第168話「ガールズバーは戦いの坩堝」



 右利きの御子内さんなのだが、器用に左を主武器にスイッチする。

 だらんと下がった右腕の袖が血によって汚れていた。

 彼女があんな出血をさせられたシーンは見たことがない。

 あの〈山姥〉たちの後頭部に隠されていた口と歯は、暗器のように作用して御子内さんの意表をついたのだろう。

 自分たちの正体を見破られたとわかった途端、ぐぐぐと骨が軋む音がして、〈山姥〉たちの顔が真後ろを向き、替わりに二つ目の口が髪の毛をかき分けて現われた。

 鋭い歯がついているので、武器に使うつもりなのだ。

 その口を隠す髪の毛も蛇のようにゆらゆらと漂い、まるで生きているようだった。

 残りの武器を持った〈山姥〉は四匹。

 いくら最強の御子内さんとはいえ、一筋縄ではいかぬ数だ。


『ぐぎゃぁあああ!』


 ビール瓶の〈山姥〉が噛みついてきた。

 後頭部が前に来たことで眼が見えなくなっているというのに、動きにはまったくといっていいほど遅滞がない。

 人間のように目が正面についている生き物は、視野の関係で目の前の生物の距離感が測りやすくできている。

 つまり「獲物へ距離をつめやすい」のであり、要するに殺すためのデザインなのだ。

 しかし、その眼がないのに〈山姥〉は確実に御子内さんの肉を喰らおうと襲ってくる。

 なんらかのレーダーやセンサー的な機能も持っているのかもしれない。

 御子内さんは左手で噛みつきを払うと、そのどてっ腹に膝蹴りをぶちこむ。

 ついでに左肘で背中を痛打する。

 この〈フレンチ・リップ〉の店内では御子内さんが比較的に多用しているのは、肘と膝の攻撃である。

 狭い立地ということを考慮した結果だろう。

 肘と膝による四連撃など、普通はできない芸当をやってのける。

 あと三匹。

 カッターナイフを持った〈山姥〉といわて、そして短めのアイスピックを持った明日翔さんだ。


『スミレ、入口をカバーしなさい。絶対に逃がしちゃダメよ』


 カッターナイフはスミレというらしく、さっと指示通りに入り口に張る。

 真っ正面から御子内さんと対峙したのは、明日翔さんだった。

 彼女だけは後頭部を向けておらず、以前の美しい顔そのままだった。

 だが、桜井と話をしていた時のおっとりとした面影はなく、冷たい翳をもった陰惨な表情を浮かべていた。

 他の〈山姥〉たちとははっきりと違う。

 明日翔さんの迫力は群を抜いていた。

 紛れもない殺気がある。

 妖気だけの怪物ではなかった。


『噂の戦巫女が殴りこんでくるとは思わなかったわ』

「ふーん、どうやらキミが明日翔とかいうバーテンダーか。桜井を篭絡させたというのも頷ける美人だ」

『あたしのことを知っているの? 慎介のお友達?』

「いや。京一に聞いた」

『升麻くん? あらあら、あなた、もしかしてあの子の彼女? なかなかいい趣味をしているわね』

「だろ? こんな化け物だらけの巣窟に紛れ込んで、友達を救うために奮戦しているところがボクにとっては好ましいのさ」

『でも、そのせいで貴女は絶体絶命の窮地に追いやられたのよ、恨んだりはしない?』

「まさか。ボクたちは比翼連理の相棒だ。恨むなんてありえない。―――それに」

『それに?』

「ボクは窮地の真っただ中にいる訳じゃないんでね。……いい加減、かかってきなよ。どうやら、キミがこの中で最も手強そうだ」

『ボスよりも用心棒が強いってはのあたりまえじゃない?』


 明日翔さんは一歩前に出て、アイスピックの先端の歯を胴体に刺しこもうとする。

 自然すぎる動作だった。

 差し出されたのがハンカチだったとしてもおかしくない何気なさだ。

 しかし、胴にそんなものを突き立てられたら即死は間違いない。

 上半身をねじって、御子内さんはそれを躱す。

 カウンターでの反撃がないのは、虚を突かれたからだろう。

