第166話「巣窟 -ネスト-」



 午後九時を回った頃に、僕たちはガールズバー〈フレンチ・リップ〉に入店した。

 なんでも明日翔さんのシフトが十一時までだということなので、そこに合わせたんだそうである。

 基本的に桜井という男は僕の都合は一切考慮に入れないタイプなのだ。

 僕としては御子内さんに一言怪しまれないように連絡を取ってから来たかったのだが、生憎スマホの電源を切られていたか、電波の届かないところにいるらしく何度掛けても繋がらなかった。

 メールだけは打っておいたけど。

 ついでにあのときの禰宜さんにも連絡を取ろうとしたが、こちらも留守だった。

〈社務所〉関係で何か動きがあるのだろうか。

 仕方なく、僕はそれ以上はなにもしないことにして、桜井の後に続いた。

 カランと鈴の音が鳴って、僕らの入店を伝える。

 先週と同じ、退廃的な飲み屋の雰囲気に出迎えられる。

 ただし、この間とは違う点もあった。

 以前、カウンターにずらりと並んでいたお客さんが一人もいないのである。

 金曜日の夜だというのに、非常に閑古鳥が鳴いていると言わざるを得ない。

 代わりに従業員のバーテンダーは七人揃っていて、もう一人、赤い水商売にありがちなドレス姿の大年増の女性がいた。

 アフロのような大きなパーマの頭をしていた。

 この前はいなかった人だ。

 きっと桜井の話していたオーナーなのだろう。


「いらっしゃい、桜井さん。今日はお客様が来られなくて暇だったのよ。サービスするわね」

「うわ、やった!」


 女性バーテンダーの中央に陣取っていた胸の開いたドレスの女性が歓迎の意を発した。

 桜井はサービスときいて単純に喜んでいた。

 サービスなんてされたら、特別料金を取られたりしてお金がかかるかもしれないじゃないか。

 だいたいこの手の施設では、「おにぎり代」とかいって手を握るだけで五千円もぼったくったり、ビンタ一発で八千円もとられたりするのが普通らしいんだよ。

 ここだってガールズバーとか言っているけど、ボレると嗅ぎ取ったら莫大な請求をしてこないとは限らないのに。

 しまったああ!


