第179話「藍色・いん・ブラック」
「最近、区内で切り裂き事件が起きているの。で、藍色ちゃんがそれの担当ね」
二年間のブランクを経て、退魔巫女として復帰を果たすことを決めた
まだ復帰前の挨拶に来ただけにゃのに、もう仕事が割り振られているのはどういうことにゃのだ、と藍色は愚痴った。
そもそも〈社務所〉が、十代の少女たちに凶暴にして奇怪な妖魅と戦って来いと命令するブラックな組織であることはわかっている。
雷をぶっ放したり、鋭い牙で噛みついてきたり、挙句の果てにはテレポーテーションで近づいてくるような化け物たちを相手にして、「基本的に素手で」戦うように修行させるというだけでもう限度というものを越えているというのに、さらに普段の労働条件までが苛酷だというのでは、労働基準監督署に訴えてもいいのではないだろうか。
正直なところ、藍色が〈社務所〉から距離を置こうとしたのはそういうクリーンな意味では正解だったような気がする。
(だいたい、或子さんやレイさんたちが喜々として戦いに望み過ぎにゃんですよ。言われた通りにすぐに妖怪退治に行くから、上が図に乗ってすぐに事件を振ってこようとするのです)
藍色は修業時代から苦労を共にしたはずの仲間たちを、心中で一方的に批難した。
彼女自身もわりと戦いは好きな方だが、他の退魔巫女たちの
あのクールで冷めた感じのする神宮女音子でさえ、根っこのところでは同期と何ら変わらないのだから、親しい仲間たちがいかにクレイジーなのかがわかろうというものだ。
(早まったかもしれませんよ。やっぱり、〈社務所〉はわたしがやっていくにはブラックすぎるかもしれません。せめて、労働条件の改善の訴えぐらいはしておかにゃいと……)
頭の堅い真面目な女と周囲からは認識されているが、猫耳藍色という少女はかなり打算的な面もある。
さすが先祖が〈化け猫〉ではないかと目されているだけはあると、自画自賛してしまうぐらいに。
「―――いや、こぶし先輩。わたしは復帰したばかりで勘も戻っていにゃいし、実戦はまだ早い気がしますけど……」
「そうなの?」
「はい、そうにゃんです。今回は、現場は東京都ということで、或子さんに出張ってもらった方がいいと意見具申する次第でして……」
御子内或子は多摩住まいで、ほぼ都内全ての地域の妖魅事件を担当している。
区内も彼女のいわばテリトリーに含まれているのだから、ここは或子に頼むのがベストではないかと提案してみた。
可能だったら、久しぶりの現場なので助手ぐらいならしてやってもいいが、メインで働く気はなかった。
なんといっても二年のブランクがあるのだから。
「でも、あなたの方が適任なのよ」
「どうしてですか?」
「交通費が浮くの」
「―――交通費!?」
やたらめったら安い理由を挙げられてしまった。
さすがの藍色も二の句が継げない。
「主な現場となっているのは都庁の周辺で、西新宿から方南町にかけてのエリアなのよ。そこまで言えばあなたならわかるわよね」
すぐにピンときた。
こざるを得なかった。
「わたしの実家の周辺ですか……?」
「ええ。於駒神社のすぐそばね。ただ、あなたのご実家とは何の関係もないみたいだから、ただの偶然だと思うわ。あと、西新宿といったら」
「……わたしの通っている高校もあります」
「でしょ。移動はできる限り自転車で行ってね。或子ちゃんだと往復千円はかかるからその分経費が浮くので助かるわ」
藍色はなんともいえない複雑な気分になった。
このこぶしという先輩は、前の退魔巫女ということもあるが、今は仲間たちの統括という地位にもあり、決して逆らってはいけないというイメージがある。
しかし、これが実戦を離れていた後輩を自然に馴染ませるための策略というものでなければ、なんとも適当過ぎはしないだろうか。
藍色としては、実家と母校の傍に妖魅が出没するという、結構な大事件だというに。
「―――地の利もあるでしょうし、ここは藍色ちゃん一択しかないというのが私たちの結論なの。喜んで引き受けてね」
「いや、地元がピンチというのにゃらば、わたしだって文句は言いませんけれど……。でも、そんな切り裂き事件にゃんて耳にしたことがにゃいんですけど」
すると、こぶしは至極簡単に答えた。
「或子ちゃんたちが、あなたを復帰させようと工作していたから、於駒神社の神主さまたちにも緘口令を敷いておいたの。事件についてもできる限り伏せてね。警察病院のある野方警察署あたりを押さえておいたので楽だったわ」
「そ、そんにゃことを……」
「ええ。私たちは計算高いの」
「―――交通費はケチる癖に」
「何か言った? 藍色ちゃん」
「いいえ、別に」
そう言えば、あまり退魔関係の情報は仕入れていにゃかったにゃと、藍色は反省した。
二年近いブランクはそういう点でも足を引っ張るのか。
(今年の夏休みは〈社務所〉とこぶし先輩にこき使われることににゃりそうだにゃ……)
藍色は少しだけ実戦復帰を悔いた。
とはいえ、彼女とて、もともと武闘派の退魔の巫女を輩出する於駒神社の跡取りである。
戦いの高揚感に震えていない訳ではない。
於駒神社に伝わる猫耳流交殺法の後継者であり、無類のボクサーでもある彼女は自分が思っているよりも非・好戦的ではないのである。
或子の拳による説得に応じたのもむべなるかな。
彼女も生粋の
「で、相手はにゃんにゃんですか?」
「〈
「―――〈鎌鼬〉ですか……」
訓練場で講義を受けたことがある日本では有名な妖怪だが、実物には当然お目にかかったことがない。
あとで当時のテキストを引っ張りだしてみるか、と対策を練っていると、唐突にこぶしが聞き捨てならないことを言いだした。
「早く片づければ、例のイベントにも出られるわよ」
「イベントって……!?」
「ほら、有明で盆暮れに行われているアレよ。あなた、いつも変な格好して参加しているんでしょ」
「―――くぁwせdrftgyふじこlp!!!」
絶対に知られてはいけないはずの趣味がばれていたというショックで、声にならない叫びを藍色が発すると、
「あら、知られていないとでも思ったの? 残念だけど、私、あなた方の統括という仕事をしている関係上、後輩兼部下の趣味嗜好ぐらいは完全に把握しているのよ」
「え、え、えええええ!!」
「あなたが或子ちゃんたちと大して変わらない性格の癖に、わりとお洒落やお化粧に敏感なのはコスプレに役立てるためだってことも知っているわ。趣味が嵩じすぎて、巫女の仕事を止めたんじゃないかと疑ったりもしたしね」
男装の麗人はニコニコ顔で後輩を嬲る。
「言っておくけど、今度サボろうとしたらみんなにバラすから。―――いいわね」
「……はい、わかったにゃ」
猫耳藍色は、(やはり〈社務所〉はブラックにゃ……!!)と心の中で叫ぶのであった。
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