 さっきまでプンプンに放っていた殺気が消えていたのだ。

 殺すと決めた瞬間に殺気を消せるなんて、尋常ではない。

 妖怪というよりも、殺し屋的な攻撃だった。

 明日翔さんという〈山姥〉は刺突の軌道を変え、今度は顔目掛けてアイスピックを突き立てる。

 顔面スレスレを通り抜ける刃に背筋を冷やす御子内さん。

 彼女にしては珍しく反撃がない。

 右手が使えないというだけでなく、おそらく明日翔さんのゆらりとした動き―――足運びが特にそうだが、掴みどころのないトリッキーな移動をするのだ―――で、かろうじて手を出した御子内さんの後ろに回り込まれたりするのを警戒しているのだ。

 彼女だからこそ、絶妙な位置取りで防禦できているが、ただの人間では瞬く間に屠られているだろう。

 あのアイスピックによって。

 そうだ。

 アイスピックも曲者なのだ。

 よくよくみると、市販品とはまったく違う握りの部分をもっていて、何気ない手の動きで刃の位置が変わる。

 おそらくアイスピックなんかではない。

 なんらかの暗器の一種だろう。

 つまり、そこからわかることは―――明日翔さんは職業凶手(殺し屋)なのだ。この店の用心棒というのもわかる。

 ただの〈山姥〉だと油断させて仕留めるというのが普段のやり方なのだろうが、御子内さんには殺気の質から見抜かれていたのだろう。

 ずっと警戒していたようだ。

 変幻自在な刃物の攻撃に追い詰められながら、御子内さんの左ジャブがでたりするが、ほんのわずかの動きで白衣の袖を切られ、とてもヒットするまで持ち込めない。

  

『油断するでないよ』


 はっと振り向くと、僕の首に何かが巻き付いた。

 同時に首に物凄い圧力がかかり、呼吸が困難になる。

 熱い!

 痛い!

 凄まじい力で僕は首ごと引っ張り上げられた。

 まるで絞首刑に処されたかのように。


「ごぼっ!!」


 口から泡が零れた。

 咄嗟に両手でカバーしたが、僕の首に巻き付いた白いロープはぎりぎりと締め上げてくる。


「京一!」

『おっと、動くんじゃないよ、戦巫女!』


 いつの間にか背後に忍び寄っていたいわてが、僕をつるし上げようと力を込めて引っ張り上げているのだ。

 ロープの支点となっているのは、天井の梁の一本。

 僕を吊り上げてもびくともしない太さだ。

 やばい。

 一気に意識が遠くなりつつあった。

 絞首されるということはこれほどに危険なのか。

 しかも、両手は塞がれ、足は地面から浮かび上がり、つま先だけで辛うじて支えている体勢だ。

 すぐに窒息してしまう。

 御子内さんが助けようとしてくれたが、行く手を明日翔さんに遮られてどうにもならない。

 このまま行くと、間違いなく僕は死ぬ。

 手にしたお札を貼りつけたくても、いわては手の届かない場所に陣取っている。

 触ることもできない。


『けーけっけっけっけ、おまえの大事な男はここでおっぬが、それでもいいのか、戦巫女ぉぉぉぉ!!』

「く、京一!」

「び、びこあいさ……」


 僕らは視線を合わせても何もできない。

 化け物たちが邪魔をする。

 耳障りな哄笑が店内に響き渡った。

 苦しさのあまりに暴れてジタバタと壁や扉を蹴りあげるが、それがいわてを止めることはない。

 むしろ、僕からどんどん離れていく。


『うちの店で好き勝手やらせないよ! おっと、動くな戦巫女! さあ、明日翔やっちまいな!』

「うぐぐぐぐぐぅぅぅ」


 僕は少ない息を使って声を出した。

 届くように。

 誰かに救いを求める声が伝わるように。

 最後の最後の逆転を求めるため。

 じたばたと足を叩きつけながら、なんとか逃げ出そうとあがいた。


「た、助けてよ!」

『おいおい、坊ちゃんを助けるために必死な女に何を無理な要求してんだい? あの戦巫女だって頑張っているんじゃないかね? まったく男というのは勝手な生き物さ。すぐに女に縋り付いてくる』

