第152話「妖怪〈蟹法師〉」



 突然現れて、肩の上に座り込んだ巫女に対して、荒法師は右手のハサミを不自然な体勢のまま振り回した。


「おっと」


 巫女はハサミが自分を切り刻む前に、横に回った。

 荒法師の首を両手でしっかりと抱きかかえたまま、そこを支点にして。くるりと。達磨のように。

 その際に荒法師の剛毛のヒゲの生えた顎を掴み、首をへし折るかのような勢いまでつけて。


『ぐおっ!!』


 荒法師はかろうじて自分の首を押さえることで、巫女の回転によって骨が折られる事態を防いだ。

 間一髪といったところだったのか、荒い息を吐いている。

 一方の巫女はというと、首の骨を折ることができなかったのが悔しそうではあったが、それ以上は執着することなく畳の上に着地した。

 あまりに身軽なのでアクロバティックとしか思えなかった。

 私は失敬ながら巫女というものに対しては、鈍重なイメージしか持っていなかった。

 コンピューターゲームとかでは基本的に治癒の魔法を使う回復役というポジションが多いし、着ている白衣と緋袴は野暮ったい厚着がメインだし。

 それなのに、目の前の巫女は私の知っているどんなアスリートよりも機敏に動いているのだ。

 体操の内村や白井と比べてみても、キレの鋭さが彼らと互角以上である。

 どれほどの修練を重ねればあんな風に動けるようになるのだろうか。


『―――巫女め』


 荒法師がカニのハサミを突き付ける。

 その流暢な開閉の動きは、どう見ても作り物とは思えない。

 まるで肉体の一部であるかのように。

 まさに身に馴染んでいる、というのに相応しい。


「そいえば、さっきそこの彼に問答を挑んでいたそうだね。確か―――両足八足大足二足、両眼天を指すもの、それは何者』とかだろ?」


 細部は違っていたが、巫女が口にしたものはさっきの荒法師が発した問いと同じものだった。

 聞いていたのだろうか。


「〈蟹法師〉、あるいは〈蟹山伏〉、〈蟹坊主〉。我が国のどこにでもある妖怪話の一つだが、そこでは必ず化けガニによる問答勝負がある。御題はいつも決まって、『両足八足大足二足、横行自在にして、両眼天を指すもの』の正体を問うものだ。……さて、京一」

「なに、御子内さん?」


 気がつくと、私の隣にさっきの高校生の少年がいて、片膝をつくと抱き起してくれた。

 もう運動をしなくなった身体はさっきの衝撃による痛みで動きにくくなっていたから助かった。

 彼の貸してくれた肩に寄りかかって立ち上がる。


作麼生そもさん。答えはなんだい?」

「説破。そいつは“蟹”だね。……足が八本、ハサミが二本、横に動いて、両目が飛び出ているものなんてだいたい蟹だから。まあ、ザリガニの可能性もあるけど、ザリガニって横には歩かないから」

