第137話「黒い呪術師」



 まず、中央に進み出たのは、覆面巫女にしてルチャドーラの神宮女音子さんと、海パン一丁の芝右衛門狸だった。

 音子さんは相手の出方を警戒しているのか、やや慎重に歩を進める。

 一方のタヌキは堂々としたものだった。

 ほぼ不戦勝の中堅戦を除けば、タヌキ陣営の方が負け越している状況だというのに、焦った様子もない。

 このタッグマッチで逆転すればいいという余裕の表れか、それとも……。


『……関東の退魔師というのは、奇妙な戦い方をするらしいの。このような今風の結界を張って素手でレスリングとやらをするのが名来だとか』

「シィ。……それが何?」

『では、ワシもその真似事をしてやろう』


 淡路島から来たタヌキは、いつのまにか前肢の指に摘まんでいた木の葉を頭に乗せた。

 少しだけ楽しくなってしまう。

 それはまるで昔話に出てくるタヌキが化けるポーズのようだったからだ。

 そして、ドロンと煙が湧いて出て、タヌキは変化する。

 次の瞬間には、芝右衛門狸は大きさは変わらないが、明らかにタヌキではない人間の姿に変わっていた。

 どっしりとした一見すると丸々とした肥満だがすぐに筋肉質とわかる肉体、浅黒い肌、下半身はラッパ状に開いたタイツとつま先の尖ったシューズを履き、手には何重にもテーピングが巻かれている。

 禿頭で額から頭頂にかけておびただしい傷跡がついていることから、誰にでも歴戦の闘士だとわかる風貌。

 かつて、自身は「ジュジュプソウという、アフリカの格闘技をマスターしている」といっていたが、実は空手の達人であるということに相応しい落ち着いた佇まい。

 僕は知っていた。

 芝右衛門狸が変化したその姿の主を。

 子供たちを熱くさせた変幻自在のファットマンを。


「ブッチャーです! あれはブッチャーです!」

「は? 何を言っているんだ、京一?」

「グリフィンさんは知らないんですか?  アブドーラ・ザ・ブッチャーを! 愛しのボッチャーのモデルの黒い呪術師ですよ!」

「いや、そんな名前は初耳だ……」

「くぅ、そう来たかあ。変化を使うというし、芝居の神さまとか言われているから何かあるんだろうなと思っていたけど、そう来るかあ!!」


 僕は珍しく興奮していた。

 だって、ブッチャーだよ!

 偽物だってわかっているけど、目の前にブッチャーがいるのに興奮しない訳にはいられないよ。

 フレディ・マーキュリー追悼のためのバッタもんばかりのQUEENのファンコンサートに出演している偽物に惜しみない声援をあげるファンの気持ちがわかった。

 本物だろうと偽物だろうと関係ない。

 声をあげたくなる時は上げたくなるものなのだ。


「さあ、ブッチャーに変化した芝右衛門狸が、どれほど本家の技を再現できるのか期待に胸が膨らむところです。ねえ、解説のグリフィンさん!?」

「そ、そうなんだろうね」

「もう一匹の解説の初代・分福さんはどうですか?」

「芝右衛門狸の化学はどれだけ本物を模倣できるかを一つの目標としているからな。きっとあの変化した黒人レスラーと同じになるであろ」

「ブッチャーは正確には黒人ではなく、ネイティブアメリカンとのハーフですが、それはどうでもいいことです。さあ、日本マット界のレジェンドに対して音子さんがどう立ち向かうのかが興味深いところです!」


