第142話「正座とヤンキー巫女」



 目を覚ますと、目の前にがいた。

 しかも、鋭く尖った爪を振りかざして、俺の喉元に突き立てようとしていたところだった。

 あまりに恐ろしくて、咄嗟に毛布の中に顔を突っ込んだおかげで、偶然にもその一撃を躱すことができたのは運が良かったといえる。

 生来の臆病が初めて俺を生かしてくれたのだ。

 間一髪のところで、枕がそば殻を撒き散らして切り裂かれる音がした。


「うわああああああ!!」


 思わず毛布ごと両手を突き上げると、堅い何かにぶつかった。

 鬼の胸板だろう。

 恐ろしくなって毛布をずり下げても、そこにはもうなにもいなかった。

 夢かと思っても、枕の残骸が虚しく現実であることを告げやがる。

 サイアクだぜ……。

 俺が抵抗したからいつものように怖気づいたのか、やつはもう逃げていた。

 キョロキョロと自分の部屋を見渡すと、窓の隅に外からこっちを観察している鬼がいた。

 こそこそした小心者の癖に、こちらが油断をしているとすぐに寝首を掻こうとする気持ちの悪いやつだった。

 おかげで、おいそれと寝れやしねえ。

 ま、疲れたからといってベッドに横になった俺がバカだったんだけどさ。

 せめて人目が切れない場所にいないと、すぐにあいつに狙われるってのによ……。

 俺は制服を着ると、学校指定のカバンを持った。

 せめて高校にでもいれば、あいつはやってこない。

 人目につくことを極端に恐れ、誰もいないところでしか姿を現さない鬼にとって、生徒や教師が山のようにいる昼間の学校は怖くて仕方のないところだろう。

 俺にとってもあまりいい場所ではないけれど、命が保証されるというのなら、是非にでも通いたい気分になるってえもんだ。


「……武徳たけのり、何かあったの?」


 ドアの外から母さんが心細げな声をかけてきた。

 ここ数日、奇行の目立つ長男を心配してんだろう。

 大丈夫だってのに。

 やつが狙ってんのは俺だけだから、母さんも弟も、あんまり役に立たない親父も、襲われることはねえよ。

 だから、心配すんなって。


「うるせえ、あんま、変な声たてんな!!」


 出してんのは俺だけどね。

 でも、そうでもしないと、窓の外からじっと未練がましく俺を欲しがっているやつがやってきちまうからさ。

 俺が元気なうちはきっと寄ってさえ来ないよ。


「ご、ごめんなさい……。下にいるわね」


 謝んなくていいってのに。

 それが最後の会話になったら嫌だろ、まったく。

 母さんの気配が消えたら、俺はこっそりと外に出た。

 靴を見れば、親父も弟もまだ家ん中にいるのがわかる。

 俺だけさっさと出掛ければいい。

 そうすりゃあ、あの鬼は俺について外に出て、こんな一軒家には戻ってこない。

 あんなのが屋根の上でうろついている家にいるのは、親父たちにはよいことじゃないだろうしな。

 他に出勤するサラリーマンや学生と並んで駅にいって、改札を抜けて、電車に乗って学校に向かう。

 ……いたよ。

 座席の上にある荷物を置く……なんていったけって? 棚みたいなところに横になってこっちを見てる。

 誰も気がつかないからとどうかは知らないけれど、いつもより大胆に俺を見てやがる。

 おっと、女子高生が上を見たらすぐ首をひっこめやがった。

 臆病者め。

 窓の外だと気がつかれやすいという浅知恵なんだろうけど、どのみち、こんな人が多いところで俺を見張ってたって無駄だってのに。

 そのくせ、電車を降りて、学校までの道のりは怖いらしくてどこにも見当たらない。

 学校でのイジメが原因らしい化け物だし、そんなもんかなと思わなくもないけどさ。


 ―――そうやって、放課後まで、顔も見せやしなかった。

 

