第144話「プロレスリングは巫女の舞台」
労働を始めて一時間で俺は音をあげていた。
自慢じゃないが、俺はインドア派で力仕事なんて滅多にやらない。
だから、うちの高校の体育館に搬入された資材を、設計図通りに組み立てるという仕事もほとんどひいひい言いながらやらなければならなかった。
最初のうちは、俺から離れたところでストレッチみたいなことをしていた明王殿も、そのうちに手伝ってくれるようになった。
だって、一人でできる量じゃないんだぜ。
明王殿は女だが、異常に力のある奴で俺の三倍ぐらいはテキパキと重い鉄筋なんかも運ぶのでだいぶ楽になった。
ただし、こいつが俺に向ける視線には優しさは欠片もない。
『あら可哀想な豚さんね。もうすぐ食肉処理場に運ばれてしまうけど仕方ないわね』
というような冷めた目で見るだけだ。
文句を言ったら、
「あー、或子のところの助手の方がいいなあ。てめえ、貧弱すぎて見込みがねえわ。何かとグチグチ文句垂れるし、根性はたりねえし」
と呆れられた。
かなり俺への明王殿の評価は落ちているようだ。
何かというと、友達の助手はいいなんて言うから、「そいつに頼めばいいじゃねえか」と言ったら、何か顔を真っ赤にして「無、無理だぜ。あいつ、頼めばやってくれるだろうけどさ……」と乙女な顔をしやがる。
美人ではあるがこんな力持ちでゴリラみたいな女がそういう顔をするとムズ痒くなるな。
そいつに気があるのが見え見えじゃねえか。
「オレのことはどうでもいいから、てめえはさっさと設営を終わらせろ、コラ」
「いや、もうすぐ終わるけどさ、ホントに大変なんだって……。でもさあ、これってさあ」
「なんだよ」
「怒らないで聞いてくれよ。おまえは結界のための〈護摩台〉だっていうけど、これってどう見てもプロレスのリングじゃね?」
俺は疑問に思っていたことを口にした。
まず、最初に体育館の床にブルーシートを丁寧に敷いて、六メートル四方に鉄製の柱をおっ立てる。
次に立てた柱の下に木の板を置き、さらに梁を掛けてしっかりと固定する。
それから、また木の板とマットレスを交互に敷き四つ折りになっていたキャンパスを重ねて、ついでに輪になっていた三本のロープを張って、
怪我をしないようにマットをそれぞれ四方に配置して出来上がりということなのだが……。
だいたい六時間ぐらいかけて出来上がりつつあるものはどう見たって、プロレスで試合をするためのリング以外の何物でもなかった。
俺が想像していた結界とか護摩壇的なものとは明らかに違う。
明王殿が怖くて完成直前まで言わなかったが、できそうとなれば言わせてもらおう。
「なんで、俺がプロレスリングを作らにゃあならんのだ!」
だが、明王殿は平然と、
「なんでって? オレがあの〈追儺の鬼〉と戦うための舞台だぞ。妖魅の力を軽減させ、退魔巫女の力を増幅させる結界を張るための最適な舞台だ。これがないといくらオレでも苦戦するから用意させたんだが、なんの問題があるんだ?」
俺の質問をばっさりと切り捨てやがった。
こいつには巫女のためにリングを作るという奇天烈な行動が変に違いないという思考がないようだ。
でも、それっておかしいだろ。
世間一般においては巫女というものはリングで戦ったりしない。
フィクションの世界で考えてみれば、東の方で主に空を飛ぶ程度の能力しかない巫女だってやらないし、麻布十番に住むセーラー服着たりする巫女だってお札と火力が戦いの基本だ。
錯乱坊の姪だって暴力は振るうがリングでは戦わないだろう。
なのに、これが必要っていうのか!
