第86話「休息を君に」



 結局のところ、やはり僕たちの推理は正しく、あの〈手長〉〈足長〉の二匹の妖怪は、例のタンカー事故による重油流出によって巣としていた場所を追い出されてきたものらしい。

 ずっと空からあいつらを見張っていた八咫烏が、そう断言していた。

 前にもあったが、どうしようもない人間の事情で棲家を追われ、原因となった人間そのものに憎悪を抱く妖怪はたくさんいる。

 多くの野生動物と違って人に牙向く力を持っている彼らは、自分たちを苦しめる敵が来たら即座に反撃を行うだろう。

 あの二匹による被害は三人だったが、退魔巫女たちが動かなければきっともっと多く亡くなっていた。

 それは悲劇ではあったが、喜劇でもある。


「あまり気にしないことだね」


 ただ、この言葉を口にしたのは僕だ。

 やや気分を沈ませている巫女たちを慰める必要があったから。

 件のタンカーはひたちなか市の郊外の岸壁に座礁する形でやってきていた。

 場所が深いところにあるせいで、そう簡単にはどかすことができないらしい。

 今、茨城県と国の役人たちが協議をしているそうだ。

 離れたところからじっともう航行することもなさそうなタンカーを見ていたレイさんが、眉をしかめていた。


「あれ、早く退けろよな」

「仕方ないよ。それには随分とお金がかかるから」

「……船会社の代表が夜逃げしたって。だから、話が進まないらしいよ。外国の会社だから連絡つかないんだってさ」

「まったく、世の中ってのは綺麗にまとまんねえのな」

「民主主義と資本主義は色々と時間がかかるからね。……ボクらの戦いとはまた次元が違うんだよ」


 こぶしさんの車に乗り込むまで、僕らはずっと考えていた。

 あの妖怪たちに同情さえしていた。

 同情を嫌う向きもあるだろう。

 ただ、同情だってしないよりはマシだろう。

 そこに相手を見下す傲慢さがなければ。


「……じゃあ、東京に戻りますね。レイちゃんは柏でいい?」

実家うちに寄ってくれよ」

「残念ね。私、そこまで後輩のためにサービスする気はないの。他のみんなはどう?」


 わざわざ迎えに来てくれたこぶしさんとしては、これも仕事の一環であってあまり面倒をかけては欲しくないらしい。

 さすがは元の退魔巫女。

 それでも、今回の仕事の原因となったタンカーを見たいという僕らのお願いを快く引き受けてくれたのは嬉しかった。


「わたし、実家がたまプラーザだからそっちでお願い」

「却下。246は混んでいるから嫌。山手線ならどこでもいいわよね」

「……どのみちどこにも行く気はねえんじゃねえか、こぶしさんはよ……」

「まったくだ。こんなことなら電車で帰っても同じだよ。こぶしは昔から先輩として微妙なんだよね」

「こら、後輩ども。聞こえているわよ」


 ベンツが音もなく走り出した。

 さすがは高級車だ。

 五人乗っているのに重さを感じさせない軽やかさで、わかりやすいほどにスムーズだった。


「じゃあ、僕の希望も聞いてはもらえませんか?」

「京一さんの? 君だけだったら府中まで送ってあげてもいいけど。なんでも言うことを聞いてあげたいぐらいよ」

「な、なぜ、京一だけ!?」

「ちょっと待てや!」

「だって、この子、あなたたちと違って生意気な後輩じゃあないもの。扱いに差をつけても当然だと思わない?」

「差別だ!」

「区別よ」


 良かった。

 もしかしたら聞いてもらえるかもしれない。

 だから一か八かになるだろうけど、とりあえずでもいいから口にしてみた。


「大洗の海水浴場に寄ってもらえませんか?」

「―――海に行きたいの? 昨日、散々遊んでいたって聞いたけど、またどうして?」

「僕はずっと〈護摩台〉を作っていたので、御子内さんたちとは遊んでいないんです。だから、少し我が儘を言って羽根を伸ばさせてもらおうかな……なんて。すいません、勝手を言って」


 ぶっちゃけた話、嘘だった。

 僕がどうこうということよりも、深夜の戦いで心身ともに疲れ切っただろう巫女レスラーたちに気晴らしをしてもらおうというだけのことだった。

〈手長〉〈足長〉が人間を憎んでいた理由がはっきりして塞ぎこんでいたみんなが少しでも元気になるように。


「うーん、別にいいか。最近はあなたたちの仕事もやたらと多いし、たまには普通の高校生みたいに遊んでも。よし、大洗に行きましょう! 言っておくけど、わたしも遊ぶわよ、いいわね」

「やった!」

「話がわかるな、センパイ!」

「グラシアス!」

 

 御子内さんたちは手を叩いて喜んだ。

 大洗は普通の海水浴場だし、昨日みたいな砂浜トレーニングもないだろうから僕も参加できるね。

 良かった良かった。


「ありがとう、京一!」


 御子内さんが笑っていた。

 僕の内心を見透かしているような笑顔だった。

 どうやら僕の考えていることなんてお見通しなのかもしれない。


「うん、またみんなの水着が見られて嬉しいよ。ところで、昨日の分はちゃんと洗濯しておいた?」

「当然さ! じゃーん!」


 その手には綺麗に乾燥した海水浴セットが握られていた。

 夜のうちに洗濯して干しておいたのだろう。

 用意周到なことで。


「ふふん、こんなこともあろうかと思ってね」


 親友たちと楽しそうにはしゃぐ彼女の姿を見て、僕はほかほかする気持ちになった。

 とにかく今日の残りの時間を愉しんでよ、御子内さん。

 君たちはそんなささやかな報酬では足りないぐらいの戦いをしたんだから。



 ―――天に花、地に星、人に愛、そして戦う巫女レスラーたちに束の間の安らぎを。

 





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