「そうだ。―――答えは〈蟹〉さ! さあ、〈蟹法師〉。正体を見せろ!」


 御子内と呼ばれた少女は、荒法師目掛けて指をつきつける。

 すると、荒法師―――御子内の言い分からすると〈蟹法師〉はいきなり変貌を開始した。

 さっきまで普通だった顔から両目が飛び出してきて、棒の先に眼球がくっついたような気持ちの悪い形になった。

 それだけでなく、長い皺が寄ると口が耳まで裂けて、赤く長い舌が伸びてきて舐めずる。

 襤褸とはいえ僧のものに見えていた袈裟や衣が内部から膨張していき、上半身だけがやたらとでかくなっていく。

 パンパンと衣服の内部から弾け飛ばんばかりの巨体に変化した〈蟹法師〉は、突出した眼球で巫女を睨むとハサミを伸ばして前に出た。


「こっちです」


 私は少年に連れられて外に出た。

 こちらが安全圏に出ると同時に、廃寺のお堂の内部では巫女と〈蟹法師〉の夢幻的な戦いが開始される。

 突き付けられたハサミを掻い潜るようにして、御子内は円を描く。

 だが、二人の身長差は三十センチはあるだろう。

 どんなに動き回っても、御子内の間合いよりも相手のものの方が広い。

 ハサミが振りかぶられて、そのまま叩き付けられる。

 御子内はそれを躱したが、それ以上のことは何もできない。

 それだけ早くて恐ろしい一撃なのだ。

 ハサミの先端が畳を切り裂き、大きな傷跡を残した。

 あんなものをまともに受けたら絶対に死んでしまう。

 刀で切りつけられるようなもので、あの馬鹿力っぷりでは下手をしたら真っ二つにされてしまうだろう。

 踏み込んだら即死しそうな暴風のあそこに踏みとどまっていられるだけで、御子内という少女は凄い。


「あそこを見てください」


 少年に促された先には、白い舞台のようなものができていた。

 一見すると、白い布のかぶさった四角い台のようだったが、私にはすぐになんだかわかった。

 趣味として毎週通っている場所にあるものとそっくりだったからだ。


「あれはリングじゃないか?」

「ええ、まあ、そうですね。コーナーポストとかを立てている余裕がなかったんで土台の上にマットを敷いただけの造りですけど」

「どうして、こんなところに? もしかして、君が?」

「……はい」


 なんとなく歯切れが悪い。

 しかし、プロが設営したもの並みにしっかりとした造りのようだった。

 たまに見掛ける学生プロレスの杜撰なものと比べ物にならない完成度だ。

 思わず見惚れてしまった。


「いい出来だ! しかし、やはりコーナーポストがないのは残念だな。これだと、プロレスの華であるロープワークができない!」

「喜んでもらえて恐縮です」

「だが、どうしてこんなところに。どこかの団体が来ているのか? IGF? リアルジャパン? 大日本?」

「いえ、そういうプロのものではなく……」

「じゃあ、なぜ、こんなところにリングが!」


 矢継ぎ早の疑問を薄笑いで誤魔化しつつ、少年はリングに近づくと、私を上に押し上げた。


「いや、土足だとまずいよ!」

「構わないのでどうぞ。そもそも、そこに上がる連中の半分は土足ですから」

「どういうことだい?」

「―――あ、来たようですね。いいですか、僕の指示に従ってください。でないと、あなたも危険ですし、僕の御子内さんまでピンチになりますから」


 それだけ言うと、少年は後方にある廃寺へと叫んだ。


「御子内さん、準備できた! そいつを連れて来て!」

「わかった。今行くよ!」


 壊れかけていた壁を突き破り、巫女が姿を現した。

 着地の寸前にまたも体操選手もかくやという捻りを見せて、スピードを殺さない工夫をするところがさすがだった。

 ブレーキ役を務めるつま先を極力使わずに踵だけで動くというバランス移動だ。

 だから一瞬たりとも止まってはいないように感じる。

 それから全速力でこちらにむかってきて、リングに駆け上った。

 わずかに遅れて〈蟹法師〉が出てきた。

 こちらは纏っている袈裟がところどころ派手に汚れている。

 さっきまではなかった汚ればかりだ。

 つまり、一方的に〈蟹法師〉が攻めたてていたのではなく、御子内も相応の反撃はしていたということだろう。

 こっちはこっちで憤怒の表情のまま、大ハサミを凶器のように掲げながら走ってきた。

 御子内はマットの上で振り向き、


「さあ、こい! 妖怪〈蟹法師〉! ボクとキミのターゲットはここにいるぞ!」


 そして、〈蟹法師〉が追い付いてきてリングに上がった時、カアアアアンとゴングの音が響き渡った。

 どこにそんなものがあるのか、と思って見渡すと、高校生の少年が手に金色のゴングを抱えていた。


「そ、それは?」

「普段のものより出来が良くないんで、とりあえず用意しておいて良かったですよ。これで〈結界〉が作用する。ようやく、御子内さんの反撃が始まる!」


 その言葉通りに、さっきまでとは動きが倍近く違う巫女の反撃が開始されていた。

 まるでムササビのように迅く、虎のように荒々しい、野生の戦士のようでさえあった。

 

 

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