第104話「〈合戦場〉にて」
裏の賭けボクシングは月に一度。
三度の飯よりもボクシングが好きだという男たちが、力の入った試合を観るために集まってくる。
試合に出る選手たちは、金のためであったり、殴り合いが好きであったり、ただ自己実現のためであったりと様々な理由を持っていたが、ただ真剣であるという一点では嘘をつかなかった。
アングラが仕切っている以上、仕込みの為された八百長のおそれもあるが、そこは海千山千の客揃い。
そんなイカサマの入る余地のない戦いで充実していたともいえる。
賭けた大金をすって失った憎悪と、予想以上の配当を得た喜びとを混ぜ込みつつ、観客は自分たちの闘技場で戦う選手たちを愛していた。
ただ、その日に限っては違っていた。
男たちはある予感を抱いていたのだ。
彼らの聖地を脅かす敵がくるという予感を。
そして、それは的中した。
敵がやってきたのだ。
改造した巫女装束を纏った、最強の相手が。
◇◆◇
僕たちがマイクを持ってリングに上がるのを、観客たちはいぶかしそうに睨んできた。
この裏のボクシング会場、通称〈合戦場〉においてはこういう演出はあまりなされないからだ。
だから、僕と全身に白いシーツのような布を被った正体不明の人物がマットに上がると、ざわついていた空気が一気に静まりかえる。
何事かという感じなのだろう。
シーツの怪人物の正体も気になるようだし、蝶ネクタイ用のウィングカラーシャツを着て、オールバックの僕はどう見ても高校生だ。
自分の童顔がこういうときはホントに困る。
でも、僕ぐらいしかこういう役をこなせるのはいないし、もう一人いるけれど別の仕事で忙しい。
「―――レディース・アーンド・ジェントルメン!!」
仕方なくとはいえ、乗り掛かった舟である以上、最期まで道化役を貫き通すのがプロというものだ。
僕はマイクを片手に声を張り上げた。
この日のために練習してきた甲斐があった。
「この場に集ったボクシングファンの皆さま! 男同士に限らず、女性を含めた、拳闘の魅力に憑りつかれた紳士淑女の皆さま! 今宵この場では、皆さま方のために特別な試合を用意させていただきました!」
身振り手振りを大きくして、あまりやったことのないジェスチャーまで交えて、観客たちの興味をそそるように振舞った。
ちらりと横目で確認すると、意外と食いついているようだ。
今のところ、この〈合戦場〉の主催者側が用意したショーの一環のように見えていることだろう。
まあ、僕がこんな場所で MCをやっていても主催者側の黒服がやってこないのだから、胡散臭くはあっても、試合を盛り上げるための余興だとしか普通は思わないか。
「今宵、この〈合戦場〉に集ったボクサーは十人。それぞれの選手にかかったオッズはこちらになります」
倉庫内の各所に用意された液晶画面に映し出されたのは、登場する十人のボクサーそれぞれへの賭けの倍率。
それを見て、怒声に似た唸りが起きる。
あまりにオッズが高すぎるからだ。
彼らが応援して来た名の売れた選手たちに対するものとは思えない、まるでネッシーが発見される確率ぐらいに低すぎる評価なのだから。
バカにされていると感じたとしても不思議はない。
何よりも、彼らのアイドルでもある猫耳藍色についても、3.5倍という高すぎるオッズがつけられていることに彼らは憤慨していた。
この〈合戦場〉で最高と言ってもいいサウスポーであり、最強の巫女ボクサーに3.5倍だと?
ふざけるな!?
そう彼らは憤っているのだ。
気持ちは僕にもわかる。
彼らの神経を逆なでるためだけにわざと設定した数値なのだから。
「なお、皆様方が賭けることができるのは当〈合戦場〉所属のボクサーのみです。こちらで用意した選手が勝てば親の総取り、今回に限って胴元の私どもは一切の控除はいたしません」
なんという無茶苦茶な配当方法だろうか。
これを考えたやつはバカに違いない。
……って、僕なんだけど。
まあ、どのみち挑発が成功すればいいだけのこの場限りのザルな理屈なんだけどさ。
ただ、観客は食いついた。
ギャンブル場に入り浸り、酒を飲んで暴れることも厭わないゴロツキみたいな人たちだ。
舐められることについては非常に敏感なはずだった。
「ざけんな、コラアアア!!」
「何様のつもりだ、ボケがあ!!」
「てめえ、〈合戦場〉のボクサー舐めてんのか!!」
「主催者出てこいや!! あんま舐めた真似すっと殺すぞ!!」
ブーイングを通り越して罵声が狭い会場内を弾け廻り、僕目掛けて紙コップが飛んできた。
イスとかが飛んでこないだけまだマシか。
これだけ嫌われるというのはそうはない。まさに針の筵である。
「―――ご静粛に! ご静粛にお願いします! 皆様方のお怒りはごもっともです! ただ、一言だけ言わせてください! ただ一言だけ!」
「なんだ、このクソガキ! 殺すぞ、ワレ!!」
「言ってみろや、コラアアア!!」
僕は努めて冷静な振りをして言った。
「……こちらが用意したのは、皆様方が愛するボクサーが束になっても敵わない、最強の選手なのですから、目ん玉ひんむいてとくと見ろや、コラアアア!!」
もう最後には僕も売り言葉に買い言葉だ。
おまえら、みんな黙らせてやる。
こっちの切り札の実力を酒で爛れた脳みそに焼き付けてみやがれってんだ!
