第107話「衝撃の一撃」
何が起こったのか、僕にはわからなかった。
御子内さんがやられたのはただの猫パンチだ。
腰が乗っていないだけでなく、力が入ってさえいなさそうな悪いパンチのお手本のようなものに、御子内さんがダウンを奪われた。
「なんで……?」
僕が動転していると隣から、
「“
という声がした。
振り向くと、さっきリングに上がっていた元女子プロレスラーがいた。
タオルを被っているので最初はわからなかったけど。
リングでの試合中とは違って、優しそうで温和な顔をしている。
「震打……ですか?」
「ああ。あの猫パンチを打つとき、手首を捻るんだが、その瞬間に全身の筋肉と関節を硬直させて、打撃の力をすべて一点に集中するらしいぜ」
「そんなことができるんですか?」
「あたいだって、信じられなかったさ。ただ、実際に受けてみるとその通りなんだからしょうがない。藍色が言うには中国拳法の技をアレンジしたものらしいけどな」
「ボクシング……じゃないですよね」
「あんたのところのアレだって、純粋なプロレスラーじゃねえだろ」
確かに御子内さんは、巫女レスラーであって、プロレスラーではない。
「でも、どうして僕にそんな秘密を教えてくれるんですか?」
すると、元女子プロレスラーは腕を組んで、にこりと笑った。
「友達を連れ戻すために、わざわざこんな茶番までやる連中にちょっとしたサービスだ」
「えっ……」
「あんたら、藍色をやる気にさせるためにこんなバカ騒ぎをしているんだろ。見りゃあわかるよ。藍色は強いけど、その分、妙なやつだし、いつも不完全燃焼しているっぽかったからな。それでこんな茶番をやって、あいつに火をつけようとしてんだろう? みんな、わかっていたぜ」
さらに後ろにはさっきのアフロとモスキート級がにやにやしていた。
どっちも試合中の怖さはない。
年上に弄られているようなくすぐったさがあった。
「みなさんも?」
「まあな。最初はあの言い草にムカついたが、よく見りゃあ藍色のバカと似たような奴だし、実際に手合わせすりゃあマジで強いしな」
「残りの連中もやりたがっていたぜ」
「すいません、失礼なことして……」
背中を叩かれた。
「いいぜ。いい試合が見れたしな」
「えっ、まだ終わってませんよ」
「藍色の震打を喰らって立ち上がれるやつはいねえよ」
この人たちからすると、藍色さんのさっきの猫パンチはそれほどまでの必殺ブローなのかもしれない。
でも、この人たちは知らないみたいだ。
打たれて倒れても10秒以内に立ち上がれるのは、何もボクサーだけの特権じゃない。
知らないのなら仕方がないけれど、でも僕は知っている。
御子内或子を。
巫女レスラーの執念を。
「おおおおおっ!!」
観客が沸いた。
倒れていた御子内さんがロープを掴みながら立ち上がってきたからだった。
僕の隣にいた選手たちも驚いていた。
彼女たちは藍色さんの震打を喰らったことがあるのだろう。
だから、予想していなかったのだ。
御子内さんが立ち上がるということを。
「よし!」
僕は手を叩いた。
御子内さんを鼓舞するためだ。
「まだ、いける! まだ、いける!」
ふらつきながら、ロープにもたれかかりつつ、御子内さんは立ち上がる。
「―――当然じゃないか。ボクを誰だと思ってるんだい? まだ、やれるさっ!」
呟くと同時に、御子内さんが滑る。
奇襲技のカニバサミだ。
すべてが立ち技のボクサーには有効な奇襲だ。
だが、やはり藍色さんは退魔巫女の同期だった。
御子内さんが立ち上がった以上、この程度の反撃はしてくると予想していたのだろう。
軽いバックステップだけで躱された。
しかし、御子内さんは立ち上がらず、仰向けの状態のまま、睨みあっていた。
あれは……
「おいおい、アリキックかよ」
