第120話「痕跡と邂逅」
建物の内部はコンクリートの打ちっぱなしで、白いペンキを塗られた木製の棚が幾つかある以外は、ほとんどものがない。
正面には、二階とどういう訳か地下に繋がっているらしい階段があり、左右に扉と奥に通路が伸びている。
電気は点いていないので、奥までは見通すことができない。
とはいえ、雨から逃れて一心地ついたみんなは座り込んでリュックサックの中から出したタオルで髪を拭いたりしていた。
「誰もいないみたいだな」
「お家ではないみたいね」
「何かの施設なんだろう」
みんな、扉のすぐ傍でくつろぎ始めた。
誰かがいたら説明をして雨宿りさせてもらうつもりだったが、誰もいないみたいなのでなし崩しに休憩タイムに入ったみたいだ。
僕も水筒を取り出してスポーツドリンクを口にした。
気がつかないうちにかなり咽喉が渇いていたらしい。
こういうときには注意しないと脱水症状になったりして、さらに熱中症になりかねない。
山での水は貴重だけど、飲める時には飲んでおかないと。
すると、隣にいた赤嶺という男子が話しかけてきた。
「なあ、升麻」
「なに?」
「おまえさ、桜井の推理を聞いてどう思った?」
声を潜めてきたので、僕もそれに倣って小声で返した。
「強引だけど、推理としては悪くないんじゃない。合理的に説明できているし」
「まあな。あのイラスト見てしまうと納得はできる。ただ、俺には別の想像があったんだよ」
「―――どんな?」
「うんとさ、確かに甲羅だか瘤だかはボンベかもしれないけど、ボンベといっても別のものが詰まっているものがあるよな」
赤嶺はうちのクラスではミリタリーマニアとしても知られている。
だから、着ている登山服もどことなく迷彩服っぽい。
ヘルメットなんかどう見てもサバイバルゲーム用だ。
「ボンベを二つ用意して、片方には圧搾ガスを入れて、もう片方にはガソリンのような可燃性の液体を詰めるんだ」
「―――赤嶺、それって……」
「ああ。それを使うには耐火性のウェアが必要だろうから、それは黒いぬめっとした皮膚に見えるんじゃないかな」
赤嶺のいいたいことはすぐにわかった。
言われてみれば、確かに桜井が最初に示したイメージとも一致する。
でも、そんなのがどうしてこの奥多摩に……。
ダイバーよりもありえなくないかな?
「おい、ちょっと奥の方を見てみようぜ」
前を向くと桜井がはしゃいでいた。
どうも、彼としてはここの建物は怪しいものに見えるらしい。
きっと鍾乳洞を調査しているダイバーたちがアジトにしていると考えているのだろうね。
一応、僕たちは建物に不法侵入している立場なんだけど。
僕と赤嶺を除く五人がノリノリなので、仕方なく僕もその輪に加わる。
御子内さんにクラスメートを守れと言われている以上、少なくとも彼女が戻ってくるまでは僕には責任があるのだ。
「じゃあ、とりあえず手分けして、二階と奥と左右の扉を調べてみようぜ」
(なぜ、チームを分割するかなあ)
これってホラー映画とかで各個撃破されるパターンだよ。
ただ、ここで正論をぶっても反感を買うだけだ。
よく言うでしょ、効率よく嫌われるコツは正論を言い続けることだって。
今の段階でクラスメートに煙たいやつと認識されるのはまずい。
特に機嫌のよろしそうな桜井に反感を持たれることは避けたい。
と、ここで気がついた。
桜井は当初からある女生徒にご執心だということに。
ちょっとギャルっぽい若附さんのことだ。
この山登りの道中、桜井はさりげなく彼女の傍に寄ることが多かった。
つまりはそういうことなのだろう。
こういうイベントを企画して意中の彼女とお近づきになりたい、ということか。
ただ、桜井以外は普通に楽しんでいる風なので、きっと彼一人の思い付きなのだろう。
あの推理を思いついた時からなのか、このイベントを先に考えたのかは知らないが、乗せられた他のみんなはいい面の皮なのかもしれない。
彼の本心に僕以外気がついていないことを祈るよ。
しかし、これは利用させてもらおうかな。
「桜井と若附さんは左右を調べてよ。他のみんなは僕と奥に行こう。奥の方が広そうだし、人手が必要かもしれないし」
「……えっ」
「んで、登山リーダーの桜井はもし誰かがいたり戻ってきたらここで説明をして、雨宿りさせてもらってますってお礼を言っておいて。若附さん、桜井が変なことを口走らないように見張っていてね」
桜井にリーダーシップをとられたと思わせないためにおちゃらけた感じで言って、若附さんに対しても冗談っぽくウインクをしてみせた。
「えー、あたしが桜井の見張りー?」
若附さんが笑いながらわざと嫌そうに言う。
僕の見立てではきっと面倒見のいいタイプなので、暴走しそうな桜井のことをきちんと見ていてくれることだろう。