思わず小一時間ほど問い詰めたくなったが、明王殿の鋭い眼光に黙らされた。
だって怖いんだもん。
「まったく、ホントてめえは口ばっかりだ。京一くんの爪の垢でも飲ませたいぜ」
悪かったな。
あんたのお気に入りのイケメンほどじゃなくて。
腹が立ったので文句も言わずに頑張ることにすると、意外と力が出てくるのか、それから一時間もかからずに〈護摩台〉は完成した。
どう見てもプロレスリングだけどさ。
「よし、そろそろやるか」
明王殿がリングの真ん中に立った。
俺を手招きするので近寄ったら、首の根っこを掴まれて、上まで引きずりあげられる。
それを片手でするのだから、この女はバケモノだ。
俺だって体重は六十キロはあるし、激しく暴れたからそう簡単に掴み上げられるものではないのに、こいつは楽々と俺を持ち上げる。
さっきも十キロはあろうというリングの金具を平然と幾つも運んでいたし、馬鹿力なのは疑いのないところだ。
「な、なにをしやがる!」
「黙れ。ちょっと正座しろ」
「はい」
俺は抵抗もせずにマットの上に正座した。
もう条件反射、パブロフの俺だ。
ただ、明王殿はそんな俺を気にもせずに叫んだ。
「おい、こいつを狙っている〈追儺の鬼〉! 貴様がこいつを狙っていたとしても、オレを倒さなければ指一本触れることはできねえぜ。わかっていると思うが、オレがいる限り貴様の呪いは成就しねえ!!」
その言葉に応えるように、体育館の入り口の付近に黒い影がぽつんと現われた。
〈追儺の鬼〉。
明王殿が呼んでいる〈鬼〉だ。
恨めしそうな眼で俺と明王殿を睨んでいる。
「こいよ、〈鬼〉。他人の眼が怖いようだが、〈鬼〉としての呪いを成就したければオレを倒すしかねえぜ」
〈追儺の鬼〉は一歩近づいてきた。
「世の穢れを押し付けられた仮装鬼であるおまえが自由になるためには、おまえをそんな風にした原因を殺さなくちゃならないからな。さっさとリングに上がれ。おまえがこいつを殺すためにだ」
なんてことを唆しやがる。
俺は死にたくないし、そのためにあんたはここに来たんだろうが。
恨めしそうな陰気な〈鬼〉はついにリングの傍までやってきて、のっそりと登ってきた。
でかい。
猫背だが、まっすぐに立ったらきっと明王殿の二倍はある。
そいつが上から俺たちを見下ろしていた。
血走った赤い双眸で。
「よく来たな。おまえ、そんなにこいつが憎いか」
明王殿は一切の怯えのない声で聞いた。
『殺してやるぅぅぅぅぅ。おまえさえいなければ、おまえさえいなければあああああ!』
〈追儺の鬼〉が絶叫した。
やっぱり俺を相当恨んでいるらしい。
とはいっても、俺はイジメられていた側で、本来おまえが恨むのはイジメていた方だろ、と思ってしまう。
きっとこいつの正体は、あのクラスメートに違いない。
だって、腕についている火傷の痣はどう見てもガソリンをかけられたというあいつのものに間違いないからだ。
ただし、あいつはまだ生きているから死霊というわけではなさそうで、生霊とかそういうものが〈鬼〉になった姿なのだろうか。
どう見ても鉄板でも切り裂けそうな爪と、尖った牙が、震えがくるほどに恐ろしい。
よくこいつの前で明王殿は正気を保っていられる。
さすがは巫女というところだろうか。
「いいぜ、逃げ隠れをやめた姿勢は評価してやらあ。ただなあ、おまえ……」
明王殿は正座した俺の首根っこを再び掴むと、ゴミでも捨てるかのようにポイっとリング外に放り投げた。
自分で敷いたマットのおかげでケガをせずに済んだが、とりあえず酷い扱いすんな!!
「……てめえが弱いということのショックを他人に
明王殿が啖呵を切ったと同時にどこからともなく、カアアアアンというゴングの音が鳴り響いた。
なんだ、今のゴングは誰が鳴らしたんだ。
見渡しても誰もいない。
ただ、リングの上にいる明王殿と〈追儺の鬼〉はまるでプロレスの試合でも始まったかのように正面からぶつかり合っていった……。
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