第77話「麗人飛翔」
数多いる妖怪の中でも〈殭尸〉のイメージは独特である。
まず、中国が清の時代であったときの正装である暖帽と補掛を着ていることからくる外観があげられる。補掛はサイズの大きなダッフルコートのようなものであり、日本人にはなじみがなく、そこが珍妙さを醸し出している。
次に、両腕を前に伸ばして、ピョンピョンと足首の発条だけで飛び跳ねるその独特の動き方である。
古今東西、このような奇怪な移動をする妖怪はそうはいない。
しかも、〈殭尸〉の一歩一歩は思った以上に遠くまで跳ぶのだ。
間合いが掴みにくく、常に空中戦を仕掛けられているようなものとなっている。
だからこそ、敵が〈殭尸〉とわかった段階で、社務所は所属する退魔巫女の中でも音子さんを一本釣りしたのだろう。
空中殺法といえば、彼女の得意技だからだ。
そして、その選択は間違っていなかった。
「ひゅぅぅぅぅぅぅ、しゃああああ!!」
長く息を吸ってから、猫のように吐く。
緩い孤を描いて跳ねてくる〈殭尸〉を空中で受け止めてから、投げつける。
いくら〈殭尸〉といえど空中では動けないので、そのまま音子さんのいいようにマットに叩き付けられた。
だが、次の瞬間には、おきあがりこぼしのように反動さえもつけずに、ひゅんと立ちあがる。
投げのダメージさえついているかわからない奇妙さだ。
いや、もともと死体であるということを考えればダメージの蓄積はほとんどないと考えるのが妥当なところか。
音子さんもわかっているのだろう、そのまま仕掛ける。
『グォォォォ!』
〈殭尸〉が伸ばした腕で掴みかかる。
それを弾き、胴体を蹴り飛ばす。
だが、くるりと回転しながら、さらにもう一度振り回す〈殭尸〉の手は凄まじい速さを持っている。
とても愚鈍な死体のものではない。
しかも、蹴って勢いを殺そうとしても、一歩後退するだけで前進はほとんど止められないのだ。
あまりに攻撃の圧が強い。
腕の振りはまるで刃のように鋭く、音子さんの巫女装束の胸元を切り裂いてくる。
まともに喉などの肌が露出している部分に食らったら、どうなるかわからない。
掴まれたら、力の限り投げられ、または噛みついてくる。
厄介な相手だった。
「強い……」
僕が正直に呟くと、いつのまにか隣にきていた元華さんが言った。
「こんなもんじゃないぞ。あの〈殭尸〉の恐ろしさはな」
「どういうことですか?」
「あれだ」
音子さんが伸ばされた手をはたき、小手投げの要領で投げようとすると、両手がまるで不思議な絡繰りのように動き逆に回転させられた。
そのままマットに仰向けに叩き付けられる音子さん。
彼女目掛けて腹ばいのまま〈殭尸〉が飛びかかる。
間一髪、横に転がって躱す。
しかし、ボディプレスを自爆したというのにダメージは相変わらず受けていないように見えた。
信じられないタフネスだ。
そして、何より……
「今の腕の使い方はもしかして……」
「うむ、我が国の拳法の動きだ。木人相手に培った捌きの法と染みついた技が、あんな姿になっても発揮されるんだ」
「―――道理で」
そういえばそんなことを言っていた。
だから、退魔巫女を呼んだと。
確かにゾンビなのに生前の技をそのまま使えるというのは異常なまでに厄介だ。
まともな人間では太刀打ちできまい。
「くっ」
音子さんがついに捕まってしまった。
蹴っても叩いてもびくともしない。
一発の威力ということならば御子内さんに比べて弱いとしても、音子さんだって巫女レスラーだ。
決して打撃も軽くないというのに、まったく身じろぎもしない。
〈殭尸〉は噛みつくのは厄介だと感じたのか、両脚を揃えて音子さんを吹き飛ばした。
尻もちをついても、すぐに跳ね上がりもとの姿勢に戻る。
まるでジャイロコンパスだ。
動きの独特さがまともではない。
さらにその動きを最大限に活用する怪力もある。
非常に危険な妖怪だった。
あの音子さんが苦戦を余儀なくされるほどに。
「―――弱点はないんですか?」
「額に道士様の作った札を貼るか、この桃剣で貫いて傷を負わせるしかないが……」
