第103話「於駒神社の境内で」
しばらくして、僕は〈社務所〉の指導員もしているという不知火こぶしさんに紹介してもらった中野の神社に向かった。
中野といっても、中野ブロードウェイのあるJR線沿いの中心街ではなく、やや離れた場所である。
最寄駅は東京メトロの中野新橋だと聞いていたのに、実際にはもっと中野富士見町寄りでだいぶ歩くことになった。
しかも、この辺りは路地が入り組んでいて意外と迷う。
とはいえ、目的地に辿り着くのは容易かった。
頭上を三本脚のカラスが飛んでいたからだ。
八咫烏―――御子内さん風にいうのならば、
『モウスグダゾ、小僧』
「とりあえず、僕は二度と鳥のいうことを鵜呑みにしないことにするよ」
『鵜ニ失礼ナヤツダ』
「所詮、鳥さ」
しばらく行くと、高校らしい建物と運動場を横目に通り過ぎ(びっくりした。アメフトをやっているよ。区内の学校は都下とは違うね)、坂を下って行った先に今度は石段があった。
それほどの高さはないが、都心の住宅街にあるものにしては珍しいかも。
鳥居を潜り抜けて登りきると境内があり、それなりに緑が豊富だった。
奥には拝殿がある。
だが、そこまで行く必要はなさそうだった。
ここまで訪れた目的の人物が境内のゴミを竹ぼうきで掃いていたからだ。
地味な白衣と緋袴と草鞋を履いている、ごく普通の巫女の身支度だった。
普段から巫女レスラーと一緒にいると、彼女たちの改造巫女装束に慣れ過ぎてしまい、どうも感覚が偏ってしまっていたけれどこれが普通だよね。
地味だけど清楚でいかにも神職という趣きがある。
でも、この
「あれ、この間の」
玉砂利を踏む音のせいで接近はすぐ気づかれた。
あの薄暗い倉庫で見た時と違い、明るい陽の当たる世界での彼女―――
退廃的な雰囲気といっていいものを身にまとっていたはずなのに、今日はこの神社の静謐で荘厳な風景に溶け込むような可憐さだ。
古めかしい神社の境内にまぎれても何の違和感もない。
「……どうにゃされたの?」
藍色さん特有の「な」を「にゃ」とする口癖のおかげでなんとか我に返った。
突っ込まねばという使命感を思い出したというか……。
まあ、別に口には出さないけど。
御子内さんと愉快な仲間たちに一々ツッコんでいたら身がもたないからね。
「いえ、この間とは感じが違っていたので驚きました。あ、御子内或子の助手を専属みたいな形で務めている
「知っています。神宮女さんのTwitterやインストグラムにたまに映っている方でしょう? 或子さんの助手だったと明王殿さんに聞いて驚きました。てっきり、神宮女さんの彼氏だとばかり……。あ、わたしは猫耳藍色です」
あれ、と思った。
この人、同期の友達とは距離を置いていたはずなのに、SNSはチェックしているんだ。
連絡も取りあっているみたいだし。
「八咫烏もいますね……。あれが升麻さんをここに連れてきたんですか」
「退魔巫女が奉職している神社には人払いの弱い結界が張ってあると聞いたんで、あいつの道案内が必要だったんです。僕はただの一般人なので」
「はて」
じっと顔を見られた。
まさに凝視された。
ピコピコと彼女の頭頂の癖っ毛が動いた……ような気がした。
まさか、本物のネコミミとかいうオチはないよね。
「ただの、というにはかにゃり変わった顔相の持ち主のようですけど。まあ、そうでにゃければあの或子さんの助手はできませんか……」
「確かに色々はありましたけど」
「色々という範疇で括っていいレベルではにゃいと断言できますよ。同期だったというだけで、わたしたちもだいぶ彼女に引っ張りまわされましたからね。あの子と付き合うということは尋常でにゃい苦労を背負うということと同義です」
御子内さんがいかにトラブルメーカーであるかについて語っているときも、あくまで気怠げな藍色さん。
徐々に縁側で日向ぼっこをしているポンコツな猫に見えてきた。
「……それで、わざわざわたしの実家にまでご足労していただいたみたいですが、どんにゃ御用ですか?」
