ー第22試合 狙撃対決ー
第155話「不動坊陣内の受難」
JR池袋駅の西口の路地を少し入ったところに、その質屋はあった。
商号は『根来質店』、池袋が今のように発展し始めた頃から続く老舗である。
店主は不動坊陣内といい、六十がらみではあるが、この質屋と並ぶもう一つの業務を精力的にこなす、タフな老人であった。
常日頃から僧侶のような黒い作務衣を纏い、やってくる客と交渉し、ご近所づきあいも無難におこなう姿から、知人からは「根来のお坊さん」と呼ばれている。
この年頃には珍しい肩までの総髪なので、黒い作務衣といい、非常によく目立つ外見をしていることもあるが、金に汚いことも近所では評判になっていた。
その日も、陣内は算盤をはじきながら売り上げを帳面に書き写していた。
パソコンなどという道具はまったく使えないうえに、どんなに勧められても絶対に覚えようとはしない頑固な男なのである。
もうすぐ陽が暮れようというとき、質店の横開きの扉が開いた。
二つ分の人影が入ってきた。
「邪魔するぞ」
掛けられた声に聞き覚えがあった。
退廃的で気だるげな、それでいて何かを渇望しているかのような声だ。
こんな声を出せる女で陣内が知っているものと言えば―――
「これはこれは、武蔵野柳生の総帥・十兵衛
「ふざけろ。あの三池典太はおれのご先祖様のものだ。断じてお前のものではない。それに、あれに肉体を乗っ取られた鍛え方の足りないおまえのもとに置いておくことはできねえなあ」
痛いところをつかれて、陣内は黙った。
数か月前にとある大業物を巡ってのトラブルのときに、彼はかつてならばありえない醜態をさらしてしまい、結局手に入れずに終わらせてしまったことがある。
その時には、この女性に命までも救ってもらうという屈辱を味わった。
「はっはっは、ご厳しいですな、柳生の総帥。耳が痛いですわ」
「耳程度で済んでよかったな、陣内」
とぼけた顔をして辛辣な毒を吐くのは、柳生美厳。
多摩の一画にあるとある市に住む、武蔵野柳生という剣術の流派の総帥であり、この流派が統括する〈裏柳生〉という忍びの組織の元締めでもある。
まだ十代だというのに、全身から醸し出される異常なまでの色気と右目に眼帯のようにあてがわれた刀の鞘、大きなポニーテールが印象的な美女であった。
彼女はいつもの着流し姿ではなく、ごく普通の女性らしいトレーナーとジーンズという格好だった。
憎き小娘にやりこめられてしまい、ぐぬぬと歯ぎしりをしていた陣内は美厳の陰にもう一人がいることを思い出した。
こちらは高校の制服を着ている、十代相応の色気の持ち主だった。
だが、腰に両手を当てて、ふんぞり返っている態度と何ものも顧みないような不敵な眼差しは記憶にあった。
記憶の中にある紅白の衣装と二重写しになる。
間違いなくこちらの娘のことも知っていた。
「―――〈社務所〉の退魔巫女か?」
「そうだよ。名乗るのは初めてかな。ボクは御子内或子。この関東でも最強の女さ」
ここまで自信たっぷりに言われると己惚れが強いというだけでは表現できない。
陣内が呆気にとられるのもむべなるかな。
関東を鎮守する聖なる巫女である御子内或子は威風堂々と名乗った。
実際のところ、彼女は自分の台詞を信じ切っているので恥ずかしいなんていう感情は微塵も抱いていないのだ。
「ふざけろ、或子。貴様などが最強のはずがないだろ。この十年、いや百年に一人の天才剣士であるおれがいる以上な」
「ボクなんて百年どころか千年に一人天才だからね。キミなんてレア度でいったら比べ物にならないね」
「ほほお、言い切るか。いい度胸だ」
「事実を語っただけだが」
「おまえが騙ったのは戯言だな」
「言うね、田舎の剣術使い。ここで武蔵野柳生の血を絶やしたいとみえる」
「武蔵村山は田舎じゃねえ! ちっ、立川程度で粋がるんじゃねえぞ、同じ都下のくせに……」
「立川を舐めんな!! 中央線の特別快速が止まるんだからね!!」
美厳が狭い店内で懐に納めていたらしい小刀を抜刀し、或子が拳法の構えをとる。
これに慌てたのは陣内である。
この二人の少女の戦闘力は嫌というほど知っている。
自分の店の中で暴れられたらどんな損害が出るかわからない。
だから、彼は、作務衣の懐から
あっという間の出来事だった。
陣内は元・忍びである。
その彼が咄嗟に選んだ短銃による仲裁行動をまるで読み切っていたかのように、美厳と或子は抜群のチームワークを見せて制圧したのである。
何をされたのか気がついた陣内が、二人による芝居を疑うまでに息の合った連携であった。
しかし、陣内を取り押さえながらも、或子と美厳は至近距離でメンチを切り続けていた。
「グルルルルルゥゥ」
「死ね、腐れ巫女」
傍から見たその様子はとても仲が良さそうには思えない。
不倶戴天の敵として憎みあい、殺し合いに発展してもおかしくない有様であった。
「―――すいませんが、柳生の総帥と退魔の巫女。いい加減にワシを自由にしてくれんかな」
「……おまえが銃など向けるからこうなったのだ。剣士に対して銃を突きつけるなど、斬り殺されていてもおかしくないところだぞ」
「ボクもいきなりだと手加減ができないんだよ」