「あー、慎介ぇ! こっち、こっち!」


 明日翔さんが中央のカウンターから手を振っていた。

 桜井って慎介って名前だったのか。

 そういえば知らなかった。

 うきうきとしてスキップしそうな足取りで彼女のところへ向かう桜井。

 仕方ないので、僕も続いた。

 その途中で腕を引っ張られてミチルさんの前に座らされた。

 彼女以外にも二人が僕の相手をしてくれるかのように隣に立っている。


「何にする? えっと升麻くんだっけ」

「あ、じゃあウーロン茶で」

「ビールでもいいけど、未成年だからねえ」

「―――っ」


 年齢のことがバレてしまっているようだった。

 そりゃあまあ桜井が口を滑らせたんだろうけどさ。

 仕方のないやつだよね。


「あまりお構いなく。僕は桜井の付き添いですから」

「そうはいかないのよ。升麻くんみたいな可愛い男の子なんて久しぶりだからねえ。こんな商売をやっているとさ」

「そういうもんなんですか?」

「ええ。ここのお客さんってね、スケベえなおっさんやお爺ちゃんばかりなの。まだ男の子なんてホント珍しいわ」


 歓迎されているみたいだけど、僕にはそんな魅力がある訳ではないので、きっとリップサービスなんだろう。

 適当に調子を合わせた。

 それに僕としても聞きたいことはあるし。

 もっとも、今のようにミチルさんも含めて三対一みたいな状況だと威圧感があるんだけど。


「そういえば、僕たちが店に入って来たとき、ミチルさん、二度視線を向けましたよね。あれってどうしてですか?」

「どういうこと?」

「僕を見てから、一度、カウンターの奥を見やって、もう一度僕たちを見た。そこに何かあるんですか?」


 僕はカウンターの奥にある観音開きの扉を示した。

 ミチルさんはふふと笑って、


「何もないわ。ウーロン茶のストックがあるかしらと確認しただけ」

「あ、そうなんですか」


 それ以上は追求せずにウーロン茶をちびちびと舐める。

 乾きものが一皿でてきたが、これが千円というのだから驚きだ。

 ただし、二時間居座っても六千円をちょっと超えるぐらいというのは安い方らしい。

 例の〈社務所〉の禰宜さんが教えてくれた知識だ。

 なんでもこの店はサービスと女性の質を加味すると、かなり良質な方なのだそうだ。

 だから、この間は満員になっていたんだろうけど。

 逆にいえばこれだけ粒ぞろいの女性ぞろいでやっている店は、高級なキャバクラとかでもないそうだ。

 しかも、接客は丁寧でバーテンダーたちはずっと笑っていて客を不快にさせないスキルを有していて、「仕事でないなら私も常連になるかもね」とあの禰宜さんは言っていた。

 今日もいるかと思ったけど、彼はいなかった。

 調査はもう終わったのだろうか。


「……そういえば、升麻くん、この前にここに来た時、気持ち悪くなってお客さんの一人に介抱してもらっていたでしょ」

「ああ、ありましたね。あまり、こういう雰囲気になれていないもので」

「桜井くんのことも本当はわかっていたから、実は心配していたのよ。子供にお酒を飲ませちゃったかもってね」

「いや飲んでませんよ。でも、その節はご迷惑をおかけしました」

「いいわ、こっちの落ち度もあるしね。―――で、あのときのお客さんって、君の知り合いなのかしら」


 自然な話の振り方だったようだけど、眼が笑っていなかった。

 意図は不明だったが、正直に答えるのはマズイと第六感が警告を発する。

 御子内さん達ほどではないが、僕にだって危険察知能力はある。

 ここの妖気のことを考えると、バカ正直はいいことではないだろう。

 だから、すっとぼけることにした。


「えっとバイトしていたときのお客さんです。久しぶりだったんで、話も弾みました」

「バイトって?」

「イベント舞台の設置とかですよ。結構、力仕事したりするんで」


 力こぶを造る真似をする。

 信じたのかどうかはわからないけれど。


「でも、どうしてあの人のことを?」

「ツケが溜まっていてね。君が色々と知らないかと思っただけ。あの人、意外と常連だったの」


 嘘だ。

〈社務所〉の調査員がこんなところに足繁く通うことはない。

 だから、ミチルさんはもっともらしい嘘を言ってごまかしている。

 何のために?

 まだ、それはわからない。


「本当に、ホント? 何も知らない? できたら、あの人の住んでいるところとか仕事とかも教えてほしいんだけど……」

「すいません。知らないんです」

「そっかあ。じゃあ、仕方ないね。……いわてさま、だそうです」


 すると、いつのまにか僕の近くに来ていたオーナーらしいドレスのおばさんがタバコを咥えながらスパスパと吸っていた。


「知らないんじゃあ、どうにもならないね。店を準備中にしておいた甲斐がないってもんだ。やれやれ、機会損失も甚だしいよ」


 いかにも世間の酸いも甘いも噛み分けてますといった感じだった。

 人生でしなくていい苦労してきたような、そんな疲れた空気を醸し出している。

 ただ、僕は心底ヤバいと思っていた。

 見ると、ミチルさんの両隣の二人だけでなく、明日翔さんを除くほとんどすべてのバーテンダーが僕を囲んでいた。

 ガチャ。

 扉に鍵のかかる音がする。

 バーテンダーの一人が入り口に立ち塞がっていた。


(しまった)


 僕は失策を悟る。

 ここにいる誰かが怪しいのではなくて、と思い付いたからだ。

 逃げ口を塞がれた。

 となると、残るのはあの観音開きの扉の奥にあるはずの裏口だろうか、もしくはトイレか。

 ただ、トイレは前回に行ったときの記憶があり、人がギリギリ通れる程度の窓があるだけですぐに奪出できるとは限らない。

 それだけではない。

 僕には一つだけどうしても確かめたいことがあった。

 今、まだこの連中で油断をしている隙に。


「ねえ、坊ちゃん」


 馴れ馴れしく、いわてと呼ばれたオーナーが僕の肩に手を伸ばす。

 隣に座り組んできた。


「あんたがどんなに誤魔化しても、うちらはもう大体わかってんだよ。あんたは、あの男の知り合いなんだろ。あいつがどういう素性のものなのか、きっと知っているはずさ。ねえ」

「し、知らないです」


 いわての眼が爛々と輝く。

 どう見ても肉食獣のようだった。

 こんな底光りする眼を人間が持っていていいはずがない。


「そうかい。あくまで、白を切るつもりかい。だったら……」


 いわてが僕の手をとり、自分の頭にまで引っ張る。

 パーマのかかった髪の毛がふわりと蠢いたような気がした。

 !

