第106話「VS巫女ボクサー」
リング上で向き合う、二人の改造巫女装束。
片や素手、片やボクシンググラブと対照的だ。
比較的オープンな構えをとる御子内さんに対して、藍色さんの構えはオーソドックスなアップ・ライト・スタイル。
サウスポーゆえに左手が顎を守るように下がっているのが際立つ。
だが、前回の女子プロレスラーとの対戦では最後には上体を屈めたフル・クラウチに移行していたので、スタイルを固定するというタイプではないようだ。
僕の知っている限り、退魔巫女たちは一つのパターンに固執することもないので、アップ・ライト以外にチェンジしてくることは十分に考えられる。
特にボクシングは攻防一体の基本がしっかりしている。
何があってもすぐに構えに戻ってくるのはそのせいなので、意識的に変えられるとかなり厄介だ。
「……キミとやるのは久しぶりだね、藍色」
「二年ぶり?」
「あの頃とは絶対的に違うんだろ? でなければ、ボクの圧勝だ」
「ボクサーは毎日の研鑽を欠かさにゃいのが売りです。そして、研鑽は勝利へと繋がるにゃ。或子さんこそ、無意味な試合ばかりで楽をしていたのではにゃいの?」
「まさか。いつだってボクは意味のある戦いをしている」
軽い挑発の応酬。
ゴングが鳴っても二人ともすぐには動かない。
この〈合戦場〉のルールでは、五分1ラウンド、それをずっと繰り返すということになっている。
通常の三分よりも長いのは決着を早めるためだろう。
最後はどちらかが立てなくなるか、KOのみということになっているのは、賭けボクシングでもあるからだった。
通常のプロの興業のように判定のためのジャッジが用意できないので仕方のない面もあるが、それよりは殴り合いのカタルシスを引き出すためのものだと思う。
ともに際立った技術とタフネスの持ち主であるボクサーなので、そうでもしないと決着がつかないというのはあるかもしれない。
「私がすぐにでてこにゃかった理由がわかりますか?」
「さあ」
「―――同僚たちが貴女の体力を削ってくれると信じていたからです。いかに無尽の体力と謳われた或子さんでも、少しキているはずです」
「なんのことか、わからない。ボクは最初と変わらないけど」
「この〈合戦場〉のボクサーを相手にして少しでも消耗をさけられるということはありえません。いいハンデをもらいました」
「ハンデつきでいいのかい?」
「私が御子内或子を過小評価することは決してにゃい」
藍色さんが前進した。
ボクシングの魅力は軽妙な足の動きを中心としたスピード感にある。
足でのフットワークを用いた機動力があるからこそ、相手のパンチをうまくかわして、自分のパンチを急所に命中させられる。その攻防を支えるのはなめらかな身体の動きとリズム感だ。
こんな言葉がある。
「フットワークは、ボクシング全体の動きの六割を占めている。残りの四割はフットワークと手の動きをシンクロナイズさせたものだ」
つまり、パンチングよりもフットワークが重要なのだということであった。
藍色さんは見たところ接近戦が得意なパンチャーではなく、アウト主体のボクサー型のようだったのに、いっきに前進したことが驚いた。
右のジャブが御子内さんの顔面を撫でる。
当然、彼女は両手でブロックするが、いつものように即座に反撃に移ることができない。
いや、やろうとはしているのにできないのだ。
藍色さんはコンビネーションを使わずに右ジャブだけを連打するので、左のストレートを警戒して前に出られないのだろう。
しかも、ジャブも一発一発が急所を狙う強い力を持っているようだ。
その気になればジャブだけで敵を仕留められるほどに重い。
退魔巫女の一撃の重さを知っている僕からすると、反撃を見越して用意されたカウンターが控えている以上、御子内さんが防戦に回るのも理解できる。
ただし、そこで心が折れるなんてことは絶対にないのが彼女たちだ。