「ご実家、だったんですか?」
ちょっと驚いた。
まさか、この静謐な場所が彼女の家だとは……。
そういえばよく退魔巫女たちが実家云々と言っているのはこういうことか。
まあ、実家が神社でもないと退魔巫女になったりはしないかも。
「ええ。〈社務所〉の巫女は由緒ある神社の娘であることが多いのです。この
「そうなんですか……」
「於駒神社は、かつて佐賀の鍋島藩の当主である鍋島勝茂を襲ったという〈化け猫〉を祀るために建立されたと言われています。故に、拝殿にはその時に退治された猫の遺骸が納められているのですよ。寛永年間の出来事ですが、一般の方々はあまりご存知にゃいことでしょうけど」
佐賀鍋島と言えば有名な〈化け猫〉の元祖みたいなところだ。
僕でさえ知っている話だ。
なるほど、だから跡継ぎの藍色さんはどことなく猫っぽいのか。
うん、そうだ、そういうことで納得しよう。
藍色さんが猫っぽいのは名前と生まれの両方のせいだ。絶対にわざとあざとい猫キャラを演じているのではないと信じよう。
「於駒というのは、その〈化け猫〉の名前です。一族の者に言わせると、実はわたしたち猫耳の家のご先祖様であるとかにゃいとか……」
よし、確定。
この人が猫っぽいのはご先祖様のせいだ。
「僕がここに来たのは、御子内さんには内緒です」
「あら、いいのかにゃ。或子さんが怒りますよ」
「仕方ないですね。実際、御子内さんたちが最近の妖怪や悪霊の多発に苦労しているのは事実ですし、なんとか藍色さんに復帰してもらいたいというのは本音です。ただ、彼女たちだとどうしても交渉が決闘になりそうなので」
「―――違いにゃい。一対一の戦いには人生に必要であるものがすべてそろっているからねえ」
欠伸をしながら、藍色さんは言った。
よさそうなことを言っているけど、結局はバトルか。
「じゃあ、どうして退魔巫女に戻らないんですか? あそこではバトルに困らないのでは?」
藍色さんは喉をくるくると鳴らす。
どういう意味の仕草なのだろう。
「わたしが好きにゃのはボクシングだけ。あのたった数ラウンドのために、毎日毎日休まずに走り続けて、節制して、身体を動かして、弱点を潰していく作業がたまらにゃく好きにゃだけ。別に或子さんたちみたいに熱い戦いが好きじゃにゃいのですよ」
「だから、あの倉庫の賭けボクシングで満足だと」
「まあそうです。あそこにいるのは駄目にゃオジサンばかりですけど、いつも休日には一般には見向きもされにゃい試合に足繁く通っているボクシング好きの集まりだし、賭けだけが楽しみってのは逆に少にゃいんです。実はボクシングが好きでたまらにゃい集いでもありますね」
なるほど、裏の狂った遊びのように見えて実のところ本質は違っているのか。
だから、退魔巫女なんていうある意味では狂信的な正義に染まったところの出身である真面目な藍色さんが離れられないのかも。
ただ、だったら、この前の女子プロレスラー上がりの人はどうなんだろう。
ボクシングの好事家の集いにしてはおかしいよね。
そこを変に思わないのかな。
「わたしはあそこで十分にゃんです。或子さんたちには悪いけど、妖怪相手のきったはったは彼女たちに押し付けさせてもいますね。ああいうのは趣味じゃにゃいんのですから。―――では、これで」
そういうと、彼女はまた境内の掃除に戻った。
そっけないけどわかりやすい拒絶だ。
もうこれ以上は会話したくないというのがわかる。
だから、僕も食いついたりはしない。
だって、嫌がる女の子と話を続けるなんてパクチーでセロリを食べるぐらいに苦いことだから。
でも、僕には理解できたことがある。
同時に対処法も。
「泣いた赤鬼作戦でもいいか……」
たまには御子内さん思い付きの雑な作戦を採用してもいいかもね。
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