第153話「蟹追いリング」
〈蟹法師〉と呼ばれているらしい荒法師は、大バサミの腕を振りかざしながら、奇声とともに襲い掛かった。
迎え撃つのは、徒手空拳の巫女。
横に薙いだ鋭い刃を半歩のバックステップで躱すと、そのまま腕の付け根を蹴り飛ばす。
ほれぼれするほど美しいミドルキックだった。
国際ランカーのムエタイ選手に比肩するほどの鍛え抜かれたフォームである。
さっきの身のこなしもとんでもないものがあったが、繰り出される技の一つ一つの完成度も高い。
その蹴りをまともに受けたことで、〈蟹法師〉の上半身が揺れる。
水平にひらりと舞うと御子内は敵の懐に潜り込む。
腕を掴んで身体を捻った。
背負い投げであった。
かなりの体格差があるというのに見事な投げだった。
こちらは柔道の野村を思わせるが、私にはもっと高い術理を体得していそうに思えた。
でなければ、人ならざるものを背負って投げることなどできはしない。
「うまい!!」
「そうですよね。御子内さんは投げに関してはなんちゃってじゃないんですよ」
「柔道ならオリンピックで金メダルをとれるぞ!!」
私は断言できる。
あそこまでの動きは普通ではない。
しかも、あの殺されるかもしれない攻撃を掻い潜りながらの投げ技なのだから。
マットに背中から叩き付けられたら、逆に自重があることが仇になる。
重さによるダメージが自分に跳ね返ってくるのだ。
加えて、〈蟹法師〉は受け身をとれていない。
あれでは威力を殺せない。
『グオオオオオ!!』
横たわった〈蟹法師〉が一気に起き上がろうとしても、がぶり寄った御子内が寝技を仕掛ける。
これも素早い。
ハサミのついた右腕をとると、腕ひしぎ逆十字に極める。
と同時に―――折る。
〈蟹法師〉の右腕が肘の部分から反対側に向けて不気味に曲がっていた。
一瞬だけ感じた、ひやりとした寒気はおそらく殺気だ。
普通に生きていたら絶対に浴びることのない命を刈り取るための気迫。
しかも、その後で御子内はさらにのけ反って、勢いをつけると、ひしゃげた腕を回して、引き抜いた。
『ごおおおおお、きさまぁああああ!!』
〈蟹法師〉はじたばたとなくなった腕があるかのように抱えて転げ回った。
巫女は折った上でもぎ取ったハサミをリングの外に投げ捨てる。
恐ろしい光景―――ではなかった。
無くなった腕の跡から青い血らしいものが飛んではいたものの、覗いている白い筋肉がどうにも人間のもの……いや生物のものらしくなかったことで、スプラッターな印象をまったく感じなかったのだ。
むしろ聞こえている〈蟹法師〉の痛みをこらえる叫びの方が耐え難かった。
あまりにも無残な結果だというのにまったく不思議なものである。
だが、その理由もすぐにわかった。
腕をなくして数十秒しか経っていないというのに、ゆらりと巨漢が立ち上がったのだ。
左手で傷口を押さえてはいたが、表情には痛みによる変化はなかった。
それどころか迷ったように顔をしかめて全身に力を入れる。
『ぬん!!』
傷跡の白い筋肉が隆起した。
そして、次の瞬間には、大量の粘液と共にさっきのものと同じ巨大バサミが生えてきた。
「なんだ!?」
「―――御子内さん、甲殻類の再生能力だ!! 四肢を狙うのは意味がないかもしれない!!」
「わかっているよ! 蟹の類いと戦ったことがない訳ではないからね!!」
二人は今の出来事がたいしたものでもないかのように、振舞っている。
なんというかこの異常な事態に、年端もいかない少年たちがこんなにも冷静なのは尋常ではない。
巫女の少女についてはもう受け入れてしまっているが、この少年についてはどこか一歩引いてしまうものがある。
見た目は普通の高校生なんだが……
「でも、片手がもげてもすぐに再生する相手にどうするの!?」
「ふん。その程度の敵、長く退魔巫女をやっていれば稀にだけど遭遇するさ。
「どうするの?」
「―――甲羅ごと拳で貫く」
御子内はぎゅっと拳を握りこんだ。
待て。
さっきから見ていればわかるが、あいつが戦っている〈蟹法師〉は明らかに背中に甲羅らしき堅い装甲で守られていて、とても殴ってなんとかなるような代物ではない。
だからこそ、さっき御子内は打撃ではなく投げと関節技を使ったのだろう。
残酷な極め技まで使ったのはそれだけ相手の防御力が硬いことの証しだ。
そんなことは実際に戦っている御子内の方がよくわかっているだろうに……
拳で貫く
そんなことができるはずはない。
女の子の拳が甲殻類の甲羅をぶち抜けるなんて。
だが、私の隣にいた少年は頷いた。
「よし、御子内さん、それでいこう。でも、気を付けて。相手が蟹だとすると八本の脚と泡を吐く秘儀があるかもしれないからね!!」
