第145話「不動の〈神腕〉」



〈追儺の鬼〉には腕に生々しい火傷の跡があるぐらいで、俺のクラスメートを思わせる部分はまったくなかった。

 金属タワシを思わせる毛むくじゃらの皮膚と捻じれた四肢を持つ巨人であった。

 耳まで裂けた口と鮫の歯のような牙の連なりは、どうみても獰猛な動物のものだが、眼に浮かんだ憎悪の色が否定しやがる。

 あんな目をした動物は―――いねえ。

 金しか頭にない最悪のブリーダーに虐待された動物たちですら、こんな不気味な視線はよこさない。

 あれは恨みと苦悶と憎しみに浸かりきったものの眼だ。

 負の感情で淀み切って嫉みと妬みを食んで存在するもの。

 うわ、これほど間近でしかも時間を掛けて観察するとこれほどまでに不気味だとは……。

 ニメートル五十センチはあるだろう長身は、上から舐めるように明王殿を見下ろしているほどだ。

 まるで大人と子供。

 それなのに巫女は怯みもしない。

 曝け出した腕を組んで、どっしりと仁王立ちをしている。

 何者も顧みぬ笑みが、そこに拍車をかける。


「でかいな。だが、それだけじゃないんだろ? おまえの動き―――縮地って訳じゃなさそうだし……」


 明王殿は噛んで含めるように一音節ごとに区切って、


「しゅ・ん・か・ん・い・ど・う―――だな」


 と悩殺でもできそうな色っぽい声を出した。

 思わず股間がムズムズする。

 あんなゴリラ女に反応してしまうとは……不覚。

 しかし、今の明王殿の台詞って……


「瞬間移動って……」


 俺はわりとオタなのでわかる。

 要するにテレポーテーションのことだ。

 超能力の一種で、時間ゼロで移動をするというものである。

 目にもとまらぬどころか目に映ることのない速さなので、ある意味では最強の超能力といってもいい。

 なんといっても、聞いた話では人間の反射速度は0.5秒。

 予測が出来ていてそれだから、相手が消えて、どこに出てくるかかがわかっていなければ反応なんて絶対にできないレベルなのだ。

 そこでようやくわかった。

追儺の鬼あいつ〉が俺の目の前から消えていなくなる理屈が。

 ただ、俺があいつの動きに反応できるはずはないから、俺が気づいたと同時に消えるようにしているのだろう。

 何故だって?

 そんなのはもう簡単にわかる。

 あいつの眼を見ればな。

 あの〈追儺の鬼〉は俺を苦しめて、苦しめて、最後に殺したいのだ。

 俺がやられてきたイジメの延長みたいなものだろう。

 だから、一思いに殺らない。

 あれだ、苦しめた方がいい味が出るとかいう変な調理法みたいにものだ。

 明王殿が俺を見たときのように、俺は食用に回される哀れな家畜なので、少しでも味を良くしたいのかもな。

 だから、ちょいちょい俺をイビり続けたのだろう。

 人目があると逃げ出すというのはよくわからないが。


「言っておくが、この〈護摩台〉の結界に入った以上、おまえは瞬間移動したとしても外には逃げられんぞ。この上と場外の狭い場所以外はな」

「え、そんなもんがこのプロレスリングにあるのか!?」

「―――いいな、〈追儺の鬼〉」

「……おーい」


 俺の当然の疑問を明王殿は完全にスルーしやがる。

 まあ、仕方ないのはわかる。

 あいつはあの〈鬼〉と対峙しているわけだし、気が抜けないのも。

 戦いの舞台に立っているのだから。

 だが、明王殿の手には呪符とか祓い串の類いもない。

 どうやって戦う気なのだ。

 まさか……素手……とか?

 炸裂ファイターじゃあるまいし。

 と、高をくくっていたら、


「フンが!!」


 明王殿の突き上げるような重い拳が〈鬼〉のどてっ腹に叩き込まれた。

 鉄みたいな腹筋に手首まで突き刺さっている図は圧巻だ。

 というかとんでもない音がしたぞ。

 人間のパンチが出していい類のものじゃねえええええ!


「どっせい!!」


 次に明王殿が左手を振るうと、それはビンタとなって〈追儺の鬼〉の横っ面をはたいた。

 はたいたという言葉が軽く感じすぎるほど、トラックにでも跳ね飛ばされたような勢いで何回転もして〈追儺の鬼〉はロープまで飛んでいく。

 ロープにぶつかっても帰ってこない。

 あまりの勢いにそのまま場外へと飛び出してしまったからだ。

 しかも俺の目の前に。


「ひええええ!!」


 情けない悲鳴を上げて俺はその場を逃げ出した。

 一回転して、リングの反対側まで行って、〈追儺の鬼〉との間に明王殿が入るような位置をキープした。

 これで一安心だ。

 少なくともあいつが直に俺のところにやってくることはない。

 明王殿を盾にするだいぶクズみたいな発想だが諦める。

 だって、明王殿の方が俺よりも一億倍は強そうなんだぜ。

 あんな巨大な化け物をビンタで吹っ飛ばす女なんて、ゴリラよりもきっと強え!

 さらに言うと、渾身の一撃ってわけでもない無造作に腕を振っただけの動きしかしていないのにあのパワーはまったく信じられねえ。

 物理的にあり得るのか、可能なのか?

 ここでようやく俺は明王殿が巫女であるということを完全に信じた。

 百聞は一見に如かずとはまさにこのことだ。

 とは言っても、巫女が素手でリングの上で〈鬼〉と戦うという絵面の荒唐無稽さに関しては今だに納得できないが。


「スゲえぞ、明王殿―――さん……」


 呼び捨てにしたら鬼よりも怖い顔で睨まれた。

 思わず敬称をつけてしまう。

 やっぱり、あいつ、ヤンキーに違いないぜ……。


『貴様、貴様アア!!』


〈追儺の鬼〉の形相はさすがに化け物そのものらしく迫力満点であった。

 あんなものを見てしまったら人はもう夜には眠れなくなってしまうかもしれない。

 ただ俺は大丈夫かもしれない。

 何故ならば目の前に明王殿の背中があるからだ。

 俺の人生においてここまで他人に見惚れたことはない。

 自分の命を押し付けても悔いることのない他人というものを感じたことも。


「おいおい、場外で吠えるだけでは始まらんぜ。すでに鐘は鳴っている。来いよ、イジメっ子。てめえが生存競争に負けたからといって逆恨みはみっともないぜ」


 明王殿が〈追儺の鬼〉を手招く。

 だが、今、あいつはなんて言った?

「イジメっ子」とか言わなかったか?

 あの〈鬼〉に対して。


『ぐおおおおおお!!』

「図星だろ? さっき京一くんに確認してもらったから、もうおまえの正体は知れているんだぜ、〈追儺の鬼〉」

『貴様アアアア』

「ちっちぇえ奴だな。まったく、そこの武徳たけのりくんの方がまだ見込みがあるぜ。これだから、他人をイジメる程度のことしかしない奴はイヤなんだよ」


 ロープを掴み、リングに昇ろうとした〈追儺の鬼〉の顔面を明王殿ががっと握りしめた。

 アイアンクローだった。


「オレの〈神腕〉。その甘い根性のままで、食らってみるがいいさ」


 そういうと明王殿は遥かに巨大な〈鬼〉をリングにまで引きずりあげる。

 退魔巫女・明王殿レイ。

 ホントになんて奴なんだろう!




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