 こう言うと俺がまるで寂しがっているみたいに聞こえるのが癪に障る。

 どうも俺以外にも見えるっぽいし、瘴気みたいなものがあるから勘のいいものには居場所が悟られるらしく、バレそうになるとすぐに逃げ回るのでイライラするのだ。

 俺だって殺されたくないけど、あんなチキンでうざったい野郎のせいで精神衛生が害されるのは腹が立って仕方ない。

 ただ、怖いものは怖いのだ。

 惨殺されたうちの枕の後追いはしたくないし。

 とはいえ、高校二年という立場では人気の多い場所に深夜の間だけでも居続けるってのは不可能だ。

 俺は駅前のベンチで頭を抱えるしかなかった。

 そのとき、はるか頭上でカアとカラスの鳴き声がして、


「てめえが、荘原そうばら武徳たけのりくんか?」


 ベンチのすぐ隣に誰かが腰掛けた。

 背もたれに深々と寄りかかり、足を大きく組んだ姿は大企業のトップ―――というよりもヤクザの組長のようであった。

 しかも俺の名前を、フルネームで呼びやがった。


「え、あ、俺? 俺のこと? 俺の名前を言った?」

「何、キョドってんだよ。てめえに決まっているだろうが。それとも、何か、てめえは鈴木一郎さんなのかよ!? ああん?」


 ああん、の言い方が間違いなくその筋の人物のようだった。

 もともとイジメられっ子に分類されるほどに、その手の人物に弱い俺なんかはもう足が竦みそうになる。


「い、いえ、いえいえ、滅相もない! 俺が荘原武徳でなんの間違いもないッス!!」


 必死で自己紹介をすると、隣のヤクザの組長は首に手をやってかったるそうに揉みながら、


八咫烏プロモーターに喚ばれて来てやったぜ。で、オレの今回の対戦相手はいったいどんな妖怪なんだよ?」


 と、面倒くさそうに言った。

 ここでようやく、俺はこのヤクザの組長のように貫禄のある相手が、

 腰まで伸びた艶のある黒髪をしたとてつもない美人だ。

 だが、清潔な白衣と緋袴、そして帯といういかにも巫女という格好は維持されているものの、両腕を強調するためにか肩のあたりで切断された袖部や、胴体に巻かれたタスキは確実に異質だ。

 緋袴だって膝あたりで二股になっているうえ、工事現場の職人さながらの紫色の派手な地下足袋とぶかぶかのニッカズボンはもう巫女のものではない。

 かろうじて、巫女の面影が残っているなという感じだ。

 たとえばだ?

 コードギアスのナイトメアフレームにボトムズのスコープドックの顔をつけて、「これがATです」っていうぐらいに変である。

 もっとも、俺はそんな些細なことは四の五の言わずに黙って頭を下げた。


「す、すいません! ごめんなさい!」

「おい、急に正座なんかしてんじゃねえよ!! 普通にそこに座っていればいいんだよ、普通に!! ……だから、ベンチの上でも正座すんな!! なんだ、てめえは!? イジメられっ子か!!  

 わざわざ喚び出されてきたけどよ、、てめえの謝罪と賠償なんか求めていねえって!! まったく、なんだ、てめえは……?」


 思わず土下座せんばかりの正座を始めた俺を、このヤクザ―――よりはヤンキー寄りかな―――みたいな巫女さんは面倒くさそうに見ていた。

 いや、だって、俺に染みついたイジメられっ子オーラとボッチ遺伝子がこういうタイプに逆らってはいけないと訴えかけるんだよ、マジで。

 だから、逆らいも躊躇いもせずに俺は正座してしまったのだ。


「すみませーん、俺には巫女さんの知り合いはいなくて、てっきり珍走団のレディースの方かと……」

「……昨日、八咫烏に手紙を届けさせたのはてめえだろ? オレはそいつを受けとったからここまでやってきたってのに、なんだこのうっとおしいのは」


 えっと、どういうことだ。

 もしかして、昨日、カラスに持っていかれたあの手紙のことを言っているのか。

 あんな胡散臭い、どうでもよさそうなものを信じて?

 まっさか?

 そんで、ゲゲゲの息子がやって来たっていうの?

 ヤンキーみたいな巫女だけどさ。

 ……でもさ。

 こんなことになるまで一度も信じたことないけれど、この世界には意外とそういうものが溢れていて、俺みたいな目に合っている連中が泣きつくところもあるのかもしれないって思った。

 でないと世の中は不幸しか残らないような気がするんだ。

 まあ、どちらかというと、俺としてはもう少し普通のがいいんだけど。


「て、手紙を書いたのは俺です! すんません、あんな手紙を信じてくれる人がくるなんてハナッから疑っていたもんで!」

「まあ、それがまっとうな反応だがよ。それにしちや、あの手紙にゃあきちんと書くべきものは書いてあったし、隅も丁寧に折られていて、いい感じだったぜ。助けてやろうという気持ちにさせられたぜ」

「マジっすか?」

「マジもマジだってよ。オレらの稼業じゃあ、喚んだやつに疑われるなんぞ日常茶飯事だし、そいつはどうでもいいや。許してやんよ。―――だから、正座をすんじゃねえ!!」

「ありがとうございます!!」


 やはり反射的に正座してしまう。

 セッキョーされるときのパブロフの犬状態である。

 長い間、イジメられっ子だったしなあ。 

 しばらく呆れた顔をしていた巫女さんが、懐からケースのようなものを取り出して、中から一枚の紙をだした。

 俺には名刺にしか見えなかった。


[退魔巫女 明王殿みょうおうでんレイ 携帯番号090-○○○○-○○○○]


 しかも、肩書と携帯の番号まで書いてあるので、完璧に名刺以外のなにものでもねえよ。


「じゃあ、最初から説明しろ、武徳くん。てめえをさっきから観察しているあの鬼についての全てを、な」


 鬼はずっと隠れているというのに、この巫女さんにはすべてお見通しのようであった……。


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