 それに気が付いたとき、僕は反射的にポケットに詰めておいた切り札を取り出した。

 白い四角く切り取ったお札であった。

 中央に漢語で呪文が墨書きされている。

 かつて中華街の元華さんにもらったお札であった。

 それをいわての顔面に叩き付ける。


『ぎしゃゃゃゃ!!』


 白煙が立ち込めた。

 お札に触れた額の部分が白く焼けただれる。

 聖なるお札が火傷を与える相手なのであるから、相手の正体はもう間違いがない。

 僕は勢いよくカウンターを駆け上がり、上を走り、観音開きの扉を開けた。

 誰もいない。

 いや、動いているものがいなかっただけだ。

 そこにはひと目で瀕死の重傷を負っているだろうとわかる男性がぐるぐると簀巻きにされて転がっていた。

〈社務所〉の禰宜さんだった。

 こんなところに囚われていたのだ。


「やっぱり!!」


 店内ではいわてが凄まじい形相で僕を睨みつけていた。


『この餓鬼ぃぃぃ!! なんてことしやがる!! しかも、その札は破邪の呪文が記してあるね! やはり、どこかの回し者だったか!!』


 いわてだけではない。

 他のバーテンダーもさっきまでの愛想のいい顔はなくなり、般若のように吊り上がった眼と口を向けていた。


「あ、明日翔!!」


 明日翔さんも例外ではない。

 髪が一気に銀色の枯れ果てた白髪のように変わり、獣のごとき牙を生やし、白目のない双眸に変化していた。

 僕たちを除いて、ここにいる全員の女が悪鬼羅刹といっても過言ではない変貌を遂げている。

 ここは間違いなく妖怪の巣だった。

 鬼のねぐらだった。

 入ってはいけない悪所であった。


「東京のこんなところに、あなたたちみたいな連中が巣作りをしているとは思いませんでした」

『てめえら人間が間抜けなだけさ。歓楽街にはこの店みたいな餌場はたんとある。そして、てめえみたいなネズミを食い殺す仕掛けもな!!』


 じりとバーテンダー―――どう見ても鬼婆の集団だ―――がにじり寄ってくる。


「ひえええ!!」


 明日翔さんの変貌を目の当たりにした桜井が怯えて、カウンターのこちら側に飛び込んできた。

 どうやら僕の庇護を求めているらしい。

 勝手なことを。

 自分だって助けられるかどうかわからないのに、君なんかを構っていられるものか。


「……升麻」


 僕はすっと背中に桜井を庇った。

 この手の体験には慣れている僕の方が素早く動けるだろう。

 別に桜井を助けたいわけじゃないし、囚われの禰宜さんを守るついでだ。


『あらあら、勇敢なこと。慎介があなたをこんな目に合わせたのはわかっているはずなのに、それでも背中に庇うんだ。なかなか、あなた、聖人君主なのね』


 元は明日翔さんだった鬼婆が嘲るように言う。

 やはり、桜井と恋人同士になったのは嘘だったか。

 目的はわからないけれど、それでも虚言には違いがない。


「僕は聖人ではないですよ。ギリギリまでしなくてはならない抵抗をするだけなんです」

『それでどうにかなるとは思わないことね。あなたの悪運はもうこのお店に紛れ込んだ時に尽きているのよ』

「でしょうね。僕の普通の運は」

『―――普通の?』


 僕はできる限り不敵に笑った。


「僕にはただの運だけでなくて、もう一つの運があるそうです。抗って這いずってもがききった挙句にようやく発動する程度のものだけど、何よりも強い運が」

『あなた、何を言っているの?』

「だから、最後まで抵抗しますよ。たとえ、ここが悪鬼の巣窟であったとしてもね」


 今の僕の手にはお札が一枚あるだけだ。

 それで二人の人間を守らなければならない。

 でも、それだけでも十分。

 最後まで抵抗してやる。

 僕の〈一指〉の悪運にかけて。

 そして、その台詞を格好良く言い放った時、


「そう、それでこそボクの京一だ」


 閉まり切っていたトイレのドアが内側から吹き飛び、白衣と緋袴、そして黒いリングシューズの小柄な影を吐きだした。

 バチンと拳と掌を打ち鳴らし、見えない妖気が充満した室内を威風堂々と睥睨する。

 世にどれほどの悪夢が蔓延しようと、羅刹天女が暴れ回ろうと、決して許さぬ正義の巫女がやってきたのだ。

 彼女が僕の〈一指〉の幸運が呼んだ奇跡なのだろう。


 御子内さんは颯爽と拳を握り、構えをとる。


「関東鎮守の退魔巫女、御子内或子、ここに推参だよ!!」


 その姿はオペラのヒーローのように格好良く輝いていた。

 

 

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