第139話「分福茶釜は幻使い」





 御子内さんは基本的に足癖が悪い。

 もちろん対戦相手から見て、ということだけど。

 得意とする技の筆頭がローリング・ソバットと延髄切りということからもわかるが、多種多彩、変幻自在な彼女の戦いを支えているのはまさしく足技なのである。

 ボクサーの藍色さんに匹敵する拳技も使えないこともないが、どちらかというと使わないで済ます方だ。

 だから、リングに戻った彼女が真っ先に選択したのも、やはり悪癖となっている足技であった。

 ロープに手をかけて転がり込もうとするのを阻止するために寄ってきた分福茶釜を出し抜くため、身体を弓のようにしならせる。

 全身をバネにして垂直に美しい蝶が舞う。

 分福茶釜という山をジャンプ一閃飛び越えると、太ももでタヌキの顔を挟んで捻る。

 体重差を無にしてしまう首投げに巨漢のタヌキはひっくり返った。

 マットに仰向けになる寸前、無茶な姿勢で放った地擦りのローキックが顔面に炸裂したのも、追い打ちとしてはまたえげつない。

 あまりの痛みにタヌキの発する悲鳴が耳に残ったほどだ。

 とはいえ、御子内さんの考えもわかる。

 なぜなら、分福茶釜のタヌキは胴体を南部鉄のような茶釜で覆われ、見事に装甲されているからだ。

 通常の戦い方では崩すことさえも叶わないだろう。

 茶釜からでている頭部と四肢を狙うしかないのだ。

 分福茶釜というのは、群馬県の民話の一つで茶釜に化けて寺の守鶴和尚を驚かそうとしたタヌキが火にかけられたショックで元の姿に戻れなくなるというものである。

 茶釜から肢が生えたようになったタヌキは、こんな格好では可哀想だと和尚から安く譲り受けた小道具屋に恩を返すために見世物となり、その愛嬌から人々の人気者になって幸せに暮らしましたで終わる。

 タヌキの出る数多い民話の中でも特に人気の高いお話だ。

 ユーモラスな中に情けは人の為ならずのような寓話めいたニュアンスもあり、多くの人が親しんでいるに違いない。

 今、僕の隣にいる巨漢の古タヌキがご本人で、リングで戦っているのはその孫だと聞くと少し信じがたいところがあるけれど、最近はこういうことにも慣れてきた。

 ちなみに反対側に座っている知人は透明人間だし、ポーの有名な詩のモデルになった鴉の子孫とも知り合いだし、かの柳生十兵衛の後継者も友達にいる環境だと、もう何が何やら。

 いちいち驚いている暇はないという感じだ。


「思ったよりもたいしたことないな」

「何がですか?」

「あの分福茶釜のタヌキだよ。胴体が鉄でできているという程度では、巫女たちには到底及ばないだろう。それどころか、他の〈五尾〉と比べても期待外れだ」

「確かにそうですね。―――解説の元祖・分福茶釜さん、そのあたりはどうなのでしょう。お孫さんは祖父の名を辱めるだけの弱いタヌキなのでしょうか?」


 すると、元祖・分福茶釜は特に動揺も見せず、


『まさかじゃ。ワシの孫は最強の〈五尾〉に相応しいオスじゃよ』

「なるほど。祖父からお墨付きが出るほどの傑物ということなんですね。これは期待できます」

『ほれ、見てみろ』


 老タヌキの丸まっちい指が示したのは、御子内さんに四肢を捕られないようにジタバタともがく分福茶釜の姿だった。

 腹を剥き出しにした仰向けのまま、必死で御子内さんを寄せ付けまいとするところは、どちらかというと駄々っ子のようにしかみえない。

 見ろ、と言われて感動したり、感心したりする光景ではない。

柔道やプロレスでの普通の寝技と違い、ひっくり返った亀を相手にするようなものなので、御子内さんも実にやり難そうだ。

これだったら、立ち上がらせてスタンドで決着をつける方がいいとも思える。


「何を見るんですか?」

『わからんか? ほれ、あれだ』


 もう一度言われたので、今度こそ真剣に凝視してみると、なんとタヌキの四肢はジタバタとしているように見えて、実は特定の文字を宙に描いているのだ。

 書き順でいうと、横棒、繋いで一画、縦棒、横棒、さらに縦棒。

 五画の漢字らしきものを書いている。

 しかも、その字は書けば書くほど何もない空中に紅い朱文字と化していく。

 何度目かの繰り返しの段階で、僕にもはっきりとわかった。

 その漢字は、


まんじ


 であった。

 タヌキは器用に左右の前肢だけでなく、後肢でまで、「卍」を描いていき、そしてその一文字はふわりと浮き上がると合体し、混ぜ合わさり、さらに大きな文字へとなっていく。

 異常を感じて飛び退った御子内さんも見つめる中、タヌキが描いて大きくなった「卍」はそのまま回転を始める。

 水車のように。

 ただ、この水車には血の色が滲み、触ると呪われそうな気配に満ちていた。


『食らうがいい、タヌキの幻法〈ひまんじ〉を!!』


 リングの中央に自分が作り出した「卍」が完成すると、ようやく起き上がった分福茶釜が叫んだ。

 そして、見た目とは裏腹の跳躍力を用いて、まるで筋斗雲に乗る孫悟空のように回転する卍の上に飛び乗った。

幻法〈ひまんじ〉というのがあの技の名前らしい。

ひまんじ、という字は、おそらく火と卍を合わせたものだと思うが、ああやって空中に出現した謎の存在の上によいしょっとばかりに肥えたタヌキが乗った絵面はなんというか……。


「―――肥満児?」

「実に残念な語感だな」

「そうですね」


 僕らの後ろ向きな感想を知ってから知らずか、謎の回転する卍型の乗り物を作り出した分福茶釜のタヌキは茫然と彼を見上げる御子内さん目掛けて襲い掛かった。

 お祖父さんの言う通りに、きっとあの分福茶釜は優れた幻術師めくらましなのだろうと思わせるに相応しい奇怪な技を持っていたのである。

 


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