第143話「妖怪〈追儺の鬼〉」



 事の発端は良く知らない。

 クラスメートの一人がなんかダルそうにしているな、と思ったことぐらいか。

 イジメというものがあると、被害者になるイジメられっ子には共通の変化があるようだ。

 あまりにもストレスが溜まりすぎて、バイタリティとかモチベーションが欠如していき、ダルそうになるのである。

 普段の動きが緩慢になって、忘れ物が増えたり、ぼうっとしていることが多くなる。

 実際のところ、俺もそんな風になっていたと思う。

 そういうのをイジメの兆候とかサインとかいうらしいけど。

 ダルそうにしていた男子がそのうち、腹なんかを押さえだしたりしても、まだ俺は何も気がつかなかった。

 さすがに変だと気がついたのは、スマホの着信音に怯えだした時かな。

 しかも、耳に当てての第一声が、「ごめん」と謝りだしたので、おかしいと思った。

 着信音が鳴ったらすぐに出ているのにだぜ。

 そこには、相手の気分を損ねてはいけない上下関係のようなものが存在していた。

 俺はここでピンときた。

 様子を窺うと、他にも同じような感想を持っているのがいるらしいこともわかり、「ああ、イジメだな」と推測できた。

 とはいえ、俺のクラスにはそいつをイジメるようなやつらはいなかった。

 少なくともクラスメートには。

 注意してみるようになると、体育のときの合同授業の時に、そいつにやたらと絡む連中がいることに気がついた。

 五人ほどいて、隣のクラスの連中だ。

 全員顔は知っていたが、名前は一人しか知らない。

 そいつらがイジメっ子だったという訳だ。

 さりげなく会話を聞いてみると、どうも中学が一緒で予備校も同じという関係らしい。

 しかも、カツアゲのような真似をさせられていると。

「ゴチになります」とかいう例の長寿番組を真似てファストフードを奢らしたり、親が病気だからと見舞金を出させたりとかしていたようである。

 さすがにどうしようかと思った。

 そいつへのイジメは見てみぬふりをしたくなかったが、巻き込まれんのは俺も嫌だ。

 イジメグループはわりと優等生っぽく振る舞う連中なので、下手にとばっちりを受けて教師の心証を悪くしたくないし、被害者のクラスメートともそんなに親しい間柄ではない。

 エスカレートしていくのはわかっていたけれどどうしようなかった。

 ただ、そんな心配は杞憂に終わる。

 何故かっていうと、とても簡単だ。

 ターゲットが俺になったからだ。

 心配している暇どころか、当事者にまでとなった訳。

 理由も簡単だ。

 最初の被害者となったクラスメートが、俺を「売った」のだ。

 特に理由もない理不尽な動機でそいつらに絡まれるようになると、同じようなパターンで俺も変わっていった。

 登下校の最中にやってくるのだ。

 もともとボッチ気味の俺だったので、庇ってくれる親しい友達もおらず、すぐにまとわりつかれて離れなくなっていった。

 しかもまずいことに、イジメグループの一人の弟がうちの弟と同級だったのだ。

 うちの弟は俺に輪をかけて内気なタイプで、何かされたらすぐに死んでしまいそうなぐらいに気が弱いから、あいつを人質にとられたらもうダメだった。

 母親がケチなので金は自由にできなかったこともあり、カツアゲ被害こそ少なかったが、もう俺を人間としては見ていないらしい奴らの激しい殴る蹴るが繰り返されるようになった。

 例のクラスメートは「財布」として機能するだけで、奴らの日頃のストレスの発散のために俺は使

 具体的に思い出すのは億劫なので箇条書きにすると、

 ・殴る蹴る → 日常

 ・体育のジャージを水浸しとか汚物まみれにされる

 ・教科書・副読本の類いを棄損させられる

 ・水の入ったバケツに顔を突っ込まれ、腹を蹴られて痔になりかける

 などの深刻なものを受け捲った。

 当然、俺も生き残るためにやることはやろうとしたけど、まず担任というか教師陣が信用できなかった。

 ちょっと前に、生徒間で問題が発生した時、クレームをつけてきたいかつい保護者に対して担任が土下座するシーンを見ていたからだ。

 保護者の言い分は理不尽なもので、学校側が頭を下げる、ましてや土下座なんかをしていい場面ではなかった。

 それなのに場を収めるための大人の対応だと、受け持ちの生徒がいるだろう場所で土下座をしてしまったのだ。

 彼らは、教師と保護者間の大人としての行動だと考えていたかもしれないが、生徒―――というか子供はよく見ている。

 信頼に足りる大人であるかどうかの判断を常に観察しているのだ。

 だから、うちの担任や教師陣は、困ったときに正しいことを主張するのではなく、その場凌ぎの逃げに走る人間だと見抜かれてしまっていた。

 そんな大人をイジメられっ子は「先生は助けてくれない」「助けてくれないだけでなく、相談にも乗ってくれないだろう。仮に乗ってくれても何もしてくれないだろう」とみる。

 逆にイジメっ子は「バレたとしても先生は何もできない」と決めつける。

 特にバレないイジメをするような狡猾な生徒は大人や周囲の顔色を窺うことに長けていて、いい子の仮面を被っている。

 大人を見極める術をもった子供ガキというのは恐ろしいものだ。

 だから、俺は担任に相談もできず(成績があまりよくない生徒というのは、教師に話しかける権利がないと思っているような男だったということもある)、エスカレートするイジメに耐えきれなくなっていった。

