第128話「帝都と狸の密接な関係」
タヌキ側の慌てぶりは手に取るようにわかった。
彼らにとって八ッ山のタヌキというのは、まさに直接の先祖同様に「名のある狸」であったようで、退魔巫女を相手取ったとしてもまずは負けないだろうと予想されていたからだと思われる。
おかげで実況席の僕らの後ろのタヌキも含めて、後楽園ホール全体がざわめきに包まれていた。
『まさか、八ッ山が……』
『なんという大番狂わせなのだ!!』
『いやいや、人間のあの巫女も強かったぞ』
『真正面からあの八つ山の〈偽汽車〉を止めるとは……やつは実は本物の電車に違いない』
タヌキたちは手にしたカップ日本酒をぐいぐいと飲みながら、たった今の戦いの感想を熱く語っていた。
基本的に同族よりだが、レイさんについて褒めたたえる言葉も混じるあたり、意外と客観的な視点も持っているようだ。
ぶっちゃけ、後楽園ホールに普段からいる観客のおじさんたちと大差ない。
だが、そのうちに次の試合へ向けての予想が混ざり始める。
『だが、次鋒はあいつだろ。今度こそ負けねえよ』
『あいつにはどんな打撃も効かねえし、刃物で切り付けられたって弾き返しちまう。人間側がどんな化け物を用意して来たって絶対に勝つぜ』
『おうおう、浅草寺の英雄タヌキなら、まず間違いねえ』
どうやら、江戸前タヌキの次鋒として出てくるのは、その浅草寺のタヌキのようだね。
あんな東京のど真ん中にもタヌキって棲息しているのか……。
「京一さんは、どうして野良犬が減って野良猫は減らないか、わかる?」
「さあ……」
こぶしさんが訊いてきたが、僕にはまったくわからない。
「それはね、簡単にいうとネコ科とイヌ科の生態の違いなのよ。猫は肩のところの骨を動かしてかなり狭いところでも進めるけど、犬にはそれができないだから、活動できる場所も限られてしまう。猫は身軽だから塀や屋根の上までもいけるけど、犬にはほとんどそういう真似はできない」
「確かにそうですね」
「するとね、動きが平地に限定される犬は天敵に追い詰められやすくなるのよ。彼らにとっての天敵―――つまり人間の、保健所にね」
「なるほど。ある程度広い場所がないと、すぐに保健所に捕まってしまうから、犬が野良にはならないんですか」
「猫はけっこうどこにでも逃げるから捕まえるのが厄介なのよ。で、それと同じ理屈がタヌキにも通じるの」
猫に比べるとタヌキは鈍重そうだけど……。
「タヌキはね、見た目以上に素早くて樹に登ったりも普通にできるうえ、移動にはドブや狭い家と家の隙間なんかを使うことで移動方法が豊富なの。さらに夜行性で、昼は空き家や神社などに隠れていて、人目につきにくい。だから、都会にも意外な数が棲息しているという訳」
「はあ、そうなんですか」
「あとは、この妖怪どもが匿っているという訳ですな」
グリフィンさんが周囲を見渡しながら言った。
「ええ。この東京にはいくつかの妖怪の種族が棲んでいるけど、その中でもわたしたち〈社務所〉が特に警戒しているのが、この妖狸族なのよ」
「随分と数がいますね」
「正確な数はわからないけど、ここにいるタヌキのほとんどは普段は人間に化けたりして暮らしているはずよ」
それってすごいことだよね。
実は隣のおじさんはタヌキだったとかいうことが普通にあるのか。
「今でこそ静かだけど、この東京に首都機能が移転して以来、わたしたちとタヌキたちは政治的な争いを繰り広げてきたわ」
「政治、なんですか。霊的とかじゃなくて?」
「ええ。タヌキたちは政治家や経済界の大物に取り入ったり、学制運動や革命家に援助したりして、この日本の歴史に深く関わってきた。特に昭和の時代は顕著だったのよ。あなたたちが知っている名前や事件でいうと、北一輝を支援したり三億円事件を起こしたりしていたのは彼らね」
さすがに少し驚いた。
北一輝といえ二・二六事件の精神的指導者と言われているし、三億円事件は未解決の大事件だ。今でもドラマや映画になったりしているぐらいだし。
それにタヌキたちが関わっているというのだから。
「よく、人間たちに滅ぼされませんでしたね……」
「そこが彼らの老獪さ―――まさにタヌキなところなのよ。江戸時代からこの東京で生きてきた知恵や経験があるんでしょうけど、色々なところに食い込むのがうますぎて、排除なんて到底できない。それでも、最近は制御できた方なんだけど……」
「今回はできなかったってことですね」
「ええ。今の都知事がちょっとわかってない人だったの。東京五輪の利権が欲しかったのか知らないけど、タヌキたちの陳情を完璧に無視したりして……。ああ、去年のジカ熱の時もタヌキからの要請を断って海外に視察に行っちゃったりしたこともあるのよ。おかげで、フラストレーションが溜まっている状態に今回のハクビシン騒ぎでしょ? 手に負えないの」
なんだか知らないが、東京のタヌキって身近過ぎない?
