第136話「〈五尾〉、最後の二匹」
タヌキの観客たちは、さっきまでの半分程度に減っていた。
ハクビシンの襲撃から逃げ出して帰ってこなかったものたちと、あの怪光線めいた電撃を受けて、別室や動物病院に運び込まれてしまったものがいるからだ。
すべてのハクビシンが制圧されたとはいえ、まだ襲撃されたことに対する傷跡が残っている中であるから、後楽園ホールの雰囲気は沈んでいる。
退魔巫女にとって完全アウェーとはいえ、それなりにアットホームな空気に包まれていた会場が完璧にお通夜の席のようになっていた。
こちらに何の落ち度もないのに、ある意味でたたまれない状態のまま、御子内さんと音子さんは青のコーナーポストに陣を作って、反対側に江戸前タヌキの代表である〈五尾〉の最後の二匹の登場を待っていた。
いつものように表情のわからない覆面を被った音子さんも、じっとしていられないのか、ロープを掴んだウォーミングアップを続けていた。
あの覆面の下には、美人揃いの退魔巫女でも屈指の美貌が隠されていると思うと相変わらず何とも言えないおかしな気持ちになる。
最近始めたらしいインスタグラムでは、ただの一般人というプロフィールなのに十万人のフォロワーがいるというのが凄い。
一方、僕の御子内さんはコーナーにもたれかかったまま、身じろぎ一つしないで、相手側の入場口を凝視していた。
何か、マジシャンの華麗な舞台のタネを見破ろうとしている熱心な観客のように。
しばらくして、タヌキたちがざわめきだした。
自ずと視線が一か所に集中する。
そこには照明の逆光によってスポットを浴びた二匹のタヌキの影があった。
そして、低めのテノールのイケボによる浪曲が聞こえはじめる。
はあ~ この日ノ本はタヌキの国
はあ~ この国の季節の変化はタヌキのため
はあ~ この国の芝居はタヌキを楽しませる
はあ~ この幻はタヌキの芸事
人間見つけて 驚かせ ちびらせ 逃げ出させ
オイラたち タヌキのお笑いの興行の始まりだ
きたぜ きたぜ
くるぜ くるぜ
日ノ本タヌキの誉れの二匹
いや、これは浪曲というよりは音頭である。
この声に導かれるように軽快な三味線の調べや和太鼓の響き、観客タヌキたちの合いの手が挟み込まれていくからだ。
「音頭をとる」という言葉の意味そのままに、独唱者のあとに続いて合唱が始まる形式は、まさに「タヌキ音頭」と呼ぶべきものといえるだろう。
歌っているのは、〈五尾〉のタヌキの一匹であった。
前肢でマイクを握り、観客の喝采に応えながら、にこやかにリング目掛けてやってくる様子はまるで人気者の歌手だ。
時折、でっぷりとした腹を叩いて、笑いを誘っているぐらいの余裕がある。
あと、他のタヌキと違って、黒い革製だと思われるパンツを履いていることがとてもユーモラスだ。
タヌキたちは信楽焼きの像と同様に、あまりに大きなフグリをもつことから、ほとんど急所は剥き出しのままで放っておくものが多い中で、わざわざ下着を履いているという点が笑いを誘う。
一言で言い表すならば、海パン一丁というところだろうか。
それ以外は何も身に着けていないのも、これまでのタヌキたちと違う。
歌っている音頭の意味は不明だが、おそらく自分たちのことを即興で歌詞にしているものと想像がつく。
相棒の タヌキが茶釜のようなものから両前後肢を出していることから、おそらく「分福茶釜」だとわかるので、この唄う陽気な方が
実際、観客席からは、
『芝右衛門狸―――!!』
『よっ、
『おめえなら勝てるぞー!!』
などという悲鳴にも似た歓声が届いてくる。
相当人気があるらしい。
さっきの金長狸に勝るとも劣らない人気っぷりだ。