 まず仕掛けたのは芝右衛門狸=ブッチャーだった。

 巨体に見合わぬスピードで迫ると、指先を揃えた手刀で音子さんの喉元を狙う。


「地獄突きだああ !!」


 ブッチャーが得意とする空手技である。

 単なる抜き手ではなく、フェイントを交えて前後左右から相手の急所である喉笛を襲い続ける。

 鍛えられた指先はバンテージでさらに固められ、まともに食らえば喉の皮膚を突き破られるだろう。

 とはいえ、速度そのものはたいしたレベルではない。

 音子さんならば躱せるはずだ。

 予想通り、すべて躱しきった。

 だが、ブッチャーの恐ろしさはそこにはない。

 丸々と太った肉体にも関わらず、機敏に動き―――回転と共に放つキック―――ローリング・ソバットを持っているのだ。


「なっ!?」


 予想していなかったのか、音子さんは放たれた蹴りをなんとか肘で受けたが、体重差もあり吹き飛ばされる。

 追撃として尖ったつま先のシューズによるトゥー・キックがでた。

 しかも、目標は急所―――禁的蹴りだ。

 禁的は男性のみの急所ではなく、女性でも十分に危険なのである。

 ゆえに完全に避けられないのなら、と音子さんは両腕を下げてクロスガードした。

 タイミングよく、足首を防ぎきる。

 だが、それは囮だった。

 狙いすましたブッチャーの地獄突きが音子さんの咽喉を貫く。


つう!!」


 音子さんはマットに倒れた。

 喉を押さえている。

 咳き込んでまではいないが、かなりのダメージを受けたのかもしれない。

 その彼女目掛けて、ブッチャーが襲い掛かった。


「毒針エルボー・ドロップ!!」


 一度、自分からロープに飛んで勢いをつけてから、ジャンプして喉元に肘を落とす、ブッチャーの得意の形である。

 あの巨体でそのまま覆いかぶさるようにエルボーをすることで、どんなにタフなプロレスラーでも窮地に陥り、場合によってはそのままフォールを奪われてしまうという必殺のパターン。

 まさにブッチャーの絶対的なフィニッシュ・ホールドである。

 あのジャイアント馬場でさえ恐れた技を、音子さんが食らえばもう万事休すだ。

 ルチャドーラとして何もさせてもらえずに彼女が負けるのか。

 いや、そんなことはなかった。

 肘が落ちてくる瞬間、音子さんが昇り龍のごとく跳ね上がる。

 そして、肘をホールドして、勢いを殺すことなく投げた。

 ルチャ・リブレの巻き投げだ。

 さすがはというタイミングであの巨体を放り投げる。

 やられたと見えたのはブラフだったのか。

 叩き付けられたままではいないとすぐ立ち上がろうとしたブッチャーの顔面に美しいドロップキックを当てて、さらに空中で回転しながら回し蹴りを打つ。

 御子内さんにも匹敵する身軽さと蹴り技である。

 旋風のようにキックを当ててから、地上に戻ってもう一度横回転をして足を払う。

 まるで独楽だった。

 それぐらいハイスピードでの連続蹴り。

 これだけ連続でやられるといくらブッチャーでも立っていられずに尻もちをつく。

 今度はお株を奪うように音子さんが肘をたててダウン攻撃に転じる。

 だが、甘かった。

 無尽のタフネスといわれたように抜群の打たれ強さを備えるブッチャーは、腹筋だけで上半身を起こし、音子さんを頭突きでもって迎撃した。

 鮮血が飛び散る。

 あまりに傷を受けていたために切れやすいと言われていたブッチャーの額が破れ、血が出たのだ。

 それだけの威力のヘッドバットを受けて音子さんが崩れ落ちる。


「やばい、下手をしたら脳震盪を起こしているかもしれんぞ‼」

『もう勝負ありなのか?』

「そんなことはありません!!」


 ブッチャーが強いプロレスラーであることは僕も知っている。

 だが、神宮女音子も強い退魔巫女であり―――巫女レスラーなのだ。

 膝をつく寸前、ガッシとマットを殴るように手で支えて、こらえる。

 ダウンしたら、またも毒針エルボーの餌食にされるからだ。

 あれを喰らったら終わりだと感じているのだろう。

 闘士の勘が。

 だから、倒れる前に跳んだ。

 仲間の元へと。

 御子内或子の待つコーナーへ逃げたのだ。


「或ッチ、ちょっと頼むね……」

「了解だよ、音子!」


 タッチを受けて御子内さんがリングに登場した時にはもうブッチャーは立ち上がっていた。

 血は流れていない。

 まあ、幻なのだから当然と言えば当然か。

 幻が血を流すのはおかしいし。


「アブドーラ・ザ・ブッチャーね。……なんだか、ボクの京一が変に興奮しているけど、ボクはあまりよく知らないレスラーだ。でも、手口はわかった。ボクの友達を追い詰めたのは立派だけど、形だけ真似たって真の闘士には敵わないということを教えてあげるよ」

『ほおほお、ブッチャーを知らない世代のくせに舐めた口を利く。この時代のレスラーの恐ろしさをよくわかっていないようだな』

「何とでも言うがいいさ。ボクはどんな相手にも負けないからね」

『では、彼ならばどうかな?』


 ブッチャーはまたも木の葉を額に乗っけて、白い煙を上げた。

 また変化するつもりなのだ。

 今度は誰に?

 そして、新しく幻の煙の中から現われた男は―――


 黄色と黒のターバンを頭に巻いて、口には切れ味鋭そうなサーベルを咥えたインド人の容貌を持っていた……。

 

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