第140話「祭り・ファイナル」



 リング上では、回転する卍の雲のようなものに乗って浮かんでいる分福茶釜のタヌキと、地上から応戦する御子内さんというわけのわからない状況になっているが、場外は意外と普通に試合が行われていた。

 いつのまにか、タイガー・ジェット・シンから豊かなあごひげのブルーザー・ブロディに変化していた芝右衛門狸と音子さんが真っ向からやりあっている。

 毛皮を巻いたレスリングシューズの底で踏みにじるように蹴ってくるブロディ=芝右衛門狸を躱して、腕投げ、足投げをする音子さんは華麗だった。

 覆面の下の美貌を知っていることもあり、舞うように戦う彼女はまさに戦士貴族である。

 あの狭い場外でここまで動くことができる人はそうはいない。

 普段のルチャ・リブレ専門の戦いと違い、足運びもすり足を多用し、あえて例えるのならば合気道の範士に近い。

 実際、彼女は退魔巫女の中でも随一の合気道の使い手だということだ。

 なら、どうしてルチャ・リブレなんかやっているのかは不明。

 素顔でTwitterやインスタグラムに熱中しているところも含めて、御子内さんの親友の中で最も真意が掴めないのが彼女である。

 ブルーザー・ブロディはミル・マスカラスを初めとする身軽なレスラーを虚仮にしていたという逸話もあるので、その後継者ともいえるスタイルの音子さんには相応しい相手かもしれない。