といいつつ、極めた腕を離そうと二人。
陣内は仕方なく短銃をそっとテーブルの上に置いた。
持ち主が手放した短銃を遠くに飛ばしてから、ようやく或子たちは陣内を解放する。
「イタタタ……六十のジジイに対してなんてことしやがる」
「まだ枯れていないのならばジジイを名乗るな。そもそも、銃を向けたのは貴様だ」
「―――人の店で死合いをしようとしていたのはどこのどいつだ……」
しかし、陣内はその言葉を呑み込んだ。
〈裏柳生〉と退魔巫女。
どちらもおっかなすぎて、これ以上関わるのは考えものだ。
何をしにきたかはわからねえがとっとと出ていってもらおう。
そう決めると、陣内は自分の椅子に戻って座り込んだ。
とりあえずここは自分のホームだ。
落ち着いて話せば、主導権もペースを掴みやすいのはホームの自分の方なのだと心で言い聞かせる。
「……で、何の用なんですかね?」
美厳が言った。
「昨日、都内で狙撃事件があった。これで三人目だ」
「―――狙撃? 初耳ですな」
「不動坊陣内。貴様も元・忍びならば都内の情報ぐらいには精通しておけ。そんなことではいざという時にもたんぞ」
「ご心配なく。ワシはもう二度と忍びの稼業には戻りません。田舎の連中も、無理して戻ってこずともいいといっておりますしな。最期は紀州の先祖伝来の墓には入れてもらいますが、死んだら、の話です」
彼と同郷のものはほとんどいない。
大部分は関西に行ってしまっているし、こちらにいたとしても仕事らしい仕事はないのがオチだからだ。
さらに、彼の流派―――根来の忍びは、東京にでは彼しかいないといっても過言ではない。
かつてはいたが、今はいない。
「で、なんでその事件のことをワシに?」
「これを見ろ」
小さなビニール袋に収められていたものは、小さな金属片だった。
しかし、陣内にはすぐにわかった。
これは―――弾丸だ。
「……匁玉じゃねえか。しかも、撃たれた跡が残っている。まさか、これでか?」
「そのまさかだ。狙撃された被害者の体内から摘出したものがこれなんだぜ。貴様は当然わかるよな、根来衆?」
「まあな。ワシらは鉄砲に関しては日ノ本一の忍び衆だからよ。……おい、あんたがこれをワシに見せたということは……」
「狙撃に使われたのは種子島の火縄銃だ」
「だからといって、ワシを下手人扱いする気か?」
「得物が種子島というだけで、昔なじみの古物商を犯人扱いはしねえよ。いくら、おれでもな」
「じゃあ、どうして……」
すると、巫女の或子がポケットから折り畳んだ紙切れをとりだした。
地図のコピーのようだった。
一点を指さしてから、十センチほど離れた点に動かす。
「被害者が撃たれたのはここの路上。それで、本件の下手人と思われるやつが種子島を撃ったとされる場所がここなんだよ」
「ん……? なにか変か?」
「縮尺を見てみなよ、キミ」
それで陣内は漸く気がついた。
この地図の縮尺からすると、その十センチとはすなわち、
「一キロだと? まさか、火縄銃の殺傷距離は二百メートルがいいところだぞ。一キロなんて……」
そこで陣内は悟った。
だから、こいつらはここに来たのか。
一キロ先の目標を正確に種子島の火縄銃で撃ち抜けるものなど、普通はいない。
鉄砲を得意とする根来の忍び衆を除いては。
「わかったぜ、あんたらがワシのところに来た理由が。だが、先に言っておくが、ワシじゃねえ。狙撃なんぞやっている暇があったら、たんまり金儲けでもしてらあ。だから、別を当たってくんな」
美厳は引き下がるつもりはないようだった。
「貴様ら、根来衆には忍術射撃とかいう摩訶不思議な技があるそうだな。その使い手がこれをやったのではないのか?」
「おいおい、まず知っておいてほしいが、こんなのは警察の仕事だろ。あんたらの管轄じゃない。何か知りたければ警察に行ってくれ。ワシは知らん」
「本当に知らないのかい?」
「知らんものは知らん―――んんん?」
陣内は一度だけ首をひねる。
何かが喉元まででかかっていて、少し悩んだらそれが出てきた。
役に立つかどうかは知らないが、この情報でこのおっかない女どもが出ていってくれるのならば越したことはない。
だから、躊躇わずに言った。
「そういや、ワシは古物商もしているが、一昨日、遺品銃の話をもってきた刑事がいたんだ。確か、先祖伝来の火縄銃を売りに来た客はいないか……とか。ワシは覚えがないと帰ってもらったが、普通はそういう行政指導みたいなもんは刑事がしにはこないからな。何かの事件かと思っていたが……」
「……美厳。警察は、この件で動いていたっけ?」
「いや、貴様のところの禰宜が撃たれて以来、止めておいたはずだ」
「じゃあ、どうして警察がそんなものを調べているんだ」
「わからん。とにかく調べてみよう。―――よし、不動坊邪魔をしたな」
「ごくろうさま!!」
と、手をあげると二人の台風はさっさと店内から出ていってしまった。
本当に嵐のような連中だった。
取り残された陣内はため息を一つついて、
「あの連中とはもう関わり合いたくねえ」
しみじみと呟くのであった。
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