第165話「チェリー・トラブル」
あのガールズバーがどんな妖怪案件なのかはわからなかったが、もう〈社務所〉が存在を掴んでいる以上、専門家に任せてしまえばいいものとして、僕は楽観的に考えていた。
〈社務所〉の実戦部隊である退魔巫女の御子内さんにも伝えたし、基本的に〈護摩台〉という結界リングの設営が主な仕事である僕には関係のない話だ。
たまに御子内さんとともに調査も行うけれども、今回のことはそういうものでもなさそうだし、第一ああいうガールズバーみたいなものは高校生の僕が出入りしてよさそうな場所でもない。
お母さんに言いつけられるのも嫌だし、ここは大人しく傍観しておくのがベストだろう。
そんな風に結論付けていた。
だが、現実は僕の日和見を許してはくれそうになかった。
月曜日に学校に行くと、桜井の姿がどこにもなかった。
遅刻だということだったが、彼が教室にやってきたのは、二時間目を過ぎてから。
連絡がなかったということで、三時限目の現国の教師にかなり叱られたのだが、虚ろな目でぼうっとしているだけで、口元はただヘラヘラしているおかしげな様子だった。
どう見てもまともな状態ではない。
さすがに心配してクラスメートが話しかけると、ちらちら周りを見渡して、
「おれさあ、もうすぐ大人になるわ」
と優越感に浸りきったような顔をして笑った。
ちょっとゲスな感じがする。
何を言いたいのかわからなかったので隣にいた男子に聞くと、彼は少し眉をひそめて、
「ソープにでも行くってことじゃねえのか」
「ん、どういうことさ?」
「だから、大人になるってのは童貞を捨てるってことじゃねえの。あいつ、前からそういうことをよく口走っていたじゃん。ガールズバーとかさ」
「ああ、そういうことか。なるほど」
「升麻って浮世離れしすぎだろ。すぐにわかれよ」
「うーん、考えておく」
金曜日のことを思い出すと、どうやら例の明日翔さんとうまくいったらしい。
昨日も一昨日も何も連絡してこなかったから、もしかしたらアフターはともかくどこかで会ってみたりしたのかもしれない。
でなければ、いくらなんでもラインIDを交換しただけで肉体関係が結べるとは誤解しないだろう。
会ってみて、脈があったから、そんな妄想に浸っているという感じか。
「でもな……」
僕の印象では、あの場では桜井に対して明日翔さんにそこまで脈があったようには見えない。
接客業の手練手管かもしれないけれど、一緒に観察していた〈社務所〉の禰宜さんも「あれではうまくいかないな」とダメ出しをしていたぐらいなのに。
営業の一環として接触して、それを桜井が勘違いしているんじゃないだろうか。
しかし、桜井のおかしな様子は放課後になっても変わらず、それから三日経っても同じままだった。
遅刻も繰り返し、さすがに担任から注意が行ったというのに、桜井のヘラヘラは治らず、むしろ悪化していくぐらいだった。
しかも、僕たち男子のみならず、女子にまで妄想に近いエロ発言をして、いつのまにか総スカン状態になっているという有様である。
さすがに庇いきれないと距離を置く男子までで始めた。
以前、桜井が粉を掛けていたギャル系女子の若附さんがやってきて、僕を廊下に連れ出し、
「―――京一くん、あいつ、どうにかならない?」
「どうにかって……」
「状況はわかってんでしょ。桜井、どうしょうもない奴ではあるけど、あんな風に孤立するタイプじゃないじゃん。このままだと、ホントにクラス中でハブにされてしまうよ」
「でも、僕がどうにかできることじゃないと思うけど」
「いいや、あんたならできる。というか、あんたぐらいにしかできない」
「褒め殺しはやめてよ。どうして、僕なのさ」
「―――あたしが見込んだ男だから」
「意味わかんないよ。……でもまあ、放っておくのもなんだし、一応、どうにかしてみるよ」
すると、若附さんはにっこりと微笑んで肩を叩いてきた。
「頼んだ!」
そして、女子たちの輪に戻っていく。
頼まれた僕としてはどうすればいいかはわからないままだったけど。
◇◆◇
「ねえ、桜井。明日翔さんとはうまくいっているの?」
放課後にそそくさと帰ろうとする桜井を呼び止めた。
呼び止めたときは嫌そうな顔をしていたくせに、明日翔という名前を聞いた途端、とてつもなくにやけた顔になる。
やっぱりそういうことなんだろうなと想像がつく。
「おいおい、升麻。学校で彼女の名前を出すんじゃねえよ。迷惑がかかるかもしれねえだろ」
「ごめん。つい聞きたくてさ」
「おうおう、そういえば升麻には借りがあったな。それを返すぜ、なんでも聞いてくれよ」
なんだろう、この横柄な態度。
あと、僕は自腹を切って君の恋路の応援をしてあげたはずなのに、その程度の貸し借り関係に落ち着いていたのか。
「明日翔さんとはデートとかしたの?」
「ああ、毎日会っているぜ」
「え、毎日?」
「おうさ。明日翔の仕事が終わるまで待ってさ……」
「へえ、名前で呼んでんだ」
「まあな。か、彼女だしよ。で、俺は彼氏」
「告白成功したんだ、おめでとう。でも、毎日夜に会っているってことは、そのせいで遅刻が増えてんのかな?」
「仕方ねえよ。付き合い出した最初が勝負だからな。まだ、キスとかさせてもらってないけど、あの様子ならもうすぐだ。これからまた店に行くし、今日の帰りなんかは、気分が盛り上がってうまくいくと思うんだぜ」
毎日、バーの営業時間が終わってから逢引きしてるのか。
だったら、遅刻ばかりなのも当然だ。
夜更かしもほどほどにしないと学校もおろそかになる。
あと、あんな色っぽい年上の女の人に骨抜きにされるしと、ここまで自堕落になっても仕方のないところかも。
ただ、これが普通の転落する高校生の話ならば問題はないかもしれない。
けれど、あの店は間違いなく妖魅に関わりを持っている。
このまま放っておくのは危険だ。
少なくとも、桜井をあの〈フレンチ・リップ〉まで連れていく手伝いをしたのは僕なのだから責任はある。
「だったら、今日は僕も連れて行ってくれないか。ついでに明日翔さんを紹介してよ」
「―――俺の女にコナかけるつもりか?」
「そんなことはしないよ。だって、桜井の彼女なんだろ? 友達の恋人に手を出すようなことは絶対にしない。どんなに美人でもね。明日翔さんとも話をしてみたいけど、僕としてはミチルさんに会いたいんだ」
「おうおう、ミチルさんもいい女だもんな。いいぜ、客を連れていけばオーナーだって許してくれるだろう。そうすりゃ、早引きして、今日こそウシシシシシ」
ケンケンのように笑っているけど、傍からわかるほど色に憑りつかれた顔だった。
おそらく明日翔さんとベッドインすることだけを考えているのだろうな。
この年頃の男子の欲望が丸出しすぎてちょっと引きそうだ。
とはいえ、あのガールズバーにはまた行くしかないだろう。
今度こそ、あそこに隠れている妖怪か何かの正体をつきとめて、桜井の目を覚まさせなければならない。
またり性懲りもなくあそこに行ったことが涼花や御子内さんにバレるのは避けたいところだけれど……。
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