第154話「蟹問答の果てに」
……数日後、私は彼女と待ち合わせをしていた。
そろそろ決断しなければならないということを意識して。
あの一軒家と廃寺での稀有な体験をしたあとでは、たかだか人生を左右する程度の決断をすることなどどうということもないという開き直りがあった。
あの事件の翌日、携帯電話に例の少年から連絡があり、私は中野にある喫茶店で話をするこになった。
行ってみると、巫女の姿はなく、学生服の少年だけがいた。
コーヒーではなく紅茶を飲んでいるところが子供っぽい。
「昨日は失礼いたしました。こちらは片付いたのでご報告をと思いまして」
「それは……ご親切に」
聞くところによると、彼は巫女の所属する妖怪退治の組織でバイトをしているそうだ。
そんな組織があることも驚きだが、コンビニではあるまいし、高校生のバイトを雇っているということもびっくりだ。
世の中には私の想像も及ばないことばかりだと実感している。
「えっと、あまり詳しくは僕も説明されていないんですが、昨日の廃寺をちょっと行った先に多摩川の支流があるのをご存知でしたか?」
「ああ、知っている。地図にあったからね」
「で、その川淵の見つけ難い場所の洞窟があったそうです。調査した人たちが、そこで結構な数の人骨を発見しました。まだ正確にはわかりませんが、十人前後はありそうだということです」
「人骨!?」
以前、死体を発見したこともある私だが、それとこれとは話が別だ。
十人といったら、とんでもない数ではないか。
「例の〈蟹法師〉の仕業でしょうね。さらに洞窟の奥まったところで背中の甲羅を割られた大蟹の死骸も発見しました。これ、写真です」
「……」
渡されたものは、隋分と不格好な毛ガニのような、沢蟹のような、珍妙な甲殻類だった。
蟹だとわかるのは二つのハサミと飛び出た眼だけかもしれない。
「これが―――〈蟹法師〉の……」
「正体でしょうね。御子内さんの一撃で瀕死になってもう妖怪としては実体化していられなくなったんでしょう。そのまま死んだみたいです。近くに、手下の蟹もいたみたいですが、親分が討伐された以上、もう危険はないでしょう。あの廃寺も、例の家も、もう住人が行方不明になるおそれはないはずです」
少年の説明によると、―――あの化け物ガ二は昔からあのあたりに住んでいた妖魅というものらしい。
住職がいなくなり、檀家との交流も絶えた廃寺の中に泊まりこんだものがいた場合に、それを餌食としていた。
私にやったように問答を仕掛け、答えられなければ棲家に拉致して食べる。
だが、昔はともかく今はあんな廃寺に泊まるものも少なくなり、腹を空かせて〈蟹法師〉は近所にできた一軒家を新しい狩場にした。
そこに引っ越してきた人間たちを時機を見ては攫っていたそうだ。
それが「人の消える家」の真相だった。
これでもうあの家から人がいなくなることはない。
私の調査はさっさと終わってしまったようだ。
だが、例え真相が判明したとしても、それを依頼者に正確に報告することはできない話ではあったが……。
「なんというか、奇々怪々すぎて理解が追い付かないよ」
「うーん、まあ、一年ぐらい前の僕も似たようなものでした。あまり気にしない方がいいですよ」
「君は変わっているな。達観している」
「なりゆきで深く関わることになりましたけど、自分で決めたことですからね。あの蟹に訊かれたように人生ってそういうことの繰り返しなのかもしれません」
「そういうことの?」
すると少年ははにかみながら、
「汝は誰だってやつです。あの蟹の問答の内容は、実は自分の正体を暴けということみたいですが、それって普通によくあることだと思います。自分が誰なのか当ててみろって他人に聞かれて、それに答えなければならない。周囲は都合を考えないで問答をしかけてきて、こっちはいつも答え続けないと面倒なことばかりになる」
確かにそうだ。
仕事でもプライベートでもよくあることだ。
いや、そればかりが基本なのかもしれない。
勝手に問いを投げかけて来て、答えられなければあの〈蟹法師〉のように殺そうとしてくる。
だから、いつも答えを準備して抵抗しなければならない。
自分で決めなければならない。
でなければ、厄介ごとは決してとまることがないのだ。
面倒だとか、ダリイだとか言っている暇はないのだろう。
「それで、君はあの御子内という巫女と一緒にいることにしたという訳か」
「はい。そうです」
即答だよ。
若いからなのか、彼女にそこまで首ったけなのか。
それとも別の理由があるのか。
この少年の心はわからないが、それでも彼は自分の思う通りに決断して生きているようだ。
顔に迷いがない。
「わかった。ありがとう。君たちには命を助けてもらった上に、色々と勉強させてもらったよ」
「いえ、あなたが無事でよかったです。御子内さんもそう言ってました」
あと少しだけ雑談をして、私は彼と別れた。
もう会うことはないだろうが、彼とあの巫女の存在は私という人間に本当に勉強させてくれたのだと思う。
駅の改札で待ち合わせをしていた彼女がこっちに近づいてきた。
少しだけ表情が堅い。
この間の問いの結論を恐れているのかもしれない。
だが、そんな心配はしなくてもいい。
私は決断することにしたのだ。
今の自分が何者なのかという答えを用意して。
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