第121話「迫る恐音」



 窓の外では踊る河童。

 建物の中には一つ目小僧。

 そして、おそらく赤嶺が想像する相手。

 三者三様、とても統一性のない怪事が立て続けに僕らに降りかかってきているのだ。


「一つ目小僧って……見間違いじゃね?」


 残った男子が嘲弄っぽく呟いたが、窓の外の現実がある以上、とても説得力なんてない。


「本当よ! おっきな眼がひとつだけあって、口に葉巻みたいなの咥えていたんだからっ!」


 僕の手の中で目撃者の女の子が反論した。

 さっきよりは元気になったらしい。

 怯えが多少だけ減っている。

 よし、これなら大丈夫かな。

 僕は彼女の頭を軽く撫でてから、そっと立たせてあげた。

 さすがにずっと支えているのは重いし。

 なんだか、驚いた顔していたけど、僕は気にせずに部屋の入り口に近寄った。

 完全に扉を開けてみても、玄関の広間には誰もいない。

 一つ目小僧だって、影も形もない。


「逃げたのかな?」


 ただ、耳を澄ますと、上の方でパタパタという誰かが走っている音が聞こえてきた。

 

「聞こえた?」

「あ、ああ」


 赤嶺たちが頷く。

 彼らにも聞こえたとなると幻聴じゃないか。


「階段を上って上に行ったみたいだね。これが本当の怪談話……と」


 リュックサックの中からスマホを出したけど、さすがに圏外だ。

 Wi-Fiなんて当然ないし、御子内さんに連絡する手段はないか。


「みんな、何かに襲われてもいいように武器を構えて、重いものはリュックサックから捨てておいて」

「武器なんてないよ~」

「ある人だけでいいから。赤嶺は武器持ってきている?」

「いちおう、折り畳みのスコップなら」

「対ゾンビ兵器だね。……みんなは赤嶺を中心にまとまっていて。怖いだろうけど、窓の外の変なのからは眼を離さないでね」


 建物の外ではまだ凄い勢いで雨が降り続けている。

 ここから逃げるのは難しい。

 すでに怪事が発生しているこの段階では下手に脱出するとさらに危険が増すおそれがある。

 となると、御子内さんと合流するまではここに籠城するのがいいかな。

 黙って籠城させてくれるとは思えないけれど。


「升麻くんは落ち着いているね」

「山に来ることが多いから」

「……山登りの経験が多い人って動じないんだ」

「そうだよ」


 そんなことないけれど、口から出任せで落ち着いてもらえるなら別にいいよね。


「で、これからどうするんだ? おい、桜井……」

「ワリい。頭が回らねえ。……マジで実は妖怪の仕業だったとかヤバすぎだわ」

「そうだけどよお」


 さっきまでは元気だった桜井もさすがに凹んでいる。

 それはそうだろう。

 彼の想定では、奥多摩山中にでる謎の存在は人間でしかありえないのだから、そのまま第一インスピレーション通りに妖怪でしたなんて流れを考えているわけがない。

 僕とは違うのだ。


「きゃあああ!!」


 窓の外を見ていた若附さんが叫び声とともに飛びのいた。

 ガラスにべったりと河童の指の間に水かきのついた不気味な掌が張り付いていた。

 みしりと音を立てる。

 このまま力を籠められたら窓が破られると判断した僕は、ポケットに忍ばせていたお札を一枚投げるような勢いで貼った。

 今どきのものらしく、シール用の糊がついているお札は簡単にガラスに貼りつく。

 同時に、『ギャッ』と河童が手を放した。

 

「ラッキー。効いた!」


 それから窓の傍からみんなを引き剥がす。

 お札は以前、御子内さんに用意してもらったものだ。

 いざというときのために持ってきておいて良かった。


「なんだ、それ!?」

「ん? 神社のお札だよ。山に登るときの必需品」

「どうしてそんなものを持っているのよ!」

「山男はみんな持っているから」


 またも口から出まかせで切り抜ける。

 実際、退魔巫女が妖怪退治に使うものなので神通力は抜群なんだけど、入手ルートを聞かれても困るし。


「窓も危険なのかあ。さて、どうしようかな」


 完全に囲まれている感じがした。

 しかも、包囲網は収縮し始めている。

 このままではジリ貧だろう。


「おい、今の音はなんだ!?」

「聞こえた、確かに聞こえたぞ!!」


 それは瀑布のような雨音に混じって、まるで地獄から届いたかのごとき恐ろしい響きを醸し出していた。

 ブホオ、ブホオ、と動物の呼吸のようにも思えるが、ついでに聞こえてくるカラカラという乾いた音も異様だった。

 しかも、こちらに近づいてきているのだ。

 どこから? 

 右か、左か、上か、下か?