 パワー、パワー、パワーで押してくる相手に、華麗な技で対抗する彼女は美しい。

 ルチャと合気道、互いに相反する投げ技の融合こそが彼女の戦いの真骨頂なのかもしれない。


「だっしゃあああああ!!」


 御子内さんがコーナーポストを踏み台にして、トライアングル・シュートを分福茶釜目掛けて放った。

 彼女もまた身軽だが、同時に力強さがある。

 踏み台を使うことであがったジャンプは、確実に〈ひまんじ〉にのるタヌキに届いた。


『なんと!!』


 タヌキの予想をはるかに上回る跳躍力をみせた御子内さんに驚愕する。

 今一つ、このタヌキたちは人間というものを舐めている。

 だからこそ、数々の変化を見破られて痛い目をみてきたのだろう。

 またも顔面に跳び蹴りを受けてひしゃげる分福茶釜。

 だが、ほぼクロスカウンター気味に〈ひまんじ〉の回転が御子内さんを巻き込み、竜巻に巻き込まれた木材のように彼女を弾き飛ばした。

 場外まで吹き飛ばされる寸前だったが、危うくトップロープを掴むことで凌ぐ。

 くるりと一回転してリングに出戻った。


「こら、降りて来いタヌキ!! 降りてこないと鉄砲で落として、タヌキ汁にしてやるよ!!」

『タヌキ汁だとおおお!! 我らがタヌキにとって最悪の侮蔑を!! 許さぬ!!』


 というかおまえさんはもうタヌキ鍋みたいな格好だろうとツッコミたくなったが、ちょっと我慢する。


『やれ、〈ひまんじ〉!! あの巫女を蹂躙しろ!!』

「こいやあ!」


 今度は〈ひまんじ〉が急降下し、リングを舐めるように這う。

 孫悟空の筋斗雲と戦うというのはこういうことだろうか。

 以前の〈天狗〉を引き合いに出すまでもないが、御子内さんにとって空を飛ぶ相手は天敵だ。

 空飛ぶタヌキとどう戦うのか。

 場外の音子さんと入れ替わるのが一番だと思うのだけれど……

〈ひまんじ〉の回転が襲い掛かる。

 それに対して、御子内さんは飛んだ。

 またもロープを踏んで、跳び箱に挑戦するように。

 月面宙返ムーンサルトり。

 金メダリストの内村航平もかくやと思わせる美麗な回転を見せて、〈ひまんじ〉を避けると、巫女装束の袖をたなびかせて、裏拳の一撃を分福茶釜の頭部に命中させる。


『うげっ!!』


 と叫ぶ暇もなく、空中で続いて二発の拳を瞬く間にぶち込んで、足を揃えて着地する。


「10.00だ!」


 僕がもうありえない好成績をアナウンスすると、それに応えるように再び簡単な助走をつけて、御子内さんが舞う。

 空飛ぶ敵に対しても、その領域にまで踏み込んで撃殺する。

 目には目を歯には歯を。

 負けず嫌いの巫女レスラーは勝つためならばどんな無茶だってこなすのだ。

 つま先が高く天を衝く。

 外したのか。

 いや、狙いはそこにない。

 つま先はフェイントで、高らかと上がったのはさらなる勢いをつけるため。

 本命は踵。

 振り下ろさる悪魔の鉄槌ルシファーズ・ハンマー

 足癖の悪い御子内さんならでは技―――エッフェル・ヒール・キックである。

 またの名を踵落とし。

 かのアンディ・フグの得意とした技をさらにパワーアップさせた御子内さんらしい破壊力に満ちた大技だ。

 胴体以外は剥きだしの分福茶釜の弱点を的確についたものだった。

 この試合が始まってから、なんと彼女は一度も胴体に対して攻撃をおこなっていない。

 初手から無意味とわかっていることはしない主義なのだろう。


『ほげえええ!』


 となんともユーモラスな悲鳴をあげるタヌキ。

 涙目になっていた。


『くそおおお!!』


 悔し紛れなのかは知らないが、その腕がまるで伸縮自在の梯子のように伸びた。

 短めの手がろくろ首のようにしゅーっと延びる。

 さすがに意表をつかれたのか、御子内さんの首にその腕が絡みついた。

 たぶん、幻法の一種だろう。

 あんな風に腕が伸びるはずもない。

 怪物君かゴムゴムの人以外には。

 その形態から伸びた部分には骨がない軟体だと見破ったのか、御子内さんは反転した。

 勢いをつけて、ロープの外へと飛び出す。

 まさか自ら場外へ逃れるとは思っていなかった分福茶釜は、腕を引っ張られたままなので、前に向けてとっとっとと蹴躓きそうになりながら体勢を崩してしまう。

 ロープ際まで到達した瞬間、突然、顔前に現われた覆面の巫女。

 左右から同時に首筋に手刀を叩きつけるモンゴリアン・チョップを喰らい、そのままリングに入ってきた音子さんによる首投げを受けてマットに横たわる。


『タッ、タッチを……』

「ノ。きちんとしている。心配はいらない」


 御子内さんと音子さんが入れ替わる寸前、しっかりとタッチを交わしていたのは確認している。

 二人の連携は超獣コンビにだって引けはとらない。

 場外でブルーザー・ブロディとの死闘に切り替わった御子内さんが、今度は自分のスタイル通りに肉弾戦を繰り広げつつあるのを尻目に、リングに戻った音子さんはいかにも空中殺法を展開し始める。

 やはり胴体が動きづらい茶釜だと防御力こそ高いが、格闘戦となると不利にしかならない。

 矢継ぎ早に繰り返される攻撃に、ほとんど幻法を使う間もなく、剥き出しの顔面と四肢を痛めつけられていく。

 胴体のダメージはゼロなのに、分福茶釜は失神寸前であった。


『ああ、これはマズったのお』


 なんとも呑気に祖父が呟いた瞬間、音子さんが逆立ちをした。

 


『おおおおおお!』


 さっきのハクビシンとの争いもほぼ忘れて戦いに夢中になりかぶりつきで見ていたタヌキの観客たちが声を張り上げた。

 縦一文字になった分福茶釜と音子さん。

 時が止まる。

 すべてが固唾をのんで見守った刹那―――


 金長狸のヨーヨーのごとく縦回転をした音子さんの抱えた両膝が、分福茶釜のタヌキの顔面を強打した。

 あまりにも華麗で、恐ろしいほどに痛そうな膝技しつぎであった。

 暴風エル・ウラカンによる必殺のピラミッド・クラッシュ。

 あまりにも強いタヌキの生命力がなければ死んでいてもおかしくない荒技に後楽園ホールが静まり返る。

 ただ、マットに潰れたタヌキを尻目に、音子さんが一本人差し指をたてて、勝利を告げるポーズを決めた時、


 場内に割れんばかりの拍手と歓声と悲鳴と怒声が溢れかえった。

 

 死力を尽くした巫女と江戸前の〈五尾〉の長く興奮しかない戦いはついに終止符を迎えたのだ。

 フィニッシュをかけたのは、神宮女音子。

 ルチャ・リブレと合気道を使う、覆面の美少女。

 先に三勝目をあげたのは退魔巫女となったのである。

 お祭り騒ぎはついに決着となり熱狂は頂点に達していた。


「……ちぃ、音子に負けちゃったよ」


 テーブルがなくなり、イスだけになった実況席にやってきた御子内さんが悔しそうにつぶやく。


「御子内さん……」

「うーん、あと少しだったんだけどね」


 彼女がさっきまでいたところには、気絶してしまったからかブルーザー・ブロディの変化が解除され、そのままダウンしている芝右衛門狸が転がっていた。

 おそらく、ほんのタッチの差で音子さんの方が先に相手を仕留めていたのだろう。


「場外だったから誰もみてないしさ。ボクの京一まで音子に夢中とは、やっていられないよ」

「ごめん。……謝るから、膝の上に座らないで」

「どうしよっかなあ」


 僕の脚の上にちょこんと膝を抱えながら座り込み、御子内さんが意地悪そうに笑っていた。


「実況の仕事はリングの上がメインなので……」

「キミの仕事はボクの助手のはずなのにさ。なんだろうね。いつも京一は音子にだけは甘いんだから。……いや、待てよ。最近はレイや藍色もなんだかんだ優遇している気がする」

「そんなことないって。僕は、御子内さん一筋なんだから」

「いーや、信用ならないね。だいたい、最近の京一は……」


 言葉とは裏腹にいかにも楽しそうに僕を責めだす御子内さんは、全力を尽くしたせいかちょっとだけ疲れているようだった。

 だったら、気が済むまで好きにさせてあげよう。

 頑張ったんだしね。


「ちょっと聞いているのかい、キミは。もう、ダメじゃないか!」

「聞いてるよ、ちゃんと」

「だったらねえ……」


 僕たちの会話を聞き流しながら、孫の敗北を目の当たりにしても動じることのない古狸が、付き従っていた部下のタヌキにぽつりと呟いた。


『しょうがねえ。ハクビシンどもとの喧嘩でいりについてはしばらく我慢だ。巫女どもに任せるとしよう』

『へい、目白のタヌキ殿下』

『ただしよ、腹が立つんで、都知事の首ぐらいは貰ってやる。おい、来年の夏までに今の知事を潰すぞ。どうせネタはたんまりとあるんだろ? 江戸前のタヌキの恐ろしさを人間どもに叩き込んでやれ』

『へい』


 と、いう政治的密談があったのは内緒である。

 



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