僕なんか一応東京生まれだけど、都内にタヌキが溢れているということすら知らなかったよ。
「―――そこでガス抜きも兼ねて、この騒ぎですか?」
「そうね。うちとあっちのトップが決めたんだけど、まあ、いい
このあたり、タヌキも退魔巫女も身内への評価が高い。
「でも、まだ一勝ですからね。あと二人勝たないと」
「大丈夫ですよ。だって、次に出るのはあの子ですから」
こぶしさんが自信満々に言い、その視線の先には、退魔巫女の次鋒がリングに向かって歩いてくるところだった。
「二年燻っていたのだから、きちんと結果を見せてみなさい、藍色ちゃん」
小さめのオンスのボクシンググローブを嵌めて、トレードマークらしいネコミミ状の髪型をした改造巫女装束が花道を進んでいた。
かつて挫折を味わい、それでも牙を研ぎつつ、華麗に復活した巫女ボクサーだった。
蹴りを一切使わずとも、あの御子内或子と引き分けに持ち込むほどのボクサーがでるというのである。
こぶしさんの自信も頷けるというものだ。
ただし、相手は先ほどの八ッ山のタヌキの例を見るまでもなく、本当に強い。
あの藍色さんをして抗しきれるかは実は不明というのが現実だ。
「来ました!」
リングにはもう一匹のタヌキが登場していた。
さっきの八ッ山よりもやや小柄だが、その分、お腹のでっぷり差加減は増している。
まるで風船のようだ。
メタボよりもさらに肥満。
頭部と胴体が一緒になっているかのように、楕円に手足がついたような体型で、信楽焼きの狸よりもさらに丸っこい。
歩くのでさえやっとというようなまん丸の〈五尾〉のタヌキはセコンドらしい仲間に支えられつつ、コーナーポストに寄りかかっていた。
荒い息をしてとてもしんどそうだ。
アメリカあたりのヒキコモリの肥満児を想像させるほど酷い。
あれが、「浅草寺の英雄タヌキ」なのかな……?
「また、どうしようもないのがでてきたな」
スマートなスポーツマンっぽいグリフィンさんは辛辣だった。
太ったことがないのだろう。
まあ、僕の家も痩せの家系なのであんな脂肪の塊になったことがないのから、気持ちはわからないでもない。
二十キロも三十キロも脂肪がついて重くなった身体なんて考えられない。
「でも、彼も江戸前の〈五尾〉なんですよ」
こぶしさんは鋭く言い放った。
「……きっと、何かの秘儀を持っているはずです」
秘儀とは、妖怪の持つ特性を活かした最後の技や術のことだ。
これまでにも多くの退魔巫女を殉職させたり、大怪我をさせて引退させたりしてきたのが、その秘儀だ。
あの肥満体のタヌキは、まともに格闘ができそうもない以上、おそらくその秘儀を操るのだろう。
五匹の代表に選ばれるのに相応しい何かを。
『プシュュゥゥゥゥゥゥ』
浅草寺のタヌキの長い呼吸音が聞こえだした時、
カアアアアン!
と、ゴングが鳴り響いた。
藍色さんがいつものアップ・ライト・スタイルに構える。
ここに、拳技最高と謳われた巫女ボクサーと、妖術タヌキの激闘が始まる。
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