第122話「火と拳」



 御子内或子は、助手である升麻京一とそのクラスメートたちを残して、その部屋を出た。

 目の前には二階と地下へと続く階段がある。

 耳を澄ましてみれば、確かにぽっかりと空いた地下への入り口から、おかしなカラカラという連続音が近づいてくる。

 かすかに異臭が漂っているが、これは何かが焦げたときの臭いだろう。

 京一が「火炎放射器だ」といっていたが、或子も同意見だった。

 何者かが火炎放射器を弄りながら、地下のどこかからかやってきているのだ。

 地下を覗き込むと、一度真っ赤な炎の乱舞が見えた。


「火を使う妖怪ね。―――火車以来かな」


 彼女の経験している限り、妖魅・悪霊の類いは火を嫌う。

 善悪すべてを浄化してしまう炎の無差別な力が、闇に巣食うものたちの力すら焼き捨ててしまうからだ。

 火事場に幽霊がほぼ出てこないのはそういうことだ。

 だから、余程火に馴染んだ性質をもたない限り、日陰の存在は自らを燃やし尽くすものを嫌うのが普通である。

 ゆえに迫りつつある敵のように火を武器にするものは滅多にいない。


「まあ、妖怪でも亡霊でもない幻想なら、火を恐れないのもあたりまえかな」


 或子はすでに今回の事件の謎を看破していた。

 京一と別れて行動をすることを選んだ段階で、おおよそのところは予想できていたのだ。

 ここ最近は、妖怪退治にまつわる謎の解決について、京一にお株を奪われることが多かったが、彼女とて選ばれた退魔巫女である。

 考えるための脳みそ全部が筋肉で出来ている訳ではない。

 或子の直観は、今回の事件のおおもとを、〈迷い家〉現象だと捉えていた。

〈迷い家〉現象とは、民俗学者である柳田國男が岩手県土淵村(今の遠野市)出身の佐々木喜善から聞きだした話を1910年に書き記した『遠野物語』によって紹介したことにより広く周知された怪異だ。

 広義では、人里離れた山奥にあり、訪れた者に莫大な富をもたらすとされる山中の幻の家、もしくはその家を訪れた者についての伝承についてことをさすが、彼女たち退魔巫女の世界ではやや異なる解釈がとられる。

 彼女たちにとっての〈迷い家〉とは、人の欲望を刺激し、自発的に特定の圏内に踏み込ませ、そして閉じ込める土地の怪異そのものを言うのだ。

『遠野物語』などにおいては、川上から箸やお椀が流れ着いたなどという話を発端として、純朴な村人などが〈迷い家〉に招かれるパターンが多い。

 深い山中に迷い込んでしまった猟師が偶然にたどり着く、山中で機織りや米をつく生活音が聞こえてきたなどというものもあるが、基本的には好奇心という欲望に負けて人々は〈迷い家〉に向かうのである。

 未知のことを知りたい、わかりたいという好奇心も人間の欲望の一形態であろう。

〈迷い家〉にある財宝を手に入れたいという物欲をもったものもいない訳ではないが、やはり好奇心からの来訪者が極端に多いと言われている。

 或子は今回の話を京一から聞きだした時、その〈迷い家〉現象のことをふと頭に思い浮かべた。

 ……誰も近づかない山中に魅力的な謎が提示され、それを解こうと踏み入れる人々というのは、まさに好奇心に動かされた欲望の傀儡なのではないだろうか。

 京一のクラスメート・桜井は、従兄弟から聞いたという謎にとびつき、それに形を与えて推理することで好奇心を満たした。

 結果として、自分だけでなく、他の人間まで巻き込んで謎の解明のために山にまで踏み込んだのである。

 その一連の流れは、川に流れていた箸やお椀を見て誰かがいるのかと〈迷い家〉に辿り着く構図と似てはいないだろう。

 ただ、問題は、提示された謎の存在である。

 或子が〈社務所〉を通して調べてみると、このあたり一帯には様々なうわさが流れていた。

 曰く、桜井の従兄弟の言う謎の人影。

 曰く、宗教関係の謎の施設。

 曰く、山中を駆ける謎の動物。

 ……いずれも、うさんくさいが魅力的な謎ばかりだ。

 これはいったい何を指すのか。

 そして、或子は京一と離れ、噂の一つである宗教の施設を探したが、そんなものは影も形も見当たらなかった。

 そもそも、のだ。

 

 或子は理解し、確信した。


 ―――この山中に流されている魅力的な謎そのものが餌なのだ、と。


 人間の強い好奇心を刺激し、思考を誘導し、この場所に迷い込ませようとしているものがいる。

 そして、そいつは提示された謎に答える人の想像力を利用して、幻想まぼろしを実体化させているのだ。

 なんのためにかはわからない。

 ただ、この施設のように存在しない、いかにもな建物もきっと「宗教の施設」があるに違いないという想像の産物のはずだ。

 であるのならば、他の想像も現身うつしみを持ったとしてもおかしなことはない。

 例えば〈河童〉であったり、例えば〈一つ目小僧〉であったり、例えば―――


 火炎放射器を持った兵士であったり。


『―――背の高さは人間ぐらい、手足が四本なのも、俺らと一緒。背中と思われる部位に、甲羅のような瘤のようなものがついていて、少し突起している。夜中の目撃談というだけじゃなくて、どうも皮膚が真っ黒で、ぬめぬめしている感じで毛は生えていない。上半身には緑色の触手がついている。あと、一つ目で口は尖っている。バランスが悪いのか、よたよたと歩く』