「退魔巫女は武器は使わないよ」
「じゃあ、ダメだな。あと、陽の光にも弱いはず」
「今は夜だけど」
「どのみち無理か」
「だったら、どうすればいいの」
「どうにもならないな」
「マジですか」
だが、このままいくとジリ貧だ。
いくら音子さんであっても……。
しかし、僕の御子内さんがそうであるように、彼女の親友の音子さんもまたそうであった。
どれほどの危地にあったとしても諦めずに牙を研ぎ、相手の喉笛を掻っ切ることを忘れない闘士であったのだ。
一瞬屈んで、〈殭尸〉の気を逸らすとすらりとした両脚が下から撥ねあがる。
その足首が〈殭尸〉の首を挟むと、そのまま投げ飛ばした。
ルチャ・リブレの
再び、マットに叩き付けられる〈殭尸〉だが、このままではすぐに立ちあがってしまうと思いきや、すかさず地刷りで近寄る。
そのまま、うつ伏せの〈殭尸〉の両足に自分の両足を絡め、両手で相手の両手首を掴んで後方に倒れこむ。
相手の体を反り上げる技。
あれは、ロメロが考案した……
「なんだ、あの技は!」
「あれを知らないんですか?」
「知るものか、日本の格闘技なんて!」
「あれは日本の技ではありませんて。―――ルチャ・リブレの至宝、吊り天井……ロメロ・スペシャルですよ」
力の劣る小兵でも、テコの要領で相手を吊り上げることができるという究極の関節技だ。
いかに怪力の〈殭尸〉といえどまともに決まれば身動きも取れない。
しかし、十分に痛めつけたと見たのか、音子さんは無造作に投げ捨てる。
ただ、覆面の下の音子さんの様子がさっきまでとは変わっていた。
特技を極められたということもあるのだろう。
テンションが最高潮に達しているのだ。
無口な彼女だったが、御子内さんのように肉体言語でものを語ってくる。
その彼女が雄弁に物語っていた。
「あたしは無敵だ」
と。
「あたしに敵うものはない」
と。
そして、
「あたしのルチャは無敵だ」
と。
御子内さんとはベクトルが違うが、最強という自負と誇りを持っている彼女ならでは姿だった。
「音子さん、頑張れ!」
「シィ」
僕の応援に応えてくれた音子さんが舞う。
飛び跳ねる〈殭尸〉と正面切っての空中戦に入ったのだ。
確かに〈殭尸〉の力は強く、跳躍力は異常だ。
だが、逆にその伸ばした両手は無造作に相手に利用してくれというごときのものだった。
隙が多いということである。
しかも、全身の関節が硬いせいで中国拳法の柔軟性は喪われている。
そこを音子さんは弱点として見破ったのだろう。
果敢に関節技と投げ技で攻めていくことにしたのだ。
『グオオオ!』
手を取られ、何度も何度も〈殭尸〉はマットを這うことになった。
ほとんど音子さんの独壇場となっていったからだ。
拳法の技術はあるといっても、それを利用して組み立てられないゾンビの状態では、「感じるな、考えろ」という戦いはできない。
百戦錬磨の退魔巫女とがっぷり四つで組みあえる訳がなかった。
「やああ!」
苦し紛れに飛んできた〈殭尸〉を右のハイキックで叩き落し、転がったところをギロチンドロップで首を狙う。
ボキっと嫌な音がした。
脛骨がついに耐えきれずに折れたのだろう。
さすがの〈殭尸〉もこれには参ったのか、飛び起きてぐるぐると回りだす。
そして、観念したのか両手を伸ばし、掌を向けたまま俯いてしまう。
その様子を見たのか、チャンスとばかりに音子さんが突っかける。
トドメを刺すつもりなのだ。
「……やったのかな?」
だが、元華さんに否定された。
「違う! あれは!」
何やらひどく驚いている。
どういうことだ?
「いったい、どうしたんですか?」
「道士様、気をつけるんだ、それは―――」
だけど、元華さんの忠告が届く前に、音子さんは仕掛けてしまっていた。
音子さんのフライング・ニール・キックが放たれる。
「
〈殭尸〉の双掌が音子さんの胸に当てられる。
そして、繰り出されたのは中国拳法の秘伝・発勁によって強化された必殺の打撃であった―――!
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