第113話「透明でも逃げ場なし」
「バカな、私が見えるのか!」
仰天した私だったが、よくよく観察してみると、視線が少しズレているので焦点はあっていないようだ。
つまり、完全に不可視の私を確認できているという訳ではない。
ただ、ここにいるということはバレているようだ。
「見えていたら困りますよー。だって、グリフィンさんは素っ裸なのですよねー?」
「なら、何故……?」
「えっと、ちょっと待ってくださいねー。はあはあ、なるほど」
熊埜御堂てんは、その隣にいた平凡そのものの顔をした中年男性から耳打ちを受けて、何やら聞きだしていた。
もう一度、私に向き直ると、
「そんな腰に手を当てて、大通りの中心で全裸で仁王立ちになっている人が見えたりしたら困ります。てんちゃん、こう見えても彼氏もいない清き乙女なんですからー」
と、腕組みをして言った。
プンスカみたいなジャパンコミックの擬音が似合いそうだ。
しかし、見えていないはずなのに私が腰に手を当てていることがわかるのは何故だろうか。
今、彼女に耳打ちした男は……
その時、私はこの人通りがまばらな往来の四方からこちらを見張る連中に気がついた。
いや、違う。
わたしを見ているわけではない。
なぜなら、そいつらは顔に眼がついていなかったからだ。
〈のっぺらぼう〉だ。
しかも五体。
私とミニスカ巫女の会話を見つめている。
何もしてこないのが不自然で、不気味なぐらいにじっと凝視だけしているのだ。
「……なんだ、これは? 君はなにをしたのだ?」
「―――ん? ああ、この妖怪たちのことですかー?」
彼女の隣にいた中年の男がこっちに振り向いた。
そこにはさっきの連中同様に、顔を構成するパーツがついていなかった。
やつも〈のっぺらぼう〉だったのだ。
すると、あの熊埜御堂てんは、〈のっぺらぼう〉から私のことを聞きだしたというのか!
「ま、まさか!」
「〈のっぺらぼう〉という妖怪はですね。人界と幽界の狭間にある坂や狭い路地に巣食う妖怪なんですよー。基本的には通りがかった人間を脅して楽しむ程度の悪さしかしないんですけど、人間以外の妖魅の類いには物凄く凶暴な連中でしてねー。縄張り意識もあって、容赦なく襲い掛かるんです」
「それが、私を襲った原因か……」
「ええ。目も鼻も口もない分、六感が異常なぐらいに鋭く発達していて、透明になったあなたを見つけるのもそれはそれは簡単だったみたいですー」
彼女はこの化け物たちを猟犬のように駆使して、私を見つけ出したということなのか。
誰にも見えないはずのこの私を。
「いったいどうやって〈のっぺらぼう〉を……」
「それは禁則事項ですー」
「何?」
「てんちゃんの女の魅力が炸裂したという感じでご了解してくださーい」
どう見ても胸もお尻も大きくない、スパイシーな
ただ、その幼児的な見た目と言説に反して、この巫女の少女は〈のっぺらぼう〉すら比較にならないほどに危険な相手のようだった。
逃げなければ。
私の本能が覚醒する。
この女の子と付き合い続けることは絶対に不幸になる。
まともな人間ならば一緒にいてはいけない。
目の前にいる熊埜御堂という女の子だけでなく、この巫女の存在こそがすべてが危険だ。
私はまた走り出した。
どんなに走っても足の裏は痛くならない。
フィクションの世界では裸にならなければ透明であることを見破られてしまう透明人間は、靴を履かないでいるのでガラスの破片などで足を傷つけるシーンがある。
だが、我がグリフィス家は透明人間の家系であるからか、そもそも足の裏の皮が厚い上に、ふさふさとした毛が生えていたりするのである。
この毛はなかなか剛毛でもあり、私一人の体重を支えて、よほど尖ったものでも踏まない限り足に傷をつけない効果を持っている。
おかげで靴を脱いだまま全力疾走しても私は平然としていられるのだ。