「万夫不当、天下無双、最強とはまさにこいつのためにある―――無敵の巫女レスラー・御子内或子とはボクのことだ!!」
僕の仰々しい紹介アナウンスとともに、正体不明の人物が白いシーツを剥ぎ取った。
リングの中央に現われたのは、白衣と緋袴、アームバンドとリングシューズといういつも巫女装束をつけた御子内さんだった。
彼女はトップロープに脚をかけて、観客席を睥睨する。
そして、重々しく宣言する。
「―――弱い犬ほどよく吠えるもんだね、あああん」
いつもの可愛い顔が悪い笑みを浮かべる。
あれが本心からだとすると、百年の恋も冷めるかも。
苛立ちが頂点に達したせいか、逆に観客席が静まり返る。
「君たちが愛するボクシングは弱い! 何故か!? 教えてあげるよ! ボクサーはグラブをはめる! 蹴り技がない! 組み技がない! 投げ技がない! 極め技がない! だから、ボクのような完全な闘士にはかなわない! だいたい、殴るだけとかパンチだけとかありえないね。必殺技の一つもない闘技が存在していいはずがない! どうせだったら、ブーメランフックでも爆裂消球でも10センチの爆弾でも使えるようになってみればいいのに、それさえもできない連中なんてお話にならないね!」
うん、一つだけ関係ないものがあるね。
「なんだと、このビクがあ! そっから降りてきやがれ!」
「ふざけるなっっ!?」
「犯して殺すぞ!!」
もう観客の憎悪はピークに達していた。
悪役ここに極まれりだ。
御子内さんのキレ芸もたいしたものである。
「―――キミらじゃ、ボクの相手はできないよ! さあ、やってこい! この〈合戦場〉とやらのボクサーども! 一人ずつが怖いなら、十人まとめてかかってきてもボクは何の問題もないからね!」
その視線の先に、どこからともなくスポットライトがあたる。
会場の倉庫の隅の暗闇からこちらを窺っていた人たちを照らし出した。
十人いた。
男女の別なく全員がガウンを羽織って、手に自分用のグラブを持っている。
凄まじい形相でリングの上の御子内さんを凝視していた。
それはそうだろう。
自分たちにとっての楽園かもしれない場所を土足で荒らされているのだ。
許せるものではない。
しかも、この会場はついさっき僕たちによって制圧され、あのボクサーたちは嫌々ここに引きだされたのであるから。
観客用の入り口と選手・スタッフのための裏口を固めているのは、レイさんと音子さんだし、こぶしさんと熊埜御堂さんが得意の術で完全に主催者たちを抑え込んでいる。
わざわざ呼び出してもらった〈社務所〉の禰宜さんたちまで動員しての、一大作戦なのであった。
つーか、〈社務所〉の人たちって特殊部隊か何かなのかな。
僕の適当な計画をここまで完璧に実行するのはちょっとおかしいでしょ。
別に構成員ではないけれど、いつまでもつきあっていてはいけない組織な気がしないでもない。
「―――さあ、まず最初に御子内或子に挑戦する無謀な挑戦者は誰だ!? それとも〈合戦場〉などという大胆な名称はただのハッタリなのか! ボクシングとはその程度のものなのか!? この場に集った十人のボクサーの返答は如何に!?」
もう口火は切られてしまったので、のっかるしか道はない。
僕もやけくそ気味になってマイク・パフォーマンスでボクサーたちを煽った。
本当はただ一人を本気にさせるだけの芝居なんだけど、もう始まってしまったものはしかいないしね。
「―――俺が行く」
ちょっとあり得ないアフロの髪型の男性ボクサーが進み出た。
アフロってだけで強そうに見える。
最近ではサッカー選手でしか見かけないような、派手すぎる髪型であるが、アフロといえばかつてはチャンピオンのためのものといってもいい時代もあったのだ。
彼は観客席からの爆発的な声援を受けて、花道を歩き、そしてリングに飛び乗った。
視線には油断の欠片もない。
彼にはわかったのだ。
御子内さんの実力が。
初見でそれだけを見抜けるほどのしっかりとした拳力の持ち主でもあるということだろう。
そのまま、少しストレッチをすると、ファイティングポーズをとった。
「グラブを外してもいいんだよ」
御子内さんの忠告をアフロは無視した。
「俺はボクサーだ。グラブを外す気はない」
すると、御子内さんは浮かべていた悪い顔を可愛い微笑みに変えて、
「うん、それがいい」
楽しそうに言った。
カアアアアン!!
誰かがゴングを鳴らした。
僕は御子内さんの勝利を信じてリングから降りる。
いきりたった観客のすぐそばまで行くのは怖いけれど、御子内さんの邪魔はできない。
僕が背を向けたと同時に、巫女レスラーとアフロのボクサーの戦いは始まっていた。
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