桜井としては不本意かもしれないが、若附さんと二人っきりになれるというのならばメリットの方を選ぶだろう。
顔を見ると、案の定、喜びを隠しきれずに鼻の頭がぴくぴくしていた。
興奮して性犯罪とかに走らなければいいけど……。
「そんなあ、若附~。でも、いいぞ。京一たちはとっとと奥を探って来てくれ!」
「はいはい」
とりあえず、チーム分割を二つで食い止めて、僕らは奥へと向かった。
この建物の構造からすると、だいたい怪しいのは地下か奥だ。
こちらに僕がいればなんとかなるかもしれないという、根拠のない自信が僕にはある。
元華さんの言うところの、〈一指〉の幸運がもたらす蛮勇かもしれないけれど。
五人で奥まで行くと、両開きの扉があった。
表札の跡があったので、前は何かの部屋だったのだろう。
一々考えるのも面倒だし、僕はさっさと中に入った。
御子内さんなら蹴り開けているところなので、随分と大人しい出入りである。
「……なんだ、こりゃ」
「うっ、なにこれ?」
赤嶺が言った。
みんなもぽかんと口を開けている。
玄関と同じコンクリートの打ちっぱなしだというのに、すぐにはわからなかった。
なぜかというと、コンクリートの表面が悉く黒く変色していたからだ。
膝をついて地面の黒い部分を指で擦ってみた。
黒い炭のようなものがついた。
いや、間違いなくこれは炭だ。
天井も床も、かなりの部分が焼け焦げているのだ。
まるで火事がこの中であったかのように。
見渡してみると、奥の方の窓の下に炭になった残骸のようなものが転がっていた。
それほど大きくはないが、遠くからでは正体がわからない。
僕は用心しながら近づいて、その黒い残骸を折りたたみ式のステッキの先端で突いた。
カサッと音がしてもろく崩れた。
完全に炭化しているのだ。
ただ、それが元はなにかだったのかということはわかった。
それで十分だった。
「あれ、なんだったの?」
「たぶん、動物。鹿とかよりも小さいから、タヌキとかだと思う」
「なんでタヌキが……こんなところに?」
「さあ。とりあえず、玄関に戻ろう。ちょっと様子がおかしいからさ、ここ」
僕がみんなを連れていこうとすると、赤嶺がそっと話しかけてきた。
「おい、升麻。あれって、もしかして……」
「うん、その可能性は高いね」
「マジかよ! ホント、マジかよ!」
とりあえず僕の抱いている危機感を赤嶺も持ってくれたというだけでいい。
僕だけでは、この七人を操ることはできないから、赤嶺をうまく誘導できたらなんとかなるかも。
そのとき、玄関の方から金切り声と叫び声が聞こえてきた。
キィエエエエとか言っているのは十中八九桜井だろう。
玄関に行っても二人はいなかったが、右手の扉が開いていた。
そこに飛び込むと、なにもない部屋の窓際で、二人が外を見ながらガタガタと震えていた。
姿勢からすると、窓の外を見て腰を抜かしているらしい。
「どうしたんの!?」
みんなが呼びかけると、
「ま、窓に! 窓に!」
どっかで聞いたようなフレーズを叫ぶ。
恐る恐る近づいて、窓を覗き込んだ僕らの視線の先には……。
わずか先さえも煙って見えやしない土砂降りの雨と、その中を水を得た魚のように両手を広げて一定のリズムで動き回る黒いぬめぬめした生き物がいた。
頭には何か堅いものが張り付いたように引き攣り、背中には苔のついた甲羅を背負い、手足の指には水かきがついている。
やたらと張り出した額の下にある二つの目は、見る角度によっては一つの窪みにしか見えず、鳥のような嘴には鋭い歯がついていた。
豪雨の中を一心不乱に、まるで祭りの日のごとく陽気に踊り続けるそいつらは、どこからどうみても間違いなく―――河童であった……。
「きゃあああああ!」
また誰かが叫んだ。
僕の後ろにいた女の子だった。
彼女は入ってきた扉の方を指さし、
「今、バケモノがこの中をのぞいていた!!」
「バケモノ?」
落ち着かせるために肩を抱いて、しっかり身体を固定させて、眼を見ながら優しく聞いてみた。
たまに妖怪の被害者に対して御子内さんがやるやり方だ。
彼女がやると、とても漢らしいので僕には到底出来そうもないと思っていたけれど、この際だ、四の五の言ってはいられない。
「何が見えたの? もう大丈夫だから、僕に教えて。いい、何がこっちを覗いていたの? 落ち着いて答えて。何があったとしても僕は君を信じるから」
僕たちが見たときにはなにもいなかった。
だから、答えられるのは彼女だけだ。
僕の尋問方法が効果的だったのか、彼女は怯えきった顔をちょっとだけ赤らめて、
「ひ、一つ目小僧がいたの……」
と、恥ずかしそうに言うのであった……。
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