第127話「鉄の怪物に立ち向かう勇者」



 ざんぎり頭を叩いてみれば、文明開化の音がする明治五年(1872)の鉄道開設後、しばらくして現在の品川区の八ッ山のあたりの線路で、一匹の大タヌキの死骸が見つかった。

 蒸気機関車がおか蒸気と呼ばれていた当時、品川から横浜に繋がる路線の機関士は、夜中になるたびにおかしな現象を体験していた。

 反対側から彼の運転するものと同じシュ、ポーという汽笛を鳴らす音が聞こえてくるのだ。

 今と違い、電灯の発達していない日本の夜であるから、当然、その蒸気機関車は見えない。

 しかも、当時は複線ではなく単線である。

 機関士は別の汽笛が聞こえるたびに、衝突を避けるために停止して様子を見るようにしていた。

 しかし、どれだけ停車していても一向に反対側から汽車がやってくることはない。

 ある日のこと、機関士の一人は「えい、かまうもんか」という気持ちで停止せずに汽車を走らせた。

 そうなっても正面衝突することもなく、汽車は無事に走っていった。

 その際、「なんとぉぉぉ!!」とい断末魔の叫びのようなものが聞こえた気がしたらしい。

 翌朝、機関士が夜勤明けで叫び声のした場所に赴いてみると、前述のタヌキの死骸が転がっていたらしい。

 全身が八つ裂きになっていたことから、汽車に轢かれたものだろう。

 死んだタヌキはこの辺りの海岸を縄張りにしていた古くから生きているタヌキだった。

 人間たちが何の挨拶もなく彼の縄張りに鉄道敷設の工事を行い、しかも、彼にとっては得体のしれぬ化け物である汽車を轟音と共に走らせることに号を煮やした古ダヌキが立ち上がったのだろうと人々は噂した。

 生活を脅かされたタヌキの必死の抵抗だったのである、と。

 そして、この八ッ山のタヌキに倣い、全国各地のタヌキたちが〈偽汽車〉の幻法を使い、人間たちに立ち向かっていった。

 渋谷でも、品川の権現山でも、六郷は高畑でも、亀有の見性寺でも、剛毅なタヌキたちは次々に煙を吐く鉄の怪物に挑み、散っていったという。

 タヌキにまつわる伝承は、すべて草深い田に伝わるものが多いが、この勇敢なタヌキたちによる〈偽汽車〉の話は都会から広がっていった、古くて新しい都市伝説のはしりであったとも言われている。



              ◇◆◇



「―――うちの近所の安孫子にも〈偽汽車〉の話はあるぜ。愚かだけど勇敢で、矜持のためにレールを枕に討ち死にしていった熱いタヌキどもの話さ。オレも結構好きな話だった」


 レイさんが〈神腕〉を前に突き出した。

 構えではない。

 力比べでもしようとしているかのような形だった。

 目の前のタヌキが変化した蒸気機関車と対峙するには、やや不安を感じる。

〈偽汽車〉と呼ばれる蒸気機関車の幻は、無数の動輪を火花散らして回転させ、煙突から黒煙を上げ続ける。

 すでにさっきまでのタヌキの面影はない。

 完全に蒸気機関車そのものになってしまっているようだ。

 広いとはいえないリングの中ではその大きさは脅威だ。


「大丈夫でしょ。大きく見えますが、あれは幻特有のこけおどしです。正面から轢かれたりしなければ死にはしません」


 こぶしさんはわりと無責任だった。


 シャ、ポーーーー!!!


 汽笛が吹きならされ、同時に〈偽汽車〉が前進する。

 助走はない。

 最初から全速前進だった。

 横っ飛びして躱したレイさんの脇を走り抜ける。

 凄まじい重量感だった。

 幻とはいえ、あれを喰らったらひとたまりもないかもしれない。

 さっきまでのタヌキの姿でのぶちかましも強そうだったが、それよりも重そうに見える分怖い。


「……しかし、幻で大きく見せているだけで、ムジナそのもののサイズは変わらないのではないか」


 グリフィンさんの意見はもっともだ。

 そのことについてこぶしさんに聞いてみると、


「タヌキをはじめとする妖怪が使う幻法というものは、幻でありながら幻ではないのです」

「というと?」

「幻の部分にも実体があるので、触ることもできるんです。だから、見た目だけということはありません。有名な三枚のお札にもある通りに、幻法というのはある意味では質量保存の法則さえも覆す荒業なのですよ」

「ということは……」

「はい。レイちゃんがあの〈偽汽車〉に轢かれたら、相応のダメージを受けるということです。蒸気機関車と〈偽汽車〉の正面衝突ならばともかく、人間の身ではあれを受ければ重体は確実でしょうね」