 という描写を聞いて、水中を潜るダイバーではなくて、防火服を身にまとって耐火マスクを被った特殊工作兵を思い浮かべたものがいるのなら、その想像さえも現実化するのも至極当然のことであった。

 そして、その幻想まぼろしが存在する脅威としてこちらにやってこようとしている。


「……まったく。恐怖と妄想の産物と戦うなんて思わなかったよ」


 或子は闇の中に目を凝らした。

 気配はあった。

 敵は幻想ではあっても、すでに現身なのだ。

 火炎放射器の一撃をまともに食らえばいくら彼女でも焼き殺される。

 

 コーホー


 コーホー


 呼吸音のようなものが聞こえる。

 自分が撒く死の炎によって火傷しないように、重装備をしているのだろう。


(幻想の癖に!)


 沈黙が落ちた。

 建物の外に落ちる雨音だけしか聞こえなくなった。

 或子は唾を飲む。

 チカと何かが光った。

 同時に或子は横に飛ぶ。

 一瞬遅れて可燃性の液体が圧搾ガスとともに噴射され、放射器の先端についた電熱線のコイルによって着火された火焔がすり抜けた。

 火炎放射器という武器の恐ろしさは炎そのものにはない。

 問題なのは噴射される可燃性の液体である。

 霧吹きから放射された湿気を避けることが容易ではないように、この噴射された液体を身に受けないことが何よりも重要なのだ。

 驚くべき野生の勘で敵が引き金を引く直前に避けた或子は、そのまま大きく部屋を迂回した。

 狭いところでは火炎放射器の優位性に負けるからだ。

 闇の中から現われた敵は、一つ目のマスクと黒い滑めつくような防火服をまとっていた。

 コーホーと大きな呼吸音を立てながら。

 防火服が重いのか、ひょこひょことしか動けないようだった。

 手にした火炎放射器の筒先が彼女目掛けて向けられる。

 再び、火が空気を舐めるよりも早く或子は飛んだ。

 銃器と違い、火炎放射器のエイムは非常に難しい。

 そのため飛燕のように逃げ回る山伏姿の或子を捉えることはできなかった。


「だっしゃあああ!!」


 筒先を持つ武器特有のエイム合わせの隙を突いて、或子は飛びこんだ。

 自分に向けられた金属部分の筒の先端を鷲掴みにする。

 ジュゥ……

 バンテージを巻いた掌に激痛が走る。

 火炎を放射する度に熱せられた金属が肌を焼いたのだ。

 だが、或子はそんなことを気にも留めなかった。

 敵の主兵装の自由を奪ったのだ。

 その代償として受けたのならば、たかが火傷である、彼女の突撃を阻むものではありえない。

 防火服は厚いとみて、ぎゅっ親指を握り込み、中指の関節を突き出した鉄菱てつびしという拳を作り、一つ目にも見えるゴーグル部分に叩き込んだ。

 もともと急所を狙うための握りで、力が一か所に集中する。

 防火ガラスが割れて或子の拳が食い込む。

 そのまま肘を曲げて胸板に叩き込んだ。

 後ろ向きにたたらを踏む防火服。

 しかし、分厚い防火服という鎧があるために或子の渾身の一撃はほとんど本体には届いていないようだった。

 そこで或子は防火服の男の両腕をとってクロスさせて抱え込むと、後方にブリッジの要領でのけ反った。

 得意の投げ技スープレックスのようであったが、或子のエグさはそこにとどまらない。

 力の限り投げとばそうとすると、さすがに相手も腕を固めて抵抗するのが当然だ。

 だが、或子は抵抗の軸となる両肘の関節めがけて裏から膝蹴りを撥ね上げる。

 その瞬間、打つ・投げる・極めるというプロレスの技の三要素を組み込んだ、文字通り三位一体の必殺技が顕現する!

 抵抗を続ければ腕が折られる。

 しかし、投げ飛ばされれば頭から床に叩き付けられて終わる。

 この二つの最悪の選択肢の中、火炎放射器の防火服は後者を選んだ。


「うおおおおおおおりゃああ!!」


 御子内或子の必殺のストライク・スリーが地対空ミサイルのように敵を叩きつけた。

 爆発するかのような落下音を上げて頭から床にめり込んだ敵が、二度と動かないことを残心してから或子はほっと一息をついた。

 彼女の頭上に音もなく迫る飛行物体に気づかずに。

 ドローンであった。

 この空飛ぶ遊具も、必殺の刃のついた凶器の幻想として具現化していたのだ。

 先ほどから流れていたカラカラという音はこのドローンが天井にぶつかって立てていたものであった。

 ドローンの先端についた針が彼女のぼんのくぼの急所目掛けて近づいた時、


「危ない!」


 と、横合いから飛び出してきた升麻京一が、折り畳みの登山用ピッケルでもって叩き落とす。

 或子の戦いを陰から見守っていた京一だからこそできた助太刀であった。

 退魔巫女に迫る危険に思わず飛び出してしまったのである。

 命がけの戦いの後で珍しく油断していた或子は危機一髪だったことを理解した。


「……ありがとう、京一」


 退魔巫女は掌を掲げた。

 京一も自分の掌を合わせて、ハイタッチをした。


「ナイスファイト!」

「ぐっじょぶ!」


 二人はそのまま愉し気に笑い合うのであった。

 扉の隙間から彼らを覗いているクラスメートの存在も忘れて……。

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