第71話「最強を守るもの」
「……迂闊だったね。さっきは女の人についていたから、ボクも手加減せざるを得なかったけど、元の身体がごついオヤジだったら話は別だ」
またも銀沙灘に踏み込もうとした御子内さんを、今度は美厳さんが引き留めた。
「おまえ、そろそろ引っ込め」
「なんだい、邪魔をする気かい? 美味しいところだけを持って行こうとするなんて、なんてずるい奴だ」
「おまえがいうな。この
ぶんと柳生杖を振り回す美厳さん。
「……それにおれにもこの亡霊の正体がわかった」
どうやら陣内さんの身体に憑りつき乗っ取ったらしい亡霊は、まだ戦いを続けるらしく光る剛刀を携えていた。
だが、爛々と輝く瞳はそのままだった。
『早くやろうか、柳生の総帥』
「―――もう十兵衛さまの真似はしないのか?」
美厳さんが揶揄うように言った。
陣内さんに憑りついた亡霊の顔つきが変わる。
「いかに或子といえども、柳生の頂点に立った十兵衛三厳さまに勝てるはずがない。ということは、貴様は自称の人物の亡霊ではありえない」
御子内さんが僕の隣にやってきた。
なんだかプンプンと膨れている。
ご機嫌がよろしくないようだ。
「まったく柳生美厳という女は、本当に自分勝手で嫌なやつだよ」
「……そういいながら、出番を譲ってあげるんだから、御子内さんは優しいよね」
「優しくはないだろ」
「いいじゃないの。美厳さんにだって思うところがあるんだろうからさ」
……見物している僕たちをよそに、美厳さんは相対する剣士に言った。
「……さっきもおれとやり合い、或子に敗北したよな。柳生十兵衛三厳とは思えない失態だ。だから、おまえが自称の通りの人物ではないのは確かさ。だが、その尋常ではない剣気と新陰流は本物だ。いくら、三池典太を使っていたとしてもな」
そして、重々しく、
「貴様、村田勝蔵だな」
『誰……だ……と?』
「……おれのお祖父ちゃんがとある戦いのときに三池典太を預けておいた、
剣士の顔はさっきと違い、やや動揺しているようだった。
「……わからないのか。そうか、村田勝蔵という剣士は記憶を失くしていたのか。だから……帰参しなかったということなのだろうな」
「どういうこと?」
「今の話からすると、村田というかなりの内弟子が戦いの最中に三池典太とともに行方不明になった。柳生がどんなに手を尽くしてもみつからなかった。たぶん、戦いで記憶を失くしていたのだろう。おそらく死ぬまで……」
そこで僕にもわかった。
「つまり、あの亡霊は村田さんという人なの?」
「ああ、三池典太という古刀に宿った人格は彼のものなんだろう。死んでまで、彼には想うところがあったんだ。例えば、最期に強い剣士と戦いたいみたいな。おかしくなったのは、古い刀に宿る過去の使い手の記憶と混じったせいかもしれない。そこで特に強い印象と思い入れがあるだろう過去の柳生十兵衛の記憶と混同したというところかな」
「なるほどね」
記憶もなく失意のうちになくなった村田さんは、生前に陣内さんとあの証文の契約をしていたせいで、遺品の中にあった三池典太まで差し押さえられるところだった。
でも、何かの手違いで十兵衛の愛刀はどこかに紛失してしまい、巡り巡って亡霊の力を借りてここまで戻ってきたということか。
「……村田さまも正木道場に帰りたかったのかもしれないですね」
「だから、関東で一番強い剣士を探していたのかな。柳生新陰流の剣士にとっての最強は、柳生の総帥以外にはないんだろうね」
長い長い彷徨のあと、記憶もなくして他人と混じり合いながらも、ついに自分の修行場に帰ってきた剣士は、ただ美厳さんを見つめていた。
握りしめられた三池典太が下段―――無形の位をとった。
『俺が村田という男だとして、どうする?』
「どうもしないさ」
美厳さんもまた同じ形になる。
「―――柳生の総帥として貴様に稽古をつけてやろう。そこの或子のような外道とは違う、真の剣の道をな」
彼女に何を見たのか、陣内さんの身体を乗っ取った剣士はすらすらと歩んで、無造作に
旋風を巻いて斬撃が送られた。
僕の眼には止まらない神速の剣戟だった。
しかし、
「それは悪し。―――柳生の総帥は、今でも貴様より遥かに強いということを知って、安心して逝くがいい。石舟斎さまより続く道統は決して揺るがぬぞ」
美厳さんの身体が屈み、相手の太刀筋をはるかに上回る速度で跳ね上がると、三池典太の柄の先を突き上げた。
その手には柳生杖はなかった。
何もない徒手空拳のまま。
冬弥さんが呟いた。
「無刀取り……」
陣内さんの手からすっぽ抜けた三池典太が土の中に突き刺さっていた。
亡霊のついた刀がなくなったことで、陣内さんは意識を失くして膝から崩れ落ちていく。
ここに決着はついたのだ。
「……上泉伊勢守が考案し、柳生石舟斎が完成した柳生新陰流の秘術。あんなものを使えるのか、美厳は……」
ギリギリと悔しそうに歯を噛みしめる御子内さん。
それは彼女にしては珍しい嫉妬の炎だった。
誰よりも強い少女にとって、自分よりも強い相手は意識せざるを得ないのだろう。
美厳さんにとっても同じなのかもしれない。
ライバルというのはえてしてそういうものなのだ。
美厳さんは、地面に突き刺さったままの三池典太に近寄り、
「おいこら、さっさと御祓いをしないか、この戦巫女め」
と、御子内さんを手招いていた……。
参考・引用文献
「決定版 図説 日本刀大全」 稲田和彦 学研
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