにゃ。……つまり、要注意はあのでかいの。まずは仕掛ける!)
藍色は得意のフットワークを駆使して、一気に距離を詰めた。
〈鎌鼬〉とて油断はしていない。
三匹がそれぞれ跳び、四方を囲む。
その際に鋭い大鎌が藍色の胴を薙ごうと横に動いた。
まともに当たれば胴体を両断されそうなほどの斬撃であったが、バックステップで躱す。
しかし、これでわかった。
〈鎌鼬〉は他の犠牲者を襲った時のように、遊ぶつもりはないと。
妖怪にとっての天敵である退魔巫女をここで葬り去るつもりなのだ。
となると、さっきの車中への襲撃も摩耶というよりは、藍色を狙ったものかもしれない。
『シャキャアアアア!!』
イタチ特有の金切り声を出して、右側にいた小柄な〈鎌鼬〉が襲い掛かってきた。
鎌ではなく爪であったので、手首のところをパリィで弾き、左ストレートを叩きこむ。
いい具合に顔面に拳が突き刺さり、〈鎌鼬〉は吹き飛んだ。
しかし、そのせいで「斬る」係の接近を許してしまう。
風に乗るようにスムーズに接近してくる生臭いケダモノに抱え込まれる寸前まで近寄らせてしまう。
咄嗟に右のアッパーで迎撃しようとしたが、嫌な予感がしてギリギリで止めた。
その本来の軌道上を再び斬撃が通過する。
(下手なパンチは伸びきったところを狙われて危険かにゃ?)
敵は尻尾の先にある鎌を自在に振り回して、藍色の腕を落とそうとしてくる。
手を刈られたらさすがに終わりだ。
少し離れるか。
巫女ボクサーはいったんコーナーポストにまで下がった。
そこには父親である宮司と―――摩耶がいた。
顔に幾重にも包帯を巻いたクラスメートが。
女の子の顔にあんな傷が残ったら、これからどうしていいのかわからない。
あのままでは心ない中傷や態度が彼女に一生向けられるに違いない。
現代の美容整形の技術でもあの深い傷を癒すことはてぎないはずだから。
もし、なんとかできるとしたら、あの〈鎌鼬〉たちのもつ傷薬を奪うことだけだ。〈鎌鼬〉のつけた傷を完治させられるのは〈鎌鼬〉だけ。
だから、負けられない。
退魔巫女であるというよりも、同じ女として決して引き下がってはならぬ戦いなのだ。
「―――日野さん、下がっていてくださいにゃ。この妖怪の傍に近寄ったら、あの鎌で切り裂かれるだけだから」
「でも、藍色ちゃん!!」
「大丈夫です。あいつらの持っている傷薬を奪えば、あにゃたのその傷も完治させられますから」
なお、心配そうに自分を見つめる摩耶に対して、噛んで含めるように藍色は言った。
「あにゃたのその頬の傷。絶対に
それは誓言。
背中に守るか弱き衆生を救うこともできずに、何が神職、何が巫女。
藍色はあの〈合戦場〉で炎のような闘魂の持ち主・御子内或子と戦うことで、熱い気持ちを取り戻した。
そして今、女の命とも呼べる顔に酷い傷を負ったクラスメートを背負うことで、退魔の巫女の使命を思い出した。
戦わねばならない。
相手がどんな敵であったとしても。
それが、猫耳藍色の誓いなのだから。
「ふぅぅぅぅぅぅぅ」
口笛のような呼気が漏れる。
それを聞きつけて、父親が思わず口を開いた。
「藍色、それは猫耳流交殺法の……」
「はい。今日のわたしはただのボクサーじゃにゃい。妖魅を退治して、人を救う巫女ボクサーです。ボクシングと交殺法・表技。そのどちらを使ってでも勝つために戦う」
基本の構えはそのままアップ・ライト・スタイル。
だが、リズムを刻むフットワークはいつもよりも単調になる。
これはボクサーのリズムではなく、於駒神社に伝わる猫耳流交殺法のリズムであった。
焦れていたのか、「斬る係」が飛んだ。
空中を滑るように、風に乗るような移動。
普通の人間の眼には異様としか映らない挙動だった。
瞬きをした瞬間には横に回り込まれているのだから。
藍色の左フックが迎え撃つ。
しかし、〈鎌鼬〉は屈んで躱した。
猫背といっていい生物ならではの反応であった。
そして、振り向きざまに尻尾の大鎌で切り裂こうとする―――
が、躱したはずの藍色の攻撃が〈鎌鼬〉の顔面を抉った。
フックの後に、飛びこむことでさらに左肘を叩きこんだのだ。
避け切ったという一瞬の隙をついた追撃は、藍色の意図していたものだった。
ボクシングの技ではなく、これは―――
「猫耳流交殺法の表技は、すべて隙を生じぬ二段構え……」
父親が呟いた。
今の技はかつて彼が娘に教えた技だった。
ボクシングのトレーニングしかしていないように見えて、交殺法の鍛錬も欠かしていなかった証拠に技を選択する時の判断に刹那の迷いもない。
さらに追い打ちをかける、左右のワンツーはナンバー・システムによるコンビネーションそのもの。
つまり、こちらはボクシングの最先端である。
両方の戦技を確実にものにしていることが流れるようなスムーズさでわかる。
どちらも娘に教え込んだ彼だからこそわかる練度であった。
「なるほど、それがおまえのいう巫女ボクサーなんだね」
父親は娘がついに最強の一角に足を踏み入れたことを知った。
退魔巫女の修業時代、どうしてもトップの二人に敵わなかった藍色が自信を無くしかけていたことはわかっていた。
そして、影を歩む妖怪に敗北して、心を折られたことも。
そんな娘がようやく復調し、あまつさえさらに強くなるとは夢にも思っていなかったが。
「よし、藍色。パパが許す、思いっきり戦ってきなさい!!」
父親のお墨付きを受けて、猫耳藍色はさらに戦いのアクセルを踏み込んだ。
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