第147話「生きてりゃ強いさ」



 体育館が〈追儺の鬼〉の絶叫を受けて震えた。

 耳にしたものすべてがトラウマになりそうな、草花が枯れそうな、そんな呪わしい叫びだった。

 気の弱い小動物程度なら即死していてもおかしくない。

 それほどまで魂を凍りつかすマイナスのエネルギーを有した声に対して、俺は両手で耳を塞いだ。

 直接鼓膜を震わされるのが耐え難い苦痛でもあったからだ。

 だが、リングの上で〈鬼〉と一対一のままぶつかりあっている明王殿は平然としたものだった。

 拳を鳴らした格好で身じろぎもしない。


「虚仮脅しだな」


〈追儺の鬼〉の絶叫を、春のそよ風ほどにも感じていないらしい。

 しかも、〈鬼〉がまたもや瞬間移動を使って、あいつの後ろや頭上に次々と出現しても、明王殿は涼しい顔をしていた。

 消えて、現われて、消えての繰り返しでほんの一瞬だけ残像がでるからか、俺の眼には〈鬼〉が分身の術でも使っているかのようにしか見えない。

 リングを埋め尽くすように化け物が増殖していく。

 時間ゼロで、好きなところに移動でき、しかもそれを何千・何万回と繰り返すことができる。

 人間の眼では捉えることができない、まさしく「触れもしないスピードには、どんなパワーも通じない」という状態だ。

 明王殿の奇天烈なパワーだって、こんなに移動されまくったりしたらどうにもならないだろう。

 俺は今にもあいつが噛み殺されるんじゃないかと想像していた。

 ぶるっていた。

 異常な量の脂汗が垂れていく。

 足がガクガクしていた。

 もしも明王殿がやられたら、その後で殺されるのは俺だから、という訳じゃない。

 俺なんかを助けようとしてくれたいい奴が殺られちゃうのが我慢ならなかったのだ。

 ガラは悪いし、性格も大雑把だけど、明王殿はとてもいい奴だ。

 こんなところで化け物にやられていいはずがない。

 ただ、俺なんかじゃあいつの手助けはできない。

 見ているだけしかできなかった。

 明王殿が俺をちらりと見やった。

 情けない俺の、みっともない顔について、あいつはこう言った。


「なんて湿気た顔してんだよ。女が戦ってんだから、男がやるこたあ一つだろ」

「―――一つってなんだよ!?」

「声を上げんのさ。頑張れって。……京一くんなんかいつもやっているぜ」


 京一って誰だよ。

 そんな奴知らねえよ。

 他人と俺は違うんだ、この筋金入りの脳筋め。

 だが、おまえが言うんならやってやるよ。

 声を張り上げてやる。

 全身全霊を賭けていってやる。


「が、頑張れェ! 頑張れ、明王殿!!」

「裏返ってんぞ、声が」


 うるせえ、俺はこんなだから、誰かのために叫ぶなんて滅多にないんだぜ。

 その俺が必死で恥も外聞もなく応援するのはなあ―――


「明王殿、頑張れぇぇぇぇ!!」


 おまえに勝ってもらいたいからなんだよ!