わざとガードの一部を下げて誘った。
罠とわかっていても隙を見逃すボクサーはいない。
藍色さんの左ストレートが迸る。
あえて作った隙に目掛けて飛んでくるストレートを、御子内さんはキャッチしようとしたが弾かれる。
顔面をパンチが抉る。
違う、頬を掠っただけだ。
最接近した御子内さんはそのまま頭突きをかまそうとした。
バッティングはボクシングでは反則なのだが、ボクサーでない御子内さんのタブーではない。
だから躊躇なくいく。
しかし、その頭は右手のグラブで遮られた。
これは読まれていたのだ。
右手を伸ばして御子内さんを引き剥がす。
たたらを踏んでバランスを崩しているところを、一度引き戻した左手でショートフックで追う。
ボディに入った。
そのまま、ワンツーからのコンビネーション。
咄嗟にガードを閉じてもそのまま力と勢いで藍色さんが追い立てる。
速い、速い、速い。
まさにボクサーの狩りだ。
躍るような連打によって、御子内さんはロープ際まで追い詰められた。
そこでも連打は止まらない。
「踊れ!!」
「舞え!!」
「マイマイ開始だ!!」
観客が歓声を上げる。
きっとこれは藍色さんの必勝パターンだ。
アウトボクシングを主体とするくせにいざとなったらここまで激烈なラッシュをもこなす、まさにボクサー。
無呼吸のまま必殺のパンチを放ち続ける。
さすがの御子内さんが防戦一方―――になるわけがない。
膝が上がった。
蹴りではない。
リングシューズの裏をロープの最下段に乗っけて、そのバネを利用して斜め横に飛んだ。
一瞬のことなので、藍色さんの反応がわずかに遅れた。
下方から切り裂く御子内さんの手刀が煌めいた。
ただのチョップではない、まさに刃。
藍色さんの白衣の襟をスパッと斬った。
呼吸を整える頃合いと考えたのか、その反撃を機に一度藍色さんが下がる。
御子内さんは追わない。
さすがにさっきのラッシュで体力等を相当削られたのだろう。
クラブ越しとはいえ、ボクサーであり退魔巫女の重い攻撃を受ければ骨にもくるというものだ。
攻防そのものは地味だが、考えられた戦いと張り巡らされた罠の数々が見応えを与えている。
いつもの御子内さんの敵である妖怪・悪霊の類いと違い、やはり考えて行動する人間相手の戦いは難しい。
思考する敵というのはそれだけで恐怖なのだ。
ゆえに、他人に舐められたくないのならば、常に裏がある相手と思わせるのが効果的であるらしい。
まあ、御子内さんの場合は発想がとんでもないので常に意表をつけるというのがあるんだけど。
カアアアン!
いつの間にか、五分が終了していた。
コーナーに戻ってきた御子内さんは珍しく荒い息をしていた。
用意した椅子に座り、どっと疲れた顔をしている。
「大丈夫?」
「いいのはもらっていない。でも、これだよ」
見せつけられた両腕は紫に染まっていた。
あの連打のダメージだろう。
「さすがは藍色だね。まだ基本的な技しか使っていないのに、この様だよ」
「基本的な技って……。まだ、あれ以上があるの?」
「ないと思うかい?」
「―――思わないね」
「だろ? 少なくとも、退魔巫女の修行をしていた道場ではもっと色々と仕掛けてきていた。まだ、色々と隠しているのはわかる。この間のお綺麗なアウトボクシングスタイルの方がらしくない」
「やっぱり」
「ああ、ボクの同期の中で一番、技が美しいのはあいつだけどそれだけの女じゃない。せっかく、引きずり出したんだからもっと楽しませてやる」
楽しませる。
それが今日のこんな大騒ぎの目的だ。
友達であることから、藍色さんの性格については音子さんたちもよくわかっているようだった。
そして、口々に「試合やればいい」とか「戦ってみればいいだろ」とか言うのである。
力づくで解決するのではなく、戦ってみて決めさせろという考えなのだ。
