第125話「噴きあがる聖地」
今夜試合があるから、と突然連絡を受けて呼び出されたのは、JR水道橋駅を降りた先にある後楽園ホールであった。
格闘技の聖地とも謳われる場所であり、もしかして普通にプロの試合観戦にでも招待されたのかと思ったら、集合時刻は終電直前の午前零時ちょうどだという。
どこかに一泊しなければならないのは確実だった。
実のところ、僕はこの年ですでにバイトのための徹夜仕事なんて普通になっていて、両親もあまり心配せずに許可をだしてくれたのは楽ちんである。
もっとも、やることはほとんどなかった。
後楽園ホールにはすでにリングが用意してあり、しかも僕なんかとは質が違うプロの職人たちが整備しているおかげで手をだす必要はほとんどないのだ。
僕ともう一人の退魔巫女助手がしたのは、ロープのテンションとマットの堅さの確認ぐらいのもので、あまりにも他にやることがないので仕方なく箒とちり取りでずっとゴミ拾いをしている始末だった。
「……僕たち、なんのために呼び出されたんでしょうね」
「シリマセン」
もうすぐ秋が近づいているということもあり、トレンチコートと帽子、そして全身包帯グルグル巻きの彼の姿もようやく暑苦しくなく見られるようになった。
透明人間みたいな格好のロバート・グリフィンさんである。
退魔巫女に見習いから昇格した熊埜御堂てんさんのイギリス出身の助手だった。
最近、たまに顔を合わせるようになり、わりと話をするようになっているが、相変わらず近寄りがたい雰囲気の人だった。
包帯のせいで顔が見えないだけでもアレなのに、外国人でしかも十歳以上年上なのであるから。
話がしづらいなんてものじゃない。
「今日のみんなの相手はタヌキらしいですね」
「―――ムジナですか。私にとっては嫌な連中です」
「どうしてですか?」
「以前、お話したと思いますが、私は〈のっぺらぼう〉に狙われていましてね。その〈のっぺらぼう〉はもともとラフカディオ・ハーンによれば、ムジナが原因だと言われていますから」
「でも、〈のっぺらぼう〉とタヌキって本当は別の妖怪なんでしょう?」
「だからといって、簡単に切り離して考えられませんよ」
ロバートさんは基本的に考え方が後ろ向きで、マイナス思考すぎる人らしく、だいたい暗いことを言っている。
「しかし、とにかく仕事がないのは困ります」
「こんな深夜とはいえ、後楽園ホールを丸々いきなり貸りきってしまうなんてどうやったんでしょうか」
「〈社務所〉の権力というのはこういう場所にまで及ぶのでしょうね」
「いや、いくらなんでもこれはちょっと変ですよ……」
後楽園ホールは完全に僕たちの貸し切りのようになっていて、一般人どころか従業員の影も見当たらない。
もっとも、僕らを呼び出した退魔巫女たちもいないけどね。
電話で指示を受けて、ここまで来たら、〈社務所〉の禰宜さんが一人いて、あとはお任せという放置プレイをされている状態だった。
まあ、ロバートさんでなくても後ろ向きになるか。
まるで不法侵入者のような感じだからだ。
「京一さん、ミスター・グリフィン」
ようやく声が掛かったので振り向いたら、スーツ姿の男装の麗人・不知火こぶしさんがリングのあるところまで降りてくるところだった。
昔は退魔巫女をしていたらしいが、最近は後輩たちの統括のような仕事をしているそうだ。
見事なまでに中間管理職である。
僕は心の中で、「課長」と命名していた。
「おはようございます」
「……わざわざ悪いですね、こんな時間に」
「いえ、それは構わないんですけど、他の〈社務所〉の方々はいないんですか?」
「うちの連中は他にやらなければならないことがあって、どうしても外せないのよ。だから、色々お願いできるのはあなたたちしかいなかったの。休日・深夜手当弾むからつきあってちょうだいね」
「御子内さんたちは……」
さっきから顔を見せない彼女たちも心配だった。
「控室でウォーミングアップしているわ。さすがに聖地・後楽園よね。いつもよりテンションが上がっていて手が付けられない状態なの」
「へー」
普段でさえ熱血状態の彼女たちがハイ・テンションとなると、確かに手が付けられそうもない。
後楽園名物の落書きなんかを見て、きっと血が滾っているに違いない。
「あ、京一さんたちには実況とかやってもらう予定なので、そこのマイクチェックもお願いね」