「あ、待ってください―!」
巫女がまた叫んだが、待てと言われて待つ馬鹿はいない。
古今東西、それは覆せない真理だ。
私は再び、逃げの姿勢に入った。
ただし、今度は全裸の愉悦に浸っている暇はない。
あの〈のっぺらぼう〉たちを撒いて、同時に巫女の追跡からも逃れなければならないのだから。
前から〈のっぺらぼう〉の一体が迫ってくるのが見えた。
見え見えだ。
路地の一本に入り、そこを駆け抜ける。
出た先をさらに走ると、児童公園らしき場所に辿り着いた。
座って休めそうなベンチもある。
私はその隣にある水飲み場で水を飲んでのどを潤した。
いくらなんでも走り通しでカラカラだったのだ。
「ぷはっ美味い」
飲み干した水が五臓六腑に沁み渡る感じがする。
科学的な原因という訳ではないグリフィン家の透明化では、食べ物や飲み物を体内に納めても見えるということはない。
これで見つかる心配はないはずだ。
一息つくと、随分と余裕ができる。
周囲を見渡すことすら。
そして、おかしなオブジェクトの存在に気がついた。
渋谷区の建物にしては、大きすぎも小さすぎもしない公園の中央付近に四角い物体があるのだ。
しかも、四角形の四隅には赤と青のポストが立ち、それぞれが三本のロープで繋がっている。
それはどう見ても、誰が見ても、プロレス専用のリングそのものだった。
誰だ、こんなものをここに放置したのは。
私の理解が追い付かなくなる寸前、リングを挟んで私の反対側から一人の影が昇ってきた。
ミニスカートの巫女だった。
熊埜御堂てん。
彼女は私をリングの上から見下ろして言った。
「ロバート・グリフィンさん。聞くところによるとイギリスの透明人間は暗殺業を兼ねているお話ですよねー」
「どこから、その話を……」
こんな極東の巫女がどうして、それを……
加えて、何故?
「でしたら、これ以上、逃げられまくっても困りますしー、勝負しませんか?」
「勝負とは……」
「この〈護摩台〉の上には一対一で決着をつけるための結界が敷かれています。ここで、てんちゃんとグリフィンさんとの試合で決着をつけるのがいいと思うんですよー。わかりやすいし、うちら退魔巫女にとっては白黒つけるよいやり方なんですねー」
え、日本の巫女がどうしてプロレスのリングの上で戦って決着をつけるのだ。
この娘の言っていることはさっぱりわからない。
強いのはわかっている。
さっきのコマンドサンボを見る限りは。
だが、透明人間の私と一対一で勝てるとでも思っているのだろうか。
いくらなんでもバカにした話である。
私は暗殺者として父と兄から訓練を受けてきた身なのだ。
例え、素手だとしても私を見ることもできない女子供に負けるなどということはありえない。
だから、言った。
「いいだろう。でも、不可視の透明人間であるこの私に素手で勝てるなんて思いあがらないことだ」
さっきまで逃げまくっていたとはいえ、私とて本気になれば人を殺すことなど造作もない暗殺者見習いだった男だ。
負けるはずがない。
ゆっくりとリングに上がった。
どうせ、普通には逃げられないということか。
きっとここに誘い込まれたのも罠だったのだろう。
熊埜御堂てんという巫女がどういう存在かは知らないが、見えない透明人間と素手で戦うというのならば受けて立ってやる。
彼女が、私のことが見えていないのは眼の動きでわかる。
年端もいかぬ少女を倒すのは気が引けるが、私の自由のために犠牲になってもらおう。
私がリングに登りきると同時に、どこからともなく、カアアアアンというゴングが鳴り響いた。
その妙な出来事に戸惑っているまもなく、熊埜御堂てんは動き出した。
透明人間たる私と真っ向から戦うために。
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