ー第25試合 猫耳藍色の復活ー

第178話「あの背中に憧れて」



 私はあの子の背中に見惚れていた。


 いつも凛と背筋を伸ばし、寡黙といってもいい静かな態度で日々を地味に過ごしている彼女。

 顔だちは、まさに綺麗すぎるといっていいほど、端正すぎる美貌の持ち主で、まさに美少女である。

 ちょっと癖ッ毛だけれども、毎日丁寧に手入れをしていることが明らかなショートカットは男の子のようだったが、少年と見間違えたことは一度もない。

 比較的地味ではあるが、校則で許された範囲でイヤリングをつけたり、唇にルージュを引いたりしてお洒落には余念がないタイプでもあるからだ。

 元々、都心に近い中野の出身ということだし、すぐ近くにある新宿の高校に通う女子高生らしく、さりげなく垢ぬけたメイクや小物を愛用している。

 ファッション誌に乗るようなブランドのものではないが、いちいち選択のセンスが良く、クラスメートはおろか他の学年の女子までが注目しているという噂だった。

 時折、私服で歩いているときに街頭カメラマンに頼まれて撮影をされ、読者モデルのように写真が掲載されていたのを見たことがあるので、その噂の信ぴょう性も高いだろう。

 綺麗なだけでなくセンスもいいというのだから、まったく最強である。

 私はファッションには疎い方なのでよくわからなかったが、女子としては憧れざるを得ない立場であることは間違いない。

 しかも、それだけではなかった。

 彼女は心も一つとびぬけていた。


 ある時、クラスの女子の中でよくあるいざこざがあった。

 一人の女の子の彼氏に対して、別の子が声をかけたというのだ。

 その子はクラスでも可愛い方だがややオタクな趣味の持ち主で、地味なグループに所属している大人しい子で、客観的に見てもそんなことはありえなさそうだった。

 彼氏とその彼女は、いわゆるスクールカーストにおいては高い地位にあったこともあり、いくらなんでもその子から声をかけるなんて想像もできなかった。

 実際にはちゃらんぽらんで軽薄な彼氏が、恋人を放っておいて、別の好みの子に粉を掛けたというだけなのだが、女の子というものは自分にとって都合のいいことを信じる。

 彼女は浮気を追及された彼氏の苦し紛れの「あいつの方からコクってきたんだよ」という言い訳を信じて、責めたてたのだ。

 事情を知らない彼女の友達は徒党を組んで、大人しい子をつるし上げた。

 相手がスクールカースト上位ということもあり、その子は一方的に悪い立場に置かれ、しかもなんのことかさっぱりなのだから説明もしどろもどろで要領を得ないものにならざるをえない。

 それを、嘘をついて誤魔化そうとしていると勘違いした女の子グループは、そのままなしくずしに大人しい子に制裁を加えようとした。

 この場合の制裁とは多人数による黙殺や文房具へのいたずら、最終的には暴力へと発展するものをいう。

 つまり、イジメをしようとしたのだ。

 カースト上位者のグループによる下位者へのイジメとなれば、もう誰も止めるものはいない。

 エスカレートすればどこまでいくかわからないほどの一方的な攻撃が、下手をすれば死ぬまで続くことは確かな泥沼であった。

 しかも、それを止められそうな浮気彼氏は保身に入るであろうし、だいたい女子の揉め事に男子はよほどのことがない限り関与できないのが学校というものの裏のルールだ。

 どんなに理があったとしても、男子が絡むとろくなことにはならないのである。

 私はそのことを傍観するしかなかった。

 どちらとも親しい訳ではなかったこともあるが、気が付いたときには女子グループのテンションがヒートアップしすぎていて、同じ女子の立場でも関与する余地がなくなっていたのだ。