でも、僕はこの芝右衛門狸のことを知らなかった。
そんなに人気のあるタヌキなのかと、日本人の僕よりも神話・伝承に詳しそうなグリフィンさんに聞こうとすると、なんといつのまにか僕たちについて実況席の解説席に座り込んでいたさっきの古ダヌキが答える。
二回戦までのこぶしさんの席を、まるで元々自分の居場所であったかのように堂々と振舞えるのはある意味で凄い。
胆が据わりすぎでしょ。
『芝右衛門狸は、兵庫県淡路島の名のあるタヌキよ。いや、日ノ本全体を見渡しても、時に三大狸の一角に挙げられることもある、まあ英雄タヌキだな』
「そう……なんですか」
『おおよ。淡路の三熊山に女房のお増とともに暮らし、時折、芝居を観るために人里に降りてくるが、そのあまりの自由自在の変化の術をもって、人間の役者どもからも芝居の神と認定されるほどの大タヌキだ』
「変化の術―――というのは、例の
『おうよ。関西から西では
「つまり、あの芝右衛門狸はそのめくらましの使い手なんでしょうか?」
『奴が相棒にしているワシの孫もじゃがな』
僕はもう一匹を見た。
こっちは海パン一丁の芝右衛門狸とは違い、なんと全身が黒い南部鉄のような金属でできた茶釜で覆われていた。
茶釜とは、茶道に使用する茶道具の一種で、お茶の席で使用するお湯を沸かすための釜のことだけど、そこからタヌキの四肢がひょっこり飛び出している姿は妙に滑稽だ。
歩く姿もややぎくしゃくしていて面白い。
だけど、今、この古ダヌキは「孫」って言ったよね。
あの〈五尾〉の一匹は僕の貧弱な知識でもわかる、分福茶釜のタヌキなんだろうけど、するとこの古ダヌキもそうなのか。
「あの、あなたが分福茶釜のモデルなんでしょうか?」
『モデルとかじゃねえな。ワシ自身が、上州の茂林寺で守鶴和尚に悪さをした罰として、茶釜に閉じ込められたタヌキよ』
「おお」
グリフィンさんが眼を丸くしていた。
この古ダヌキの言葉を信じるならば、分福茶釜伝説の生き証人であるからだろう。
「それがどうして、江戸―――東京でタヌキの元締めをしていらっしゃるんですか?」
『なに、ワシを助けてくれた古道具屋とともに江戸まで巡業に来てな。そのまま居座っただけよ。稼ぐのには都の方が儲かるし、当時から江戸には妖狸族がたくさんおったからの。じゃから、目白のあたりに巣を作って腰を落ち着けることに決めたのよ』
なるほど、分福茶釜伝説では、最後に古道具屋がタヌキを元の姿に戻す方法を模索するも、タヌキは化けたままで居続けた疲れから病にかかり、古道具屋の看病も虚しく元に戻れないまま死んでしまうという結末もあるのだが、とりあえず死なずに済んだものらしい。
ちょっとだけ安心した。
芝右衛門狸についで、ロープをまたいでリングにあがった分福茶釜のタヌキが、この古ダヌキの孫というのならば、祖父同様、変化の術に優れたタヌキなのだろう。
御子内さん、油断は禁物だよ。
『ワシらは、この日ノ本の全タヌキの代表として、おまえたちに勝ぁぁぁぁぁぁつ!!』
音頭を唄い終わってもマイクを手放さずに、芝右衛門狸は叫んだ。
しかも、ご丁寧にマイクを投げつけた。
それを怯みもせずに受け取ると、今度は御子内さんがパフォーマンスを見せた。
「ボクたちはどんな挑戦でも受ける!! さあ、かかってこいやあ!!」
四人はそれぞれマットの中央に進み出ると、手を払うようなタッチを交わし、自分のコーナーへと戻った。
間髪入れずゴングが鳴り響く。
カアアアアン!!
ここに巫女とタヌキの雌雄を決する最後の戦いが始まったのである!
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