第146話「ヒトの本能」
〈追儺の鬼〉の周囲に風が渦巻いて、〈鬼〉は消えた。
次に現われたのは、消えたのとほぼ同時、明王殿の真後ろに太い右腕がハンマーのように振り下ろされる。
俺が我が目を疑っている間の出来事だった。
あんなものが当たったら即死しちまう!
しかし、そんなことにはならなかった。
なんと、明王殿が身体を90度ずらして半身になり、手を差し伸べてこれを受けたのだ。
〈鬼〉のものと比べて五分の一にも満たない細さの、まさに繊手とも呼べる白い手で。
襲った〈追儺の鬼〉が驚く。
どう考えても力の差は歴然というマッチアップだというのに、力比べという一点だけを見てもほぼ互角なのだ。
もっとも、仰天したのは、それだけじゃあない。
〈追儺の鬼〉はさっきの会話の通りに瞬間移動を使って、明王殿の後ろに回り込んだというのに、眉一筋動かさずにそれを受けたことだ。
俺や〈鬼〉を片手で楽々持ち上げたことからわかっていたが、あいつの腕力は怪物の領域に達している。
あんな力があれば、それはあそこまで威風堂々と生きていけるだろうと嫉妬してしまうほどに。
ただし、それがあるからといって突然死角から放たれた攻撃を防ぎきれるもんじゃあない。
どうやったんだ、いったいよ?
「瞬間移動など奇襲以外には使えねえぞ。無拍子というわけでもないしな」
襲った方の〈追儺の鬼〉がぐぬぬと歯を食いしばっているというのに、余裕綽々の涼しい顔をしている巫女さん。
「どうやら修業らしいものは一切してねえようだな。力と呪い任せの〈鬼〉そのものということかよ。ちっ」
舌打ちをしてから、明王殿は右足を伸ばしたま腰を下ろした。
掛けていた力のベクトルが急激に変化したことで〈鬼〉が前のめりに体勢を崩す。あえて言うのならばつっかえ棒が外された状態だ。
どれだけ力が拮抗していたかがわかる。
おかげで頭部をお礼をするように〈鬼〉は下げる羽目になった。
逆に、下げた姿勢に連動させて明王殿は両手が縦に回転する。
シュバババと打撃音が響き、左右の掌が〈追儺の鬼〉の顔面を叩く。
一見すると張り手のようだが、実際は手のひらの堅い部分を使った掌打という奴だ。
さっきから明王殿が多用しているので、あれはあいつの得意な攻撃方法なのかもしれない。
しかもただのビンタでないのは明確。
〈追儺の鬼〉がマットに叩き付けられることになったのだから。
「オレの〈神腕〉とやりあうには弱すぎンじゃねえのか!?」
無様に倒れていた〈追儺の鬼〉がまた消えた。
今度は空中―――明王殿の頭上に現われる。
俺の部屋の枕を葬った鋭い爪が閃く。
「おっと」
爪の軌道を外すように身体をさばいて、二の腕と上腕部をがっしりと捕まえた。
そして、ロープに向けて投げ飛ばした。
先ほどとは異なり、〈鬼〉はロープに背中をぶつけるとその反動で中央に戻ってくる。
勢いをつけたまま戻ってくる〈追儺の鬼〉を明王殿が待ち構える。
左手を天に高々と掲げる。
「ゴールデン・アーム―――ボンバー!!」
その左手を喉輪の形から〈追儺の鬼〉の首に巻き付け、自分よりもはるかに巨体を持ち上げると、まるで投げ技を噛ますかのように体重をかけて、背中から叩き付けた。
持ち上げた一瞬、ぐぐんと揺らすところが特徴的である。
〈鬼〉得意の瞬間移動がされるまえのあっという間の出来事だった。
どうやら受け身もとれないらしい〈鬼〉は痛みで呻いている。
明王殿はダウンした敵を追撃しようともせず、コーナーポストにまで戻り、背中から寄りかかった。
「―――だせえ。さすがは生存競争を生き抜けない程度のやつだ。てめえなんぞ、そこの
明王殿はダルそうに言った。
どうして俺の名前がでるのかはわからねえけどさ。
「イジメってのは、野生や動物の世界にもある。生物の、自然な成り行きってやつだからな。群れの中に弱いのがいたら、集団でいじめて弱らせることで、群れを狙う捕食者に「弱い個体」を囮にして全体を無事に逃げ延びるためだ。緊急回避要員の生け贄ってことだな。そういう仕組みがあるんだ。もっとも、ニワトリや人間は弱い個体を死ぬまでイジメたりするけどさ。バカだから」
明王殿は言う。
「まあ、弱い個体を競争で排除して、種としての生存を確保するための本能かもしれねえがよ。つまりは、イジメられるやつは弱いやつなんだよ。よってたかって排除するのが相応しい」
ああ、そうだよ。
俺は弱くてダメだからイジメられた。
人間として弱いから誰も助けてくれない。
それが種としての総意だからだ。
ヒトにいらないと言われたんだ。
「〈追儺の鬼〉ってはそういう本能から産まれた儀式だ。穢れ―――要するにヒトとして弱いやつを追い立てることで社会を頑強にすることができ、使えない個体を消去する。どの時代、どの地域でも似たようなことはしているしな」
ヒトの世のシステムってことか。
「―――だが、たいていのイジメられっ子ってのはどれほど苦しい目にあっても、身体を傷つけられても、心が壊されても、死なずに頑張る。イジメられて死んでしまうのは全体からすれば数少ない。つまり、イジメられっ子っては実際はそれほど弱い個体じゃないんだ。地獄を生き抜く根性があるというべきか。そして、現在では〈追儺の鬼〉の発生事例は逆転している」
なんだ、何を言っているんだ、明王殿は。
話がおかしな方向に向かっているぞ。
「昔の〈追儺の鬼〉は迫害された穢れの主が負の感情を抱いて〈鬼〉になった。だが、追儺の儀式が歴史を経るにつれて変貌していったように、〈追儺の鬼〉になるべきものも変わっていく。―――以前は
明王殿は指を〈追儺の鬼〉につきつけた。
「生物の生存競争ではイジメられた弱いものは死ぬ。じゃあ、イジメられて死ななかったらそれは弱いものではないってことだ。逆に執拗にイジメても殺せなかったやつの方が弱いのではないかということになる。穢れは移り、今度はイジメられっ子がイジメの対象になるんだ。てめえのようにな」
―――よくわからないが、そういうことか。
あれは〈追儺の鬼〉ではあるが、イジメられっ子が負の感情をもって〈鬼〉になったものではなく、イジメっ子が〈鬼〉と化したものなんだ。
でも、どうして、俺がイジメっ子に狙われんだよ!
普通は逆だろ!
「自分たちのやったイジメが動画で拡散したからといっても、それは武徳くんの責任ではないし、第一あいつの仕掛けた罠じゃねえぞ。てめえらが周囲に疎まれるようになったとしたってな。誤解で妖怪になるまで恨むなんて、やっぱりてめえは生存競争に負けるていどの弱い奴ってことさ」
そこまで語ると、巫女は再びリングの中央に向かった。
神の力が宿っているかのごとき〈腕〉を振り回しながら。
「てめえの本体はまだ生きているらしいぜ。ここでお陀仏させたいところだが、きっつい気付けの一発をくれてやるから、とっとと目を覚ませや」
明王殿は拳を掌に叩き付ける。
「お喋りはもう終わりにするとしよう。〈神腕〉の明王殿レイ―――今から鬼退治を開始する」
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