どう違うのか甚だ難しい話だが、彼女たちからすると藍色さんは三つ子の魂百までというままにファイターなのである。
ファイターとは戦わずにはいられない生き物で、もし藍色さんが何もせずに引退していたのならばともかく裏のボクシングで月に一度試合をしている状況ならば単にくすぶっているだけと介錯するしかないというのであった。
僕としても大筋では納得できる。
彼女はボクシングが好きなだけと言っていたが、本当にそれだけなのか。
御子内さんに言わせると、「初志を忘れているだけさ」ということらしい。
それを思い出させるために、わざとこんな騒ぎをしているのである。
好敵手と合いまみえ、自分の力を存分に引き出すことの楽しさを思い出させればいい、そういう計画なのだ。
「妖怪が怖くなったとかじゃないの?」
「藍色だって人間だからそれはあるだろうけど、それなら実家の神社にもいられないはずだよ。退魔巫女の実家はなんだかんだ言って妖魔の標的になるからね」
「そっか。ただ、色々と見失っているだけなのかな?」
「だから、ボクの鉄拳で思い出させてやるのさ。あいつの身体の奥底で眠っている修羅を引き出すんだよ!」
……そんなものを秘めているのは君ぐらいのものだよ。
というツッコミはやめておく。
よく考えたら、退魔巫女はみんなそうだし。
あのお気楽っぽい熊埜御堂さんですら、時折尋常でない殺気をだすしね。
「じゃあ、そのための準備をしよう。機会は一月後でいいかな」
「ああ、任せたよ、京一」
そして、僕たちは今のこの試合の日を迎えたのだ。
「―――じゃあ、いくよ」
「ご武運をね」
再びゴングが鳴り、二人の巫女が中央に集まり、互いの拳を軽く打ち付ける。
少し距離をとった藍色さんの構えが変わっていた。
前にあげた右腕のガードを下げたのだ。
いわゆるヒットマンスタイルであった。
あれは速くてよけにくいジャブを打つためのスタイルだけど、通常は右をもらいやすくなり、サウスポーにも弱いと言われている攻撃的な構えだ。
しかし、それをサウスポーの藍色さんが使うとなるとまずい。
藍色さんよりもやや小柄な御子内さんにとってはリーチの面で不利にもなるし、腕を上げることによるスタミナの消費も避けられる。
手数をかける際には、戻す手を低くする方が速いという利点もある。
昨今ではメイウェザーなどの海外の選手がオーソドックススタイルと切り替えながら使っているので有名でもあった。
そのヒットマンスタイルからのジャブが飛ぶ。
フリッカーというほどにはならないが、ボクシングの間合での人間の視界というものはへその位置から下は捉えられないので、何もない空間から急に拳が出現したように見えるらしい。
さすがの御子内さんが幻惑されていた。
あれが、藍色さんの切り札なのか?
第二ラウンドもまた藍色さんの優勢が続く。
まともにヒットこそされないものの、間合いに入り切れず、やけくそ気味の蹴りなどはほとんどかすりもしない。
御子内さんが再びロープ際に追い詰められたとき、突然、巫女ボクサーの動きが変化する。
右手の甲だけが上になる握り方―――横拳に変わった。
空手や拳法ならばともかく、ボクシングではあまりない握り方だ。
パンチを放ったとしても、アップ・ライト・スタイルの構えからリストを回転させながら振り下ろすのでは力が伝わらないはず。
手首の返しが効いていたとしても、相手にダメージを与えられない、俗にいる猫パンチにしかならないのである。
「なんで!!」
右ジャブから、顔を上から下へなでるように当たった左のパンチが御子内さんをダウンさせたのだ。
あんな力の入っていなさそうな猫パンチでどうして!!
「御子内さん!!」
僕の絶叫を、観客の歓声が打ち消す。
遂に巫女ボクサーの隠し持った刃が牙をむいたのだと僕は悟った。
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