 耳を澄ますと、ようやく音の発信源の方向がわかった。

 間違いなく、この妙な音は足の裏から聞こえてくるのだ。

 それはきっとあの玄関にあった地下への階段に間違いない。

 なにかがやってくる。

 僕たち目掛けて。

 ゆっくりと死を招く息を吐きながら。


「……京一、あの音ってもしかしたら」

「あ、その音かも。―――マジかあ」


 赤嶺と顔を見合わせる。

 ごつい赤嶺の歯がガチガチいっていた。

 強すぎる想像力が彼の恐怖心を煽っておかしくなりかけているのだ。

 ミリタリーに造詣が深いからこそ、この音を発しているものの恐ろしさがわかるのだろう。

 あまり詳しくない僕にだってわかるレベルなのだ。

 あの音の主が地上まで上がってきたら、もうおしまいだ。

 逃げるには、庭に出るのが一番だが、あそこには河童がいる。

 以前聞いたことがあるけど、〈河童〉というのは実は凶暴な妖怪で、人間に危害を加える水の妖怪ではトップクラスの危険性をもつらしい

 無防備で外に飛びだせばここにいるみんなの身が危ない。

 それに未確認だけど二階には一つ目小僧もいる。

 じゃあ、どうすればいい?


「いやああ!」

「助けて……」


 若附さんたちが抱き合って泣いている。

 ようやく状況の深刻さが身に染みたらしい。

 桜井たちももう放心状態だ。

 このままで―――

 僕までも途方に暮れかけた時、


 ブオオオオオオオーーーーー


 と今度は低いが周囲に轟き渡る大音量が響き渡った。

 さっきのものとは明らかに違う闊達さとともに。

 あれは、法螺貝を加工した楽器を吹き鳴らした開戦の合図であり、持ち主がついに到着したことを僕に教えるためのものだった。

 新しい音の発生源が誰であるか、僕は知っている。

 だから、貼ってあるお札ごとガラス窓を開いて、できる限りの大声で呼んだ。

 もう河童を避ける必要はない。

 なぜなら―――


「御子内さん、こっちだ!!」


 無敵の巫女レスラーが間に合ったのだから。

 自分を遮神通力のこもったお札がなくなったことを知って〈河童〉が牙をむいてきたが、そいつめがけて水筒を投げつけた。

 そして、たった一瞬だけ怯んだすきに―――


「だっしゃあああああ!!」


 どこからともなく駆けつけてきた山伏姿の女の子の跳び膝蹴りが顔面を抉った。

 見事なまでに鼻づらを叩き潰す、破壊力抜群の膝の一撃がそのまま〈河童〉を吹き飛ばした。

 素晴らしい身体能力を発揮して、地面に着地した御子内さんは、ぐっとこちらに向けてサムズアップをした。


「待たせたかい、京一!!」

「全然!!」


 僕が伸ばした手を御子内さんが掴み、そのまま室内へと引っ張り上げて招き入れた。

 羽毛のように軽いのは体重移動のタイミングを、彼女の側でうまく調整してくれるからだ。

 いきなり窓から入ってきた山伏姿の美少女に、みんなが眼を剥いていた。

 御子内さんの可愛さはまあ何の問題もないんだけれど、やっぱり格好がねえ……。

 天狗でもやってきたのかと疑われても何の不思議もない。

 もっとも、当の本人はまったく気にした風もなく、


「全員、無事かな?」

「うん。今のところはね。でも、ヤバい状態にはなっていると思う」

「どんな状況なんだ?」

「外はさっきの〈河童〉がいて、二階には一つ目小僧っぽいのがうろついている。ついでにいうと、地下からとてもなく危険なのが近づいてきているよ」

「わかった。―――ところで、桜井という学生はいるかい?」


 冷静な御子内さんの質問に対して、桜井が自分から手を挙げた。


「お、俺だけど……。どうして俺の名前を……」

「そんなのはどうでもいい。―――キミは今回京一たちに聞かせた推理を、どこかの掲示板とかに書きこんだりしたか?」

「推理って……」

「ダイバーが云々のことさ」

「いや、まだだ。今日、帰ってからブログにあげる予定ではあったけど……」

「えっと、ツ、ツイッターとかでは?」


 相変わらず、御子内さんのTwitterの発言はよろしくない。


「俺、Twitterはやってねえから」

「なるほど。それは僥倖。まだ、運がいいね」


 御子内さんが振り向いた。


「京一、ヤバいってどういうことだい?」


 僕はさっき赤嶺と話し合った結果を告げた。


「多分、地下からこっちに向かっているのは、火炎放射器を使う兵隊みたいな奴だと思う。ガソリンみたいな燃焼する液体をボンベにつめて、圧搾ガスで噴き出して黒焦げにする武器だ」

「どうして、そんなものが?」

「桜井の推理の別バージョンみたいなものだと思ってくれれば……」

「まあ、そういうこともあるか。


 どういうことだ?

 御子内さんは別行動をしている間に、このおかしな事件の謎を解いたのか?


「とにかく、まずは危険を排除することからしようか」


 山伏姿の巫女レスラーはゆっくりと指を鳴らしながら、不敵に笑っていた。

 

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