「さすがにどうだ?」
かつて世界チャンピオンのモハメド・アリ相手に使われた、寝転がりながらキックで攻撃するスタイルだった。
レスラーがボクサーにやるにはありがちとはいえ、効果的な技だ。
でも、あの御子内さんが選ぶにしては消極的だし、ちょっと卑怯な気がしないでもない。
観客席もちょっと興ざめしている気がした。
だが、リング上の二人は真剣なままだ。
「或子さん。それは何?」
「見てわかるだろ、対ボクサーの秘策だよ」
「……それが私に通じると思っているのかにゃ?」
「思っているけど」
「ボクシングも私も舐められたものです。そんにゃの、とうの昔に対策を立ててます!!」
藍色さんが左手を引きつけた。
そのまま天を衝くように高く拳を掲げ、咽喉が裂けんとばかりに叫ぶ。
「だああああああ!!」
そして、マット目掛けて振り下ろす。
何かが場内を吹き抜けた。
風―――じゃない。
熱―――でもない。
それは震えだった。
何か、身体を揺らすものが、文字通り倉庫の内部を震撼させたのだ。
震源地は間違いなく藍色さんの拳だった。
リングのマットに落とされた一撃が何かをしたのだとわかるが、さっきの猫パンチ同様にさっぱりわからない。
ただ、藍色さんの行動の一瞬前に、寝転がったままアリキックを狙っていた御子内さんは跳ね起きていた。
彼女の動物的な勘か、いくさ人の予知能力か、不思議な力が危険を告げたのだろう。
カアアアアン
またゴングが鳴った。
だが、御子内さんたちは自分たちのコーナーに戻らない。
リング上の中央で無言のまま睨みあっていた。
「―――なんだ。準備してはいたんじゃないか」
「まあ、そうね。でも、一年ちょっとかかったんですけどね」
「あの地を這う妖怪対策の必殺技かい? さっきの中国拳法みたいな猫パンチだとか、今の衝撃波とか、ボクサーの技じゃないね」
すると、藍色さんは笑った。
「そうね。ホントの私はボクサーじゃにゃくて、やっぱり或子さんたちと同じ退魔巫女だったのかも。―――ここのお客さんたちからすると、巫女ボクサーらしいけど」
二人は改めて軽い握手をしてから、自陣のコーナーに帰ってきた。
御子内さんは少しだけふらついている。
猫パンチのダメージだろうか。
「いや、さっきの衝撃波だよ。咄嗟に立ち上がらなかったら、あのまま動けなくなっていたよ。技か、術か、よくわからないけど……。まったく、とんでもないものを編み出していたみたいだ」
御子内さんも疲れ切っているみたいだけど楽しそうだ。
それもそうだろう。
腐っていたと思っていた友達が、実は以前負けた妖怪と戦うときのために新しい技を開発していたとわかったからだ。
完全に心が折れてしまっていたのなら、技の研鑽も開発もするはずがない。
最初は本当に負けたショックで立ち上がれなかったのかもしれない。
でも、藍色さんは結果として自分の足で立ち上がろうとしていたのだ。
僕たちのしようとしていたことは実は無駄足だったのかもしれない。
「ここはお金を賭けたりなんかして、あまり褒められた場所じゃないけど、ある意味ではボクサーの聖地みたいなところなんだろうね。ここで他のボクサーたちと切磋琢磨してきたから、あいつも復活できたんだろうさ」
一息つくと、御子内さんは立ち上がる。
「ただ、今日までボクらを心配させたツケは払ってもらおうかな」
「凄く取り立てが厳しそうだね」
「これからは同期を見つけ次第、さくっと始末したくなるぐらいの取り立てを行うよ」
カアアアアン!
第三ラウンドが始まる。
そして、僕は予感した。
このラウンドこそ、二人の退魔巫女の決着のときなのだと。
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