「何故、そんなことを……」
「あら、せっかくの後楽園ホール貸し切りなのよ。楽しんでやったほうがいいでしょう」
「楽しくって……え、今回は妖怪退治じゃないんですか?」
「はい。今回のは真面目に普通の試合です。相手を倒しても消滅させないし、封印もご法度。殺してもいけないというルールなんですよ」
僕とロバートさんは眼を合わせた。
退魔巫女と妖怪の戦いでそんなことがあるのかという驚きだった。
何か事情があって見逃したりすることはあっても、基本的に彼女たちの戦いは真剣な倒し合いだ。
邪悪な妖怪を退治し、封印するのが使命なのだから。
それがただの試合をするのだという。
実況付きで。
しかも、聞いた話では五人の退魔巫女がここに揃っているということは、最大でも五試合するということだ。
いったい、何がどうなっているのだろう。
「なんだかな……」
僕らはマイクの用意されたテーブルに座った。
アナウンス機材は使えないが、スピーカーについてはなんとか動かせる。
喋りには自信がないけど、まあやれと言われたらやるしかないか。
「あーあー、こちらマイクのテスト中。テステス」
それなりに響く。
いけなくはないか。
「テステス、僕は升麻京一です。……解説はおなじみロバート・グリフィンさんでお送りします」
「―――私もやるのかね?」
「バイト料にはきっと込みで入ってますよ」
「日本人の考えることはわからん」
やれやれといった様子のロバートさんだった。
こうは言っても付き合いがいい人だというのはわかっている。
「さて、ロバートさん。今回の御子内さんたちの相手についてご存知ですか?」
「ムジナ―――タヌキだということだけはわかっていますが、数も名前もわかっていないんですよ、京一くん」
「では、どのような戦いが繰り広げられるかも想像できませんね」
「ですね」
「僕たちのわかる範囲で予想をするとしますと、ロバートさんはどこに注目されますか?」
「私としては、やはり付き合いもありますし、熊埜御堂てんの活躍に期待したいところです。あの脳筋ロリっ子の殺傷力は恐ろしいものがありますからね」
「ああー」
僕も見たことがあるが、熊埜御堂さんの一切容赦のない関節技はかなりの脅威だ。
格闘なんてできそうもない狭い通路でさえ、飛び拉ぎ逆十字を極めることができ、しかも躊躇なく破壊できるのである。
あどけない顔と言動を裏切る恐ろしい女の子なのだ。
「……意外とノリノリじゃない」
反対側の解説者席に座ったこぶしさんがツッコミをいれてくる。
わりと長く退魔巫女たちとつきあっているけど、ツッコまれることはあまりないので新鮮だった。
「あ、観客が入ってきたみたいよ」
こぶしさんがいうので、周囲を見渡してみた。
扉からぞろぞろと彼女の言うところの観客が入場してきたところだった。
ただし、そこにいたのは人間ではない。
丸い尻尾と愛嬌のある垂れ目の顔をしたケモノたちだった。
―――タヌキの群れだ。
それが手に手に瓢やら、ワンカップの日本酒やら、ビールの缶やらを握ってやってきて、空いている席に座っていく。
あっという間に用意された1,400の客席数が埋まってしまい、立ち見のタヌキまでがでる有様であった。
ほとんど数分でやかましくなった後楽園ホールないが、徐々に熱狂の渦に包まれていく。
迫りくる戦いへの期待に胸を躍らせているのだ。
観客はタヌキばかりという完全アウェー状態なのはさすがに心配だが、そこは御子内さんたちのメンタルに任せるしかないだろう。
「さて、そろそろ始まりますよ」
二つ用意された選手入場口の一つに、五人の人影が浮かび上がった。
なにもしてないのにしっかりショーアップされているのは何故だろう。
スポットライトは絶対誰かが弄っているよね。
現われた五つの影は見慣れた女の子たちだった。
御子内さんをセンターにして、レイさん、音子さん、熊埜御堂さん、藍色さんが腕を組んで立ち尽くしていた。
あれが今回の選手たち―――関東の退魔巫女の最大戦力なのだ。
では、それと戦う相手は……
「来たわ、あれが江戸前妖狸族の最強の〈五尾〉よ」
反対側の入場口にも五つの影が顕現していく……。
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