 下手に絡めば藪蛇になる。

 手をこまねいて見ているしかなかった。

 このままいけばあの大人しい女の子は、理不尽にも相手の気が済むまで涙を流しつづけるしかない状況だった。

 しかし、そうはならなかった。

 昼休みにクラスの隅で、髪の毛を引っ張られたり、きつい言葉で吊し上げを受けていた孤立無援の彼女に声をかけた人がいたのだ。


「―――いい加減にしてほしいにゃ」


 その一言だけで女子グループの動きが止まった。

 滑舌がよくないらしく、「な」という語を「にゃ」と言ってしまう独特の喋りを使うのが誰なのか皆がわかっていたのだ。

 そして、その喋り方の主はスクールカーストの埒外にいて、その影響を決して受けることはないことも。


「……あ、あんたには関係ないでしょ」


 中心となっていた彼女が引き攣りながらも抵抗する。

 彼女も、この段階でもうわかっていたのだ。

 この人が介入してきたら、もう好き勝手に振る舞うことはできないと。

 カーストだろうが、クラスの人気者だろうが、彼女にかかってはなんの意味もなく、そして正面から立ち向かうことは絶対にしてはならないということを。


「わたしが聞いただけの話では、あにゃたの恋人が一方的に「告白された」と主張しているだけで、実際にこちらの彼女が告白をしたという証拠も証言もにゃいようですけど」

「こいつが嘘ついているだけだよ!」

「多数対一人の関係で嘘をつき続けるのは難しいんです。あにゃたは一度でもこちらの彼女と一対一で話をしたことがあるんですか?」

「……サトルが嘘つくわけ……ないじゃん……」

「残念だけど、わたしはあにゃたの恋人の聡さんという人は知りませんけど、クラスメートのことはよく知ってます。こちらの彼女はチャラチャラした殿方よりも、クールな美少年キャラの方が好みにゃんですよ。あにゃたの彼氏とはまったく違いますね」


 チャラチャラって……

 確かに、私も別のクラスの聡という彼氏のことは知っていたが、その通りの人格だった。

 ちなみに彼女の好みのクールな美少年というのは漫画のキャラクターのことだ。


「何が言いたいのさ……」

「にゃあ。少にゃくとも一方的に誰かを生贄にしていいということにはにゃらにゃいとうことを言いたかっただけかにゃ」

「余計な口をきくんじゃねえよ! すっこんでいろ!」

「―――だったら、こう宣言するにゃ。……。理不尽に手を出すというのにゃら、覚悟を決めることさ。わかったかにゃ? ……さ、今日のところはわたしと昼ご飯を食べよう」


 それだけを告げると、彼女は女の子を連れて自分の席に戻った。

 ほとんど接点がないはずなのに、無理なく食事をしながら話をしている姿を見ると、もう女子グループは何も言えなくなっていた。

 彼女が「庇護下においた」と時代錯誤な主張をした以上、もう一切手を出せないのは明白だからだ。

 遠巻きに見ていた私でさえ、思わず安堵してしまうような介入の仕方だった。

 これであの大人しいクラスメートがイジメの対象になることはない。

 彼女とやりあう気があるものなど、おそらく学校中探しても一人もいないだろうだろう。

 それは男子も含めてである。

 おそらく、恥をかかされた彼女は彼氏に言いつけるだろう。

 ただ、彼氏は何もできなかったはず。

 だって……


「―――日野さん、下がっていてくださいにゃ。この妖怪の傍に近寄ったら、あの鎌で切り裂かれるだけだから」

「でも、藍色ちゃん!!」

「大丈夫です。あいつらの持っている傷薬を奪えば、あにゃたのその傷も完治させられますから」


 私はどう見てもボクシングのリングのようなセットの上で、三匹の巨大なケダモノじみた怪物と向き合う彼女の背中を見つめた。

 手が自然と頬にできた傷に触れる。

 彼女は―――猫耳藍色はこう言ってくれた。


「あにゃたのその頬の傷。絶対ににゃおしてあげるからね」


 袖のあたりをばっさりと切った白衣と膝までの緋袴、黒いリングシューズと何よりも目立つボクシンググローブをはめた背中は頼もしかった。

 状況は今でもよくわからない。

 何故、彼女が巫女服を着て、こんなリングの上でボクシングみたいなことをしているかの意味もわからない。

 何もかも理解できないことだらけだ。

 しかし、これだけは言える。

 今まで夢に見るほどに憧れていた彼女が、こんな私なんかのために戦ってくれるんだということだけは。


 あの〈鎌鼬かまいたち〉と呼ばれた妖怪を倒すために。


 なんとそれだけで不謹慎なまでの幸せというものを、私は感じてしまっていた……。


 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る