「なるほど、さすがは京一だ」
二人は選手とセコンドのようなやり取りを交した。
巫女の発言をツッコミもせずに全肯定する京一という少年は、ある意味で凄い奴である。
私だったら五分と保たないかもしれない。
新しく生えてきた右腕のハサミを使って、また〈蟹法師〉が攻めてくる。
このあたり、用心とか作戦とかいうものがないのは、妖怪だからだろう。
それに対して、御子内はパンチとキックを交えたコンビネーションを叩きこむ。
だが、背中の甲羅同様に前面も堅いらしく、ほとんど怯ませることさえできない。
強い圧力を受けて、巫女の歩みが止まる。
小柄な少女のみでは限界があるのだ。
「どりゃあああ!!」
御子内が横に跳んだとき、〈蟹法師〉のわき腹から袈裟と法衣を突き破って、鋭い槍のようなものが伸びた。
奇怪な屈伸を繰り返す脚のようであった。
あれが京一の言っていた「八本の脚」による攻撃かもしれない。
忠告を正直に受け止めていたのか、突然の攻撃だというのに巫女はそれを容易く躱す。
それどころか、手をひねって脚を捕まえて、またも関節技を極めるとそのまま叩き折る。
そして、延髄切りを放った。
しかし、甲羅がひょいと前にスライドするだけで首筋がガードされて、渾身の大技は防がれる。
いざピンチかと思った瞬間、マットに落ち様に御子内の下から撥ねあげる蹴りがまっすぐに〈蟹法師〉の顎を砕いた。
下にある死角からの攻撃はいくら眼部が突出していても避けきれない。
倒れこみそうになってもこらえる〈蟹法師〉。
タフなバケモノに追い打ちをかけるように、御子内が拳を振りかぶり、
「バーンナッコォォォ!!」
前方に叩き付けるような右ストレートをぶちかました。
〈蟹法師〉の顔面が窪む。
青い血を噴いて。
それでも倒れない妖怪の額目掛けて、今度は一回転してからの胴回し回転蹴りを踵に重心をかけて叩き込む。
顔面目掛けての三連続攻撃だった。
さすがにそのまま仰向けにマットに倒れこむ〈蟹法師〉
これで倒しきれるのか、とそれでも私が疑問を感じたのも当然、〈蟹法師〉はなんと身体をひっくり返してうつ伏せになると顔を保護する行動に出た。
やはりこれ以上は急所を漫然と晒すことと等しいからだろう。
再生能力があるとしても一気に仕留められれば終わるということか。
だから、絶対の信頼を持つ背中の甲羅でカバーすることに決めたのだ。
しかし、その判断は愚策だった。
なぜなら、うつ伏せになった〈蟹法師〉の背中に飛び乗った御子内は空手の瓦割りの要領で、ほんのわずかだけ息吹をすると、全身全霊の膂力を一撃に与えるかのように天に拳を掲げ、力を間欠泉のごとく放出する。
「パワーゲイザー!!」
人の握った拳で、大蟹の堅い甲羅を貫くことは本来ならば不可能。
だが、御子内のものはその常識を打ち破り、〈蟹法師〉の背中をものの見事に十字に割った。
倒れたまま背中を割られ、甲高い断末魔の叫びを残して、〈蟹法師〉はぐったりとして動かなくなった。
その全身が透明になって何事もなかったかの如く消えていくのを、私たちは無言で眺めていた。
完全に〈蟹法師〉が消失してしまったことを確認してから、ようやく御子内はリングの下へと降り立った。
そのまま私のところへやってきて、
「キミがあの妖怪の問答に間違った答えをしていたら、今頃はもう攫われてしまったところだったよ。どうやらキミは運がいいみたいだ」
「あのときは、蟹、と答えればよかったのかな?」
「たぶんね。まあ、ボクだったら別の答えを返していたかもしれないから、そこは絶対の正解はないかもしれないけど」
「……あんただったら、なんて答えたんだ?」
私はどういう訳か、この巫女の答えが知りたかった。
この少女だったらなんというか。
「蟹なんてなんだい? とかでいいんじゃないのかな」
「はっ?」
彼女はちょっとふざけながら、
「大切なのは自分で決めることさ。いつだって、とりあえず自分で考えて結論をだしておけば、流されるよりは後悔の度合いが少ないってもんだよ。だから、なんて答えるかは問題じゃなくて、口ごもらずに言ってみることが大切なんだと思うよ。ねえ、京一」
「僕に聞いても何とも言えないよ。それより、撤収は明日ということにして今日は帰ろうよ。もう遅いから」
「そうだね。〈蟹法師〉の棲家の検証は明日に回しておこうか。あとでこぶしに連絡しておくよ」
私の半分ほどしか生きていなさそうなのに、なんて達観した娘なんだろうと私は憧憬にも似た気持ちを抱くしかなかった……。
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