 だが、そんなある日、おかしなことが起きる。

 俺を殴る蹴るしている映像がネットの動画サイトにアップされたのだ。

 イジメグループはそのまま素顔で、俺のところだけモザイクがかかっていた。

 もっとも、俺だけでなくて他にも別の人間へ暴行を加えている映像もあったので、俺は被害者の一人という位置付けではあったが。

 そこからは急展開だ。

 動画はすぐにSNS上を駆け巡り、すぐにまとめサイトができて、匿名掲示板にスレッドができて、検証Wikiなんかもできた。

 まあ、誰かが糸を引いていたんだろう。

 あっという間にイジメグループは有名になり、処分を受け、一人がおかしくなって、ガソリンを持ち出して例のクラスメートに火をつけるという事態になった。

 刑事事件になるとさすがに色々と変わってくる。

 俺はさらに目立たなくなり、むしろ直近・喫緊の被害者であったはずなのにほとんど表に出ることもなく、誰にも顧みられなくなった。

 なんだってんだ、と思うまもなく。

 で、一人が死んで、しばらくしてからあの鬼が俺を付け回すようになったということであるのさ。



          ◇◆◇



「……て、こんな感じだよ。―――です」

「誰も敬語使えなんて言ってねえだろ。普通にタメ語で喋れ」

「そうはいってもですね……だぜ」


 どうもイジメられていたという時期があっただけでなく、俺は強圧的なやつに対して下手に出やすい性質らしい。

 屈服しやすいというか。

 だから、ちょいちょい情けない反応をしてしまう。


「いいよ、普通で。まあ、てめえは黙っていても余計なことをペラペラいって癇に障ることをしでかして墓穴を掘るタイプみてえだけどな」

「そんなことは―――ないぜ」

「あるな。まったく、オレのダチの助手みてえに弁えていればいいのに、てめえときたらいらねえ一言をいいまくりそうだ」


 ……俺って、そんなお調子者か。

 まあ、口が軽いのは知っているけどよ。


「だが、だいたいのところはわかった」

「そうなのかよ? で、あのバケモノはなんなんだ!」

「―――〈追儺の鬼〉だな」

「ついなのおに?」

「ああ」


 ……このヤンキーというかガテン系の巫女が言うには、追儺ついなとは、大晦日に宮中で行われる年中行事の一つである鬼払いの儀式のことをいうらしい。 

 今の節分のルーツであり、季節の変わり目に発生する邪気を追い払うことを目的としているそうだ。

〈追儺の鬼〉とは、その際に祓われる邪鬼のことであるが、儀式においては鬼に仮装した人間が追われることで表現される。

 鬼を祓うは方相氏ほうそうしと呼ばれる役人であったが、時が進むにつれて、この方相氏が鬼の役になっていったという。

 もともとは役人であったものが、鬼を代表する穢れの象徴として災厄を晴らすための犠牲となっていく過程は、社会において悪役やピエロが意図的に作り出され、彼らを迫害することでまとまるコミュニティの残酷さを思い知らす結果と酷似していた。

 要するに作られた差別によって社会を円滑に回すという人間の恐ろしさの現われともいえるかもしれねえ。

 そして、当然、そういう淀んだ儀式によって憎しみや苦しみが生まれ、人の情念が塊となり〈鬼〉になるんだそうだ。


「―――最近ではよ、〈追儺の鬼〉ってのはイジメやらなんやらで苦しみ抜いた人間が最後に変貌する化け物としての〈鬼〉のことを指すようになったんだ。なんつーか、世の中にはイジメが溢れてんだろ? だから、わりと頻繁に発生する邪鬼なんだよ」


 なるほど、よくあることなのか―――って納得出来っか!


「……あんたは見たことあんのか?」

「〈鬼〉の類いなんて、普通によく見かけるな。ぶっちゃけた話、オレだって何体も倒してきたことあるし」

「何体も!」


 軽く聞き逃すところだったが、これが本当だとしたらとんでもない女ということにならないだろうか。


「だって、オレは退魔巫女だぜ? 仕事でやってんだから、ルーティンワークっぽくよく来る作業でしかねえよ」


 この巫女―――レイというらしいのだが―――はまったく恐れることもなく、屋根の上の〈あいつ〉を睨みつけた。


「とりあえず退治すっか。とはいえ、〈護摩台〉を用意しなきゃならねえから、それはてめえがやれ」

「〈護摩台〉?」

「ああ、退魔巫女が戦うためのフィールドのことさ。資材はてめえの学校の体育館にもう用意してあるらしいから、今夜中に設営して終わらせっぞ」


 俺はよく映画であるような木を組んで作るキャンプファイヤーみたいなものを想像した。

 こんなガテン系みたいな格好していても、きっと「ナウマクサンマンターボダナン」とか「キューキュージョリツリョー」とか呪文を唱えたりするんだろう。

 ちょっと燃えてくるものがあるぜ。

 巫女さんによる祈祷合戦か。

 

「―――あんたはどんな呪文を唱えるんだ?」


 思わず聞いてしまった。

 だが、明王殿レイは怪訝そうな顔をして、俺の目の前に掌を掲げると、


「何を言っているんだ? オレは〈鬼〉をビンタして張り倒すだけだぜ」


 と自信満々に言う。

 この時の俺はまだ、こいつの言う「ビンタで張り倒す」という言葉の意味を比喩的な意味だと解釈していた。

 まさに文字通りの意味だとは想像もしなかった。



 この時は、まだ……。




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