第78話「終劇」



 発勁はっけい


 中国拳法の特殊な技術で、数多の漫画において必殺技として用いられてきた攻撃であった。

 筋肉や関節の運動をスムーズに組み合わせることによって普段より大きな力を出す、あるいは力を一定時間持続させる、一方に集中させる等の体の運用方法。

 ただの突きであったとしても、適した筋肉、関節などの運動の順番、力の出し方を突き詰めて完成させた形が発勁ともいえる。

 しかし、調息した気と螺旋の捩りを加えたそれはわずかな動作で爆発的な威力を発揮できる。

〈殭尸〉に噛まれて同類となった道士が中国拳法の達人だというのならば、つかえて当然といえる技法だ。

 まともに食らえば巫女レスラーといえどひとたまりもないかもしれない。

 元華さんが発した警告はそれを踏まえたものだった。

 だが、遅すぎた。

〈殭尸〉の双掌打は発勁を伴い、音子さんへと放たれた。

 僕の脳裏には想像を超える打撃を受け、吹き飛ぶ彼女の姿が浮かぶ。


「―――っ!!」


 だが、現実には〈殭尸〉の打撃は音子さんをわずかに後退させただけで終わった。

 ただのパンチよりも軽い、押しただけとしか思えない程度に。

 少なくとも客観的にはそう見えた。


「とりゃあ!!」


 逆に音子さんの助走無しのドロップキックが〈殭尸〉の顔面を捉える。

 発勁使用後の硬直状態を突かれ、見事に食らってしまう妖怪変化。


「……どういうことだ!? あの道士様の〈殭尸〉の発勁は確実に発せられていたはずだ。まさか、不発だったというのか!?」


 元華さんの疑問ももっともだった。

 しかし、僕にはすでに答えが出ていた。

 音子さんの平然とした対応からも、別に今の行動が意外なものではなく、彼女にとっては慣れたものだと見えたからだ。


「要するに……音子さんにとって今のは既知の攻撃でしかなかったということですね」

「なんだと……? どういう意味だ?」

「多分、音子さんは過去に何度も発勁を見たことがあり、または受けたことがあるんですよ。そして、対処法も身に着けていた。おそらく、発勁のこもった双掌打を受けた際にわずかに身体をずらすなりして勁を無効化したんです」


 すると元華さんは唖然とした顔をする。

 理解できないのだ。

 拳法を齧ったものからするとあり得ないことなのかもしれない。


「……そんな馬鹿な。さっきの発勁は寸前まで気を練っていたのがわからない完璧なものだったぞ。それを咄嗟に無効化するなんて……。あのレベルの技を普段から見取り稽古していない限り不可能だ!!」

「だから、彼女の傍には高レベルの発勁を使える人がいるんでしょうね。音子さんが慣れ親しんでいるぐらいに」

「―――嘘だ!!」


 元華さんの取り乱しようはわからなくはない。

 もっとも僕にはだいたい見当がついている。

 音子さんの近くにいて、異常なほどに中国拳法の技を使う人物なんて……。


(御子内さんだろうね。あの人、なんちゃって八極拳や形意拳つかうだけでなくて、発勁とかまでできるんだ……)


 常日頃から御子内さんと稽古していれば、そんなのも日常茶飯事になるのだろう。

 もしかして、音子さんが今回選ばれた理由の一つにはそれがあるのかもしれない。

 中国拳法対策ということで。

 

