第102話「猫耳藍色は巫女ボクサー」
「立ち話もにゃんだから、入ってよ」
シャワーを浴びたばかりで、シャンプーと石鹸の香りのする控室に僕らは招かれた。
元々ついていたものではなく、レンタルされているボックス型のシャワールームがついているようだ。
あとは、ほとんどもののない殺風景な場所だった。
淡い白色灯に照らされた、湯上りの藍色さんは妙に色っぽい。
雰囲気がやたらと落ち着いているのだ。
なんだろう、仕事に疲れたアラサーOLのような気怠さも感じるし。
正直なところ、さっき、彼女が咄嗟に口にした「はにゃ~」と「にゃ」とかいう、普通にやればあざとい口癖がなければとても御子内さんたちと同い年には思えない。
あと、名前の通りのネコミミっぽい癖っ毛か。
試合のときに着ていた巫女装束ではなく、シックな色合いのサマーセーターとサブリナパンツが大人っぽい。
しかも、大きな金の輪っかのイヤリングと軽く塗ったルージュがアダルトな印象を増している。
少し驚いた。
さっきのリングの上でのイメージからすると、クールでストイック、そして質素なタイプに思えたのだが、私服姿は極めてお洒落だ。
さらに言うと、女子力が物凄く高そう。
女子力なんてご飯と一緒にムシャムシャ食べてしまいそうな御子内さんたちと比べると、五歳ぐらいは年上に思える。
「私に……何か、用にゃの? 或子さん―――」
語尾までが妙にアンニュイだ。
まるで普段からトロピカルドリンクを飲みながら、リゾートホテルで水着のまま昼寝でもしているかのように。
もしくは薄暗いスナックのカウンターでシガレット片手にバーボンを飲んでいるかのような。
どういうことか、僕の頭の中はそんな退廃的で煽情的な想像が止まらないのだ。
なんだろう、この女の子は?
色気の塊か。
思わず、僕は自分が童貞のせいだからだろうかと自問自答してしまうぐらいであった。
もっとも、御子内さんはそうでもないらしい。
一緒に訓練していたから慣れているせいだとは思うけど。
「キミへの用なら一つだよ。次の東京オリンピックが決まってから、関東一帯では妖怪だけでなくて、今まで音沙汰のなかったオカルトや都市伝説の類が活発化しているんだ。多分、関東の土地神たちがさらなる再開発があるかもと怯えているからかもしれない。……だから、人手がいる。しかも、一騎当千の
御子内さんに言わせると、ここ一、二年の妖怪の活動回数は異常なのだそうだ。
それだけでなく、かつては存在しなかった都市伝説から生じた妖魅や力を増した悪霊の働きも活発化する一方だという。
御子内さんと僕の妖怪退治がやたらと多いのもわかる気がする。
同じ状況はかつて昭和に開催された東京オリンピックでもあったらしく、すわその再来かと警戒されているらしい。
だから、戦力として計算できる退魔巫女の確保は重要なのだという。
そして、目の前にいる彼女―――猫耳藍色は活動していない退魔巫女の中でも特に必要な人材だという話であった。
「……無理だよ。わたしはもう退魔巫女の稼業からは足を洗っているのさ。にゃにがあっても、妖魅退治には戻らにゃいよ」
「どうあってもかい?」
「だって、怖いじゃにゃいか。見たこともにゃい異形や耳にしただけで怖気をふるう化け物たちと拳一つでやりあうにゃんてさ。勘弁してほしい」
「ふん。あの、〈聖拳〉とまで謳われた猫耳藍色が気弱になったもんだ。そんなんで生きているのは辛くないのかな。ただ無為に老いていくだけだよ」
「誰しもがあなたのようなバトルジャンキーではにゃいんだ。人には分というものがあって、わたしには場末で朽ちていく愚かにゃ女の役が似合うのさ。そよぐ風と湿った土を友にしてね」
「ボクには愛と勇気以外にも友達はいるけど、キミにはもういないってのかい?」
「そうだよ」
二人はシリアスに会話しているのだが、時折混じる「にゃ」とか意味不明の言い回しがさっぱりわからない。