「よし、見てろや。オレの勁悍なファイトを」


 会話の最中も四方八方を囲むように、消えては出現する〈追儺の鬼〉に対して、明王殿は構えを崩した。

 だらりと全身の力を抜き、ゆっくり歩きだす。

 だが、その歩き方は確実に普通のものとは違う。

 人間の身体の真ん中にある正中線を維持したまま、モデルのように左右へ揺れることが一切ない、ある意味では止まっているような歩き方だった。

 しかし、俺程度でもわかるのは、これは打ち込む隙が皆無に近いということだ。

 こんなものに仕掛けたら、敵は無謀な攻撃を強いられることとなるだろう。

 ただし、〈追儺の鬼〉は逆上しているのか無造作に動き出したように見える明王殿に対して背後のしかも腰から下の位置から襲い掛かった。

 そんな死角からの攻撃なんて躱せるはずがない。

 ところが、爪が柔肌を引き裂く寸前、その手は明王殿の右肘と右ひざに挟まれていた。

 防御とともに相手を砕く技なのだろう、凄まじい破壊音が響き渡る。

〈追儺の鬼〉の手が壊されたのだ。

 どうやって予測したのか想像もできないが、確かに明王殿は〈鬼〉の攻撃を見破っていたのだ。

〈鬼〉は再び消えて、今度も背後に出現する。

 ただし、今度も寸分のズレもなく突きだされた明王殿の掌の一撃がカウンター気味に入る。

 もう何の疑いもない。

〈鬼〉の瞬間移動は完全に見切られていたのだ。


「……攻撃の時のモーションを消せていないし、殺るぞ、殺るぞという意識を表に出し過ぎだ。どんなに速くても、そんなんではオレらにはタイミングが見破られて当然だぜ」


 明王殿はいとも容易いことのように説明した。


「それに、イジメっ子らしく手の出し方が姑息すぎて読みやすい。まあ、精神が幼稚なんだろうが、イジメなんてしている暇があったらもう少し自分を磨くべきだったな」


 もう瞬間移動も効かないとわかったのか、正面から唸りを上げて特攻してくる〈追儺の鬼〉に対して、


「おまえの馬鹿さ加減を悔い改めな」


 と、上体を完全に螺旋に捻り、足を一度抱え上げた勢いを活かし、そのまま右手をトルネードのように回転させて、右の掌を叩きつけた。

 ビンタなんてものじゃない、神の張り手。

 俺はその時に明王殿の背中に、名前のごとく不動明王のような荒ぶる神を目撃した。

 まさにG螺旋ジャイアントらせん!


「さらば!」


 明王殿の言葉通りに、その火山の噴火のごとき不動明王の一撃を受けて、〈追儺の鬼〉は燃えるように灰になって消滅していった……。



      ◇◆◇



「……おまえをイジメた挙句、逆上して、被害者にガソリンをぶっかけて火をつけたイジメっ子グループの一人があの〈追儺の鬼〉だ。被害者側の方が比較的軽傷で済んだのに、ドジこいて自分の方が酷い火傷をおったというバカのことさ」


 すべてが終わり、撤収という段階になって、手伝いにきてくれた明王殿の所属している〈社務所〉という組織の人たちと片づけをしていると、あいつが今回の件の詳細を説明してくれた。


「一人死んだと、てめえは言っていたが、実際のところは生きていたらしい。マスコミやらネットの追及を逃れさせるために死んだことにして、転校させるつもりだったらしいぜ」

「……俺や最初にイジメられていたやつが学校にいるのに、加害者側には手厚いよな」

「もっとも、意識はほとんど戻っていなかったらしく、三か月ほどベッドに寝た切りだったそうだ。で、つい四日ほど前、意識が少しだけ回復したが、現実を知って再び気絶したそうだ。やはり、世間的に悪逆非道のイジメっ子として名前と顔が広まってはどうにもならなくなったんだろう。生きていくのが辛くなって精神世界に引きこもったということだ。で、おまえを恨んで恨んで〈鬼〉にまでなったということのようだぜ」


 酷い話だ。

 勝手にイジメをして、逆恨みか。


「なんで、俺なんだよ」

「……あの出回った動画を見て、てめえが隠し撮りしたものだと誤解したんだろ。他にもあったのにてめえだけを標的にしたあたり、特に負い目やら罪悪感があったんだろうぜ。だから、てめえだけを執拗に狙った」

「―――勘弁してくれよ。ホント、碌な目にあわねえ。長い間イジメられていたと思ったら、今度はバケモノに襲われるしさ」


 明王殿は肩をすくめた。


「それで死んでいねえんだから、てめえは強いんじゃねーのか。末法の世でも生き残れるものが一番の強者だ。てめえみてえな殺されなかったイジメられっ子はそういうタフさがあるんだよ」


 まったく乱暴な物言いだぜ。

 元々強く生まれたのがはっきりわかる奴はいいよな。

 俺たちみたいなのは、少しずつ自分の強さ弱さを確認しながら生きるしかねえってのに。


「ほんじゃあ、オレは帰るぜ。明日も高校があるんでな」


 俺は目を剥いた。


「あ、あんた、高校生なのか!?」

「アアン? オレが女子高生で悪いのかよ。いっとくがよ、オレよりも遥かにイカレてんのにJK気取りのバカだって世の中にはいるんだぜ」


 いや、だって、こんな変人が普通に学校行っているとは信じられないだろ。

 まあ、別にいいか。

 一人や二人こういうのがいてもよ。

 そして、俺は最後に気になっていたことを聞いた。


「京一って誰なんだよ」

「んー、てめえが〈護摩台〉作っている間に色々調べてくれたダチの助手だよ。さっきの真相っぽいのもつきとめてくれたのは京一くんだ」

「―――そいつ、いい男なのか?」


 すると、明王殿は顔を少しだけ紅くして、


「ふ、普通だぜ。ち、ちょっと頭が良くて頼りになるだけでよ。―――てめえにゃ関係ないだろ!! じゃあな、あばよ!」


 と、あたふたと去っていった。

 去り際だけは何故かまっとうな女の子に見えやがる。


「ちっ」


 俺は舌打ちした。

 胸の奥でもやもやするこの感情を一刻も早く忘れたいのに、なかなか消えてくれないことを確認してしまったせいであった……。






参考・引用文献

 「いじめと探偵」 阿部泰尚 幻冬舎新書

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