 一方のリング上では、ほとんど勝負はつきかけていた。

 切り札であったろう発勁を、〈殭尸〉はもう防戦一方であり、ふらふらになっていた。

 さすがのタフネスぶりも終わりかけていたのだ。

 音子さんがトップロープの上から仕掛けた回転しながらお尻でぶつかる、トペ・コン・ヒーロが炸裂し、なんとかもう一度立ち上がった〈殭尸〉の両手を正面から掴んだ。

 そして、彼女自身はローロープの反動を利用し、高らかに飛び上る。

 両腕を掴まれたままなので、まるでバンザイをするかのように〈殭尸〉が上を向く。

 天と地に対称の影をつくる巫女と妖怪。

 そのまま、音子さんは頭から落下した。 

 切揉み状に回転しながら、彼女の頭突きが無防備な〈殭尸〉の胸板に激突する。

 まるでピラミッドが逆さに突き刺さるようなエグく、華麗な技であった。

 これにはさしもの〈殭尸〉も敵わない。

 再び、音子さんが立ち上がったとき、すでに生きている死人はピクリともしなくなっていた。


 カンカンカンカンカーン


 ゴングがどこからともなく鳴り響き、〈殭尸〉の姿が消えていく。

 死体もろとも消滅するのだろう。

 勝負は決したのだ。

 ようやく一安心といったところだ。

 だが……


『グオオオオオ!!』


 耳元で吠え声のようなものがきこえたかと思うと、僕は横合いからとてつもない力で押さえつけられた。

 咄嗟に、手を伸ばしたおかげで突きだされた鋭い乱杭歯の一撃を辛うじて避けられた。

 見ると、白濁とした眼をもつ〈殭尸〉が僕に襲い掛かっていた。

 どうして、と思ったが答えはすぐにでる。

 さっき音子さんが封印した道士を殺したもう一匹の〈殭尸〉だった。

 戦いの間中、ずっと倉庫に隠れていたのだ。

 音子さんの戦いが流れで発生してしまったことからまったく警戒していなかった。

 迂闊以外のなにものでもない。


「少年、危ない! 早く逃げるんだ!」

「早く!!」


 元華さんたちの叫びが地下に轟く。

 しまった。

 どんなに必死に頑張っても、僕の力ではこの妖怪を引き剥がせない。

 このままでは僕も〈殭尸〉の仲間入りだ。

 事態に気がついた音子さんが助けようと駆け寄ってきたとき、今度は逆方向から聞き慣れた可愛い声がした。


「やれやれだね」


〈殭尸〉の顔面をぶち抜く、腰の入った正拳突き。

 僕から完全に引き離したとみるや、そのまま一歩だけ踏み込み、逆突きの崩拳で胴体を抉る。

 最後の決めの一発はアッパーカット。

 空手、拳法、ボクシングと続く、節操がないくせに完璧なコンビネーション。

 ああ、なんて見慣れた強さなんだろう。

 

「まったく、聞きたいことがあってやってきたのに、まだ片が付いていなかったのかい? 音子、キミもたいがいだらしないなあ」

「ノ。いきなり来て失礼だ、アルっちは」

「ふーん」


 倒れた〈殭尸〉の顔面を無造作に踏みつぶしながら、御子内さんは懐に手を入れる。

 何をするつもりかと思えば、取り出したのは彼女のスマホだった。

 そして、とある画像を僕たちに突き付けた。


「これはなんだい? 音子がついったーで流したこれはどういう意味なんだい? 『あたしの彼氏とデートでーす♡ いいでしょ、羨ましい?』とかコメントしてあるこの写真は!? 京一、キミはいったい音子となにをしていたんだい!?」


 そこには、さっきここにやってくる途中で音子さんとの自撮りのツーショットが映っていた。

 加工されて手ぐらいしか写っていないのに、よく僕だとわかったね。

 名探偵みたいだ。


「音子に抱きかかえられた右手のこのタコはキミのものじゃないか! 一体全体、ボクの目が節穴だとでも思っているのかい? 舐めてもらっちゃあ困るよ。―――さあ、ボクに内緒で音子と二人っきりで何をしていたのか、キリキリと白状してもらおうか、ああん?」


 ああん、がどう聞いてもただのヤンキーなんですけど!


『グオ、グオ』


 御子内さんの足の裏に踏み敷かれた〈殭尸〉の悲痛な叫びを耳にしながら、写真を突き付けてどういう訳かお怒りの彼女をどうやって宥めればいいのか、僕は必死に考えるのであった……。

 






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