かといって噴飯するほどでもないし、思わず失笑してしまうほど面白くもない。
極めて訳のわからない会話だ。
御子内さんも調子がズレているという感じではないし、いつもこんな会話をしていたのか、この二人は。
よく考えてみると、まるで二匹の猫が口論しているように見えなくもない。
藍色さんは見事なまでに猫そのものだが、御子内さんだってよくよく観察してみると猫っぽくないか。
まあ、どちらかというとシャム猫のような藍色さんに比べると、
「それにしては、こんなところで賭けボクシングに
「……退魔巫女であることは止めても、ボクサーであることは捨てられにゃいのさ。あなたにだってわかるだろう。染みついた色はどんにゃに上書きしても拭えにゃいんだ」
「言い訳がすぎるね。それだけで月に一回も試合をしているのはとても多いんじゃないかな。例え、キミがボクサーとしてはほとんど打たれない天才的ディフェンスの持ち主で、ダメージが累積しないとはいえ」
すると、少しだけ藍色さんは口を閉じた。
剣呑さはなく、ただ面倒くさそうに。
聞き分けのない子供と口論するのを止めた教師のようでさえあった。
「もうかまわにゃいでくれにゃいか。わたしには、もうボクシングぐらいしかにゃいから仕方にゃく続けているだけで他にはやることもにゃいんだ。ここにももうこにゃいで欲しい。気が散るのさ」
そういうと、僕らを置いて、藍色さんは控室を出ていった。
荷物の入ったバッグを手にしていたから、今日はもう戻ってこないだろう。
仕方なく、少し遅れてから僕らも外へ出た。
来訪者が珍しいのか、他の選手がこちらを観察しているのがわかった。
その中にはさっき藍色さんの左ストレートの一撃で沈んだ元女子プロレスラーの顔もあった。
彼女も試合が終わると鬼の形相がなくなって、ごく普通のお姉さんのようであった。
「……藍色はね。退魔巫女としての一歩を踏み出した最初の頃に、酷い敗北を経験してね」
駅までの道すがら、御子内さんがぽつりと呟いた。
僕に語り掛けるようだったけど、どちらかという独り言に近いニュアンスだった。
「なんでも地面を這い、影から影へと移動する妖怪だったらしい。詳しいことは知らないけど、そいつに藍色は負けた」
「あんなに強いボクサーの藍色さんが?」
「ボクサーだからだね。足元を動く相手には不利なんだよ。マッチアップが悪すぎたってこともあるけれど、それで藍色は自信を喪失したらしい。元々、あいつは生真面目すぎるほど生真面目だから。まったく、ボクサーって人種はだいたい偏屈で気分屋で度し難い連中ばかりなのさ」
必死に悪く言っているけど、音子さんあたりに対するものよりもずっと柔らかい物言いだった。
実際、物凄く心配しているのだろう。
さっき元気に試合をする姿を見るまで、とてもそわそわしていたぐらいだし。
「御子内さんのツンデレ芸も大概だけどね」
「だ、誰がツンデレなんだい!? 変なことを言わないでくれ!!」
「そうだね。で、どうするの?」
「うーん、なんとかしてあいつを現役に復帰させたいのはやまやまなんだけど……。―――仕方ない、赤鬼作戦でいくか」
「御子内さんが青鬼役をやるの? キャラにあっていないから無理はしない方がいいと忠告させてもらうよ」
「な、なんだ、その言い草は!? ボクの作戦を隅から隅まで理解したような気分になるのは止めてくれ!!」
だって、そんな定番の作戦しか浮かばないじゃ、誰にだって先読みされちゃうじゃないか。
なんだか必死な彼女をさておいて、僕も頭を捻る。
確かになんとかしてあげたいのはやまやまなんだけど……。
やさぐれた猫のような巫女ボクサーのために、何か僕らにできることはないものだろうか。
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