第110話「グリフィン家の宿痾」



 突然現れたこの日本にしてもおかしなスタイルの巫女の少女に、私はとても戸惑った。

 ついさっきまで、顔のないモンスターたちに追われていた身としては、この娘もきっと同類としか思えなかったのだ。

 しかし、もしそうならば顔を伏せているはずである。

 巫女の少女は、幼女のようにあどけない笑顔を浮かべていた。

 かなり年若い様子だ。

 この国の若い女性特有の童顔からではなく、本当に子供の可能性がある。

 十四、五歳だろうか。

 この渋谷という街が若者の街であるとは言っても、こんな深夜にこの年頃の女の子が出歩いているのは珍しい。

 まして、神に仕える巫女が……。

 確かに巫女としては変な格好ではあるが。

 私がこの国で勉強した日本の知識では、この娘の格好は本物の巫女というよりも、コスチュームプレイの方に近い。

 ただ、私はどういう訳か、この娘が本物の巫女であるという確信を抱いていた。

 加えて、現在進行形で恐ろしい体験をしていたということから、私は彼女にすがらずにはいられなかった。


「た、助けてくれ!」


 中年の男の惨めな助けを求める声に対して、少女は、


「いいですよー」


 といささかの躊躇いも見せずに応えた。

 あまりのことにこっちが拍子抜けするほどだった。


「その前に確認させてもらいたいんですけどー」


 巫女の少女は背負っていた小さなバッグからメモ帳らしきものを取り出して中を読んだ。


「えっとー、あなたはロバート・グリフィンさんでよろしいんですよねー。イギリスのサセックスご出身の?」


 私は驚いた。

 どうして私の名前を知っているのか。しかも、出身地まで。


「―――何故、私の名前を?」

「うちの〈社務所〉があなたの捜索と保護を依頼されたんですよー。真夏だっていうのに、コートを着て包帯巻き巻きの変人を見つけ出して助けろって」

「……それは私のことで間違いなさそうだが、一体、どうして」


 この娘が言っているのは、名前も格好からしても私に間違いない。

 しかし、私は誰かに狙われるおそれはない。

 普通にイギリスからやってきて、この日本で暮らしていただけなのに。


「あなた、京都に行きましたよねー」

「ああ、そうだ。一度ぐらいは観光してみたいと思っていたのだが、それがなにか?」

「よく生きて帰れましたねー。でも、あそこで発見されてしまって、東京までついてこられたみたいですから、下手したのと一緒かな? だから、うちの〈社務所〉に話がきたんですよー」


 話が見えない。

 いったい、京都がなんだというのだろう。


「何が東京までついてきたというんだい? 君の言っていることはさっぱりわからない」

「だからー、仏凶徒ブッキョートですよ」

「ぶっきょう……と? 仏教ブデズムの信徒のことかね? それがいったいどうして……」


 少女はちょっと顔をしかめて、


「知らないんですかー? あいつら、人間には慈愛たっぷりで優しくしますけど、妖怪変化の類いに対してはマジで容赦ないんです。こういう形の(ジェスチャーで見せてくれた)独鈷杵どっこしょの先からレーザーブレードみたいな出して斬りかかっていくんですよ。他にもよくわからないビームみたいなのも出したりするのもいるし、身体に不動明王を召喚したりとか、もう無茶苦茶するんです。うちら退魔巫女がほとんど素手でやってんのに、あいつら反則すぎですよー」

「えっ、えっと、それは本当に仏教徒のことなのですか?」

「はい、そうですよー。揉めると面倒ですから、関西から出てこなければいいのに。やっぱり、廃仏毀釈は正しかったんです。仏凶徒は全滅させないと」


 何が何だか、よくわからない。

 だが、その仏凶徒にわたしがつけ狙われているというのだろうか。


「ええ。だって、あなた、グリフィン博士のご子孫なんですよねー」


 知っているのか。

 私の名前と出身だけでなくて、我が家系の因業までも。

 故郷から逃げ出してきて、結局辿り着いた極東の島国に来てまでついて回るというのか。


「えっと、さっきから気になっていたんですけど、暑くないんですかー? そんな包帯マシマシで」

「ラーメン二郎みたいに言わないでくれ。仕方がないんだよ、この包帯は。我がグリフィン家ではこれがないと外にさえ出られないのだ」

「へー、てんちゃんとしては探しやすくて良かったんですけど、変てこりんなファッションだと誤解してましたー。失礼なお願いなんですけど、ちょっと手を見せてもらっていいですかー」