 ということは、正面からの激突は何としてでも避けねばならないということか。

 だが、リング上を機敏とはいいがたいとしても縦横無尽に走り回る汽車相手に、どうすればいいのだろうか。

 すれ違う寸前に地下足袋でヤクザキックをしたりしても、まったく〈偽汽車〉は怯むことはない。

 はたして、レイさんに形勢挽回の秘策はあるのか。

 一直線に突っ込んできて、それを躱されると、ロープにぶつかってその反動を利用してもう一度特攻してくる。

 まるで国鉄線の上りと下りだ。

 このままではいつかは彼女も轢殺死体になってしまう。

 だが、レイさんの口元には笑みが浮かんでいる。

 楽しくてしょうがないという顔だ。

 眼をかっと見開き、〈偽汽車〉のすべての突進を見切り、自慢の〈神腕〉を振り下ろすタイミングを狙い続けている。

 彼女の必殺の〈神腕〉ならば、一撃ですべてを決することができるという自信のもとに。


 ゴー、シュポシュポ!!


 石炭を燃やす黒煙をばら撒き、鉄の怪物を模した虚像が近づく。

 その一部がカチっと開いた。

 光り輝く。

 それはサーチライトだった。

 夜間に機関車が走るための眼である。

 しかし、明治期の蒸気機関車にそんなものがついている訳はない……っ。


「あれは!!」

「どうしました?」

「あのタヌキが変化している汽車は、明治期のものではないんだ!」

「どういうことでしょぅか?」

「あいつ自体は、噂の八ッ山のタヌキではなくその子孫であるというのならば、あいつが知っているものはずっと最近のものに違いない」

「……まさか!」

「そのまさかだ!」


 自分自身の先祖を轢いたものではなく、さらに新しいものだとすれば、夜間に走るための装備もついていて当然。

 だから、八ッ山の変化した〈偽汽車〉にもライトがついているのだ。

 そのライトが完全な奇襲状態でレイさんの眼を塞ぐ。

 眼が見えなければ、避けるタイミングを計ることもできない。


「レイさん、危ない!」


 僕の声が聞こえているのかいないのか、わからない。

 だって、彼女は微動だにしなかったのだから。

 

「もしオレの後ろに子犬がいたらどうするべきか」


 彼女は呟いた。

 自問したというべきか。


「子犬を掴んで逃げる? 確かにそれが一番確実で被害も出ねえ」


 レイさんは不動。


「だが、突っ込んでくる鉄の怪物相手に背を見せるのは闘士のすることじゃあない。明治のタヌキどもがそれを良しとせずに立ち向かったのも道理!!」


 そして、二つの拳を握り、


「レールの上の子犬を助けたければ汽車を押し止めればいいだけのこと。力でこそ、勇気は顕現する!!!」


〈神腕〉を突き出す。

 真正面に。

 高速で走る蒸気機関車の鼻づらに渾身の力を込めて。

 怪力乱神の巫女の双打と鉄の怪物が激突する。

 何かが割れるような音が鳴り響いた。

 勢いを完全に消せなかったのか、レイさんは後ろに吹き飛んだが、ロープに達してそのまま止まる。

 あまりにも無造作に寄りかかったままだ。

 さっきまでだったら、追い打ちをかけるかのように突っ込んでくるはずの〈偽汽車〉は何故かリングの中心で停止していた。

 いや、何故かなんてことはない。

 答えはもう出ている。


『シュポー……』


〈偽汽車〉の鉄の覆いが消え果てていき、石炭から産まれたものとは違う水蒸気のような煙を燻らせながら、巨大なタヌキの姿へと戻っていく。

 丸い目をぎょろりと血走らせ、身じろぎもしない。

 口からは溢れるほどの涎を流し、それを啜りもしない。

 応援を続けていたタヌキたちも静まり返っていた。

 その胸にははっきりとわかる二つの拳が凹った跡がついていた。

 どれほど厚い胸板であったとしても、あれほどの陥没がつくほどの打撃を喰らって意識を保っていられるはずもない。

 レイさんの退魔巫女最強の破壊力を誇る〈神腕〉と、自分の出していた速度のふたつのベクトルの力がぶつかり合った結果であるのだから。

 だが、八ッ山のタヌキも彼らの種族の代表を張るだけある猛者だったのだ。

 

 ―――立ったまま、気絶していた。


 眼を剥いたまま、倒れることをせず。

 寄りかかったロープから離れたレイさんは、その八ッ山のもとにいくと、


「よいしょっと」


 とお姫様抱っこをした。

 彼女よりもはるかに巨大なタヌキをまるで赤子のように持ち上げて。


「さっきはすまなかったな。おまえ、ヘッポコじゃあなかったぜ」


 自分の手で倒した敵を労わるように、レイさんはリングから降りてくる。

 その顔は、さっきまで死ぬかもしれないような激闘をしていた女の子のもとは思えない、慈愛に満ちたものであった……。


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