「早く、助けろ……」

『おいおい、巫女様に命令か。これだから、男というのはクズなんだなあ』

「―――手を貸せ! 桜井!」

『!?』


 いわては、突然開いた観音開きの扉の中からへっぴり腰でタックルしてきた桜井に弾き飛ばされて、酒を収めてあるケースに激突する。

 そのショックでロープから手が離れ、一気に僕の咽喉にかかっていた圧力が減ずる。

 今だ。

 僕はずっと手に持っていたお札を拳に巻き付ける。

 そして、そのままいわての顔面に叩き付けた。

 紅く発光して〈山姥〉の顔が破裂する。

 僕程度の力でもお札の力があればそのぐらいはできる。


「御子内さん!!」

「応!!」


 合図を送るまでもない。

 御子内さんは桜井が扉から根性を振り絞って出撃した瞬間から動き出していた。


『なっ!!』


 咄嗟に突き出したアイスピックに向けて、左ストレートを放つ。

 当然、その軌道のままだと拳に刃が突き立つことになる。

 しかし、拳と刃が激突する寸前、御子内さんのストレートがずれた。

 いや、ぶれた。

 拳はやや軌道を変え、明日翔さんのアイスピックを持った小指を砕き、そのまま肘までの肉を切り裂く。

 ものを握るために重要な部位である小指を破壊されれば、アイスピックを取りこぼさざる得なくなり、凶器は床に滑り落ちていく。

 何が起きたかわからない明日翔さんは眼が点になっていた。

 たまたま御子内さんの出したパンチが自分の腕を切ったとしか思えないのだろう。

 だが、それがただの偶然でないということを僕は知っている。

 彼女の見切りの技は天才的どころか、神がかり的でさえある。

 拳銃の弾道でさえ見切って躱せると豪語していたこともあったほどだ。

 その彼女ならば、クロスカウンターにおいてわざと拳の軌道をずらして相手の小指を抉り取ることもできるだろう。

 まさに、牙を斬ったのである。

 そのまま御子内さんは、すぐには再起動できそうもない明日翔さんの懐にしゃがんでもぐり込む。

 明日翔さんの顎に裏拳をそっと当てると、一気に立ち上がった。

 膝による屈伸だけでなく、背筋の力さえ利用した勢いで、添えた左拳で相手の顎を打ち貫く。

 手を介した頭突きといってもいい業だった。

 確実に狙ってやっている。

 しかも、そのまま追い討ちで動かないはずの右腕を突き上げてアッパーを叩き込んだ。

 明日翔さんの下顎が粉砕される音が聞こえた。

 そして、鮮血が飛び散る。

 あっという間の、逆転劇であった。

 ただ、御子内さんの動きはまだ止まらない。

 振り向くと、扉のところにいた最後の〈山姥〉に駆け寄る。


「危ない!」


 パンと破裂音がした。

〈山姥〉の手にはいつの間にか回転弾倉拳銃リボルバーが握られていた。

 しかも、その引き金を御子内さん目掛けて引き絞ったのだ。

 だが、御子内さんは倒れない。

 これもさっきのカウンター同様に、拳銃の銃口と軌道を見切って最小限度の動きで避けたのだ。

 退魔巫女というよりも、御子内或子という闘士のもつ、怪物的な反射神経と運動神経のなせる業であった。

 

「ラスト!!」


 御子内さんが飛んだ。

 縦に回転する。

 そして、その踵が〈山姥〉の額を割る。

 胴回し回転蹴りだった。

 御子内さんがクラックシュートと呼んでいる、これも高度に発達した巫女だからこそできる必殺技が炸裂する。

 気が付いた時には、もう店内に立っている〈山姥〉は一匹もいなかった。

 すべて、御子内さんが仕留めきったのである。


「やった!」


 ただ、御子内さんはまだ不機嫌な顔をしていた。


「どうしたのさ? 怖い顔をしているよ」

「だから言ったじゃないか。高校生の身分で、こんな悪所に出入りしているなんてろくなことにならないってね」

「―――いや、それは……」


 確かに彼女と涼花の忠告を破ったのは悪かったけど……


「あとで、キミのところの御母堂に報告しておこう。きっちりお説教されるといいよ」

「そんなあ……」



 ―――僕の抵抗もむなしく、いかがわしい場所に出入りしていたことが親に知られて、僕は随分と長いお説教を受ける羽目になったのである。

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