 私は手袋を外した。

 もう事情を知られている以上、下手に隠し事をしても仕方ない。

 この娘からは聞きださないとならないことがありそうだし、やむをえないといったところか。


「うわっ、マジですか」


 手袋を外した私の手を見て、巫女の少女は素っ頓狂な声をあげる。

 ただ、恐怖は感じられない。

 見せた私が驚くほどだ。

 純粋に感心しているのだ。


「ホントに、。透明人間ってマジなんですねー」


 いつのまにか傍に来られていたのか、手をギュッと握られた。

 恥ずかしながら、私はこの年になっても童貞チェリーでもあるし、こんな風に女性から積極的に触れられたことはない。

 思わず赤面してしまったはずだ。

 いや、たぶん、そうだろうというだけだ。

 なんといっても、顔の包帯をすべてとりさってしまっても、私は自分の顔を確認できないのだから。

 しかも、そもそも私は自分の本当の顔を知らない。

 髪の色も眼の形も、肌の色も何もかも。

 私は産まれた時から、のである。

 我が家系の呪われた宿痾のままに、誰の目にも見えぬ男として生を受けたのだ。


「なるほどー、これぐらい完璧に目に見えないと科学の力とか言っても無理がありますねー」

「ああ、そうだろうね。かの偉大なSF作家に話して聞かせたという私の先祖も、出来上がった小説を読んで荒唐無稽だと鼻で笑ったらしいから」

「へー、凄いなー」


 いつまでも握っていないでくれないか。

 恥ずかしくて仕方がない。

 ただ、こんな風に女の子に手を握られることは二度とないであろうから、自分から引き離すのは躊躇われる。

 いや、勿体ないとかそういう意味ではなくて、あの、彼女の気を害しないようにというだけで、決してスケベ心からではないんだよ。

 

「あと、やっぱり変な妖気みたいなの出していますね」

「……わかるのかい?」

「わかりますよー、こう見えてもてんちゃんは退魔巫女ですから。まだ見習いですけどー」


 まさか、そんなことまでわかっているのか。


「これだけ異質な妖気をだしていれば、仏凶徒の連中にも目をつけられても仕方ないですねー」


 今、この娘、おかしな言い回しをしなかったか。

 にも、と言ったら他にも私を狙っているものがいるように聞こえるではないか。


「ちょっと下がっていてください」


 巫女の少女が私から手を放して振り向いた。

 思わず、あっと声を出してしまった。

 こんなに可愛い女の子に手を握ってもらえるなんて、そんな機会は滅多にないのに。

 だが、巫女の少女はそんな私の消沈など知りもせずに、


「まったく、わらわらと集まって来て、気持ち悪い連中ですねー。そんなにこの透明人間さんが食べたいんですか」


 路地裏から、夜の帳の中から、暗闇の底から、何かが這い出てこようとしていた。

 現われたのは五人。

 いや、ここはあえて五体と呼ぶべきだろう。

 姿かたちはただの人間のようだが、そいつらには共通した特徴があった。

 人間離れした特徴が。


 そいつらには顔がなかった。


 さっき、散々私を恐怖に叩き込んだ連中が、五体もいるのだ。

 しかし、私を庇うように立った巫女の少女は何にも恐れる様子さえ見せずに言い放った。


「妖怪〈のっぺらぼう〉。あんたたちには残念なことだろうけど、透明人間さんはこのてんちゃんが保護しましたから、下がってくださいねー。でないと、根こそぎ退治しちゃうのよー」


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