第70話「近接の必殺技」
徒手空拳の御子内さんと真剣を持った亡霊。
だが、銀沙灘に無作法な足跡を残しながら対峙していく御子内さんにはおそれの欠片も見当たらない。
ついさっき美厳さんたちが見せた一瞬の斬り合いのことさえ頭にないという感じだった。
普通ならば、無理無茶無謀の暴走戦士かよ、とツッコミを入れたくなるところだ。
しかし、あれだけ自信満々なのである。
きっと考えがあるに違いない。
『巫女か……。立ち合いの邪魔をするな』
「何を言っているんだい。キミが乗っとっているその女性からすればいい迷惑だと思わないか。古い刀に湧いた妖魅が気取っているんじゃないよ」
『なんだと』
「ボクは美厳と違って、キミを満足させるつもりはない。一刻も早くその女性を解放させてもらう」
いや、御子内さんに考えがあった訳ではなかったようだ。
彼女の頭の中にあったのは、ただ一つ、巻き込まれた女の人を助けたいという一片の義侠の念と、勝手気ままに振舞う妖魅に対する破邪顕正の勇心のみ。
素手と剣の不利などきっと頭にないのだ。
「……或子め」
美厳さんが呟く。
彼女にはその心が見えたのだ。
「さて、やろうか」
御子内さんがいつもの構えをとる。
ただ、距離の詰め方はかなり慎重だ。
大雑把な一挙手一投足の間合いよりも、ミリ単位の精緻さを求めるかのようにジリジリと前進する。
相当、相手の剣を警戒しているのがわかる。
リングで戦う時のような魅せる戦いはするつもりはないのだろう。
刀という武器を持った敵との戦い方を理解しているからか。
「さすがです、或子さま……。剣の圏内をよく知悉しておりますね」
冬弥さんがぽつりと言う。
視線はもう眼前の二人から離すことができないようだ。
この
「柳生流は後の先が基本です。まず、仕掛けるのは或子さまでしょうね」
「うん。先手必勝が御子内さんの基本戦術だから」
相手の攻撃を受けて、魅せるのはきっとプロレスをするときだけ。
今の御子内さんは退魔巫女だった。
邪悪な妖怪から衆生を救う、正義の巫女なのだ。
「どっしゃあああああ!!」
やはり御子内さんから突っかけた。
擦り擦りと前に進み、渾身のストレートを放つ。
剣士はそれを正面から迎撃する。
握りしめられた拳目掛けて剣が振るわれる。
ヒットの直前に軌道を変えて、御子内さんは躱す。
そのまま、左にスイッチして顔面を狙う。
電光石火の早業だった。
殴り合いを主とするボクサーでもここまでの技量は持ちえないだろう。
だが、相手も並の魔人ではない。
カウンター気味の左拳を寸前のところで見切ったのだ。
そして、伸びきった剣を無理矢理に引き寄せ逆袈裟に切り上げる。
御子内さんの白い衣装の胸元が裂かれた。
晒しの巻かれた胸がはだける。
しかし飛び退りながらも、御子内さんの足が跳ね上がる。
後ろに回転しながらの鋭い軌跡をもつ蹴りだった。
懐に潜り込まれれば武器の長いリーチはただのハンデに変わる。
いかに鍛えられた剣士であろうとも。
かろうじて、まさにかろうじて剣士は御子内さんの蹴りを寸前で躱しきった。
巻き起こった蹴りの嵐を避けたのだ。
「凄い……」
一瞬の攻防というのなら、さっきの美厳さんのときと同様だ。
だが、ある意味ではそれを上回る。
刃物を前にして一切怯むことのない御子内さんの気迫の凄まじさよ。
『何者だ、貴様?』
息を呑んで妖魅が言う。
感嘆の色がある。
「チャンピオンさ。人助けのね」
御子内さんにも余裕はない。
しかし、一方で躊躇いも怯みもない。
「だけど、ボクとしたことがしくじるところだった。その肉体の女性を取り返すのがボクの役目だったはずなのにね」
握った拳を開く。
掌底で構えた。
「完全に無傷とまではいきそうもないけど、骨折、打撲無しで終わらせる」
これほどの剣士を前にそんなことができるのかはわからない。
ただ、御子内さんはハッタリだけでそんな大言壮語ははかない。
何かをするつもりだ。
『剣も持たぬものが、何ができる!?』
「ふん、思い上がりだね。―――それにボクは柳生新陰流の相手は慣れているのさ」
そして、再び巫女レスラーは剣士に挑む。
御子内さんの気迫に圧されたのか、後の先を基本とするはずの剣士が突きを放つ。
しかも避けにくい胴体へ。
すらりと躱しつつ、さらに前進をして懐に飛び込む。
勢いを殺さない掌底突きが放たれる。
こちらもヒットせず。
さっきと同じ展開かと思われたが、そうはならなかった。
なぜなら、剣士の右足が蹴りを仕掛けてきたからだ。
剣道では蹴りはないが、古流剣術では格闘も含まれる。
剣だけでは仕留めきれないと考えての喧嘩技だ。
ただし、それは御子内さんの土俵に踏み込むことであり、決していい選択ではなかった。
御子内さんの肘と膝に挟み込まれた。
防御と同時に相手の蹴り脚を痛めつける複合技。
この状況でもこんなテクニカルな受けができるのが御子内さんの強さだ。
『ぐおお!』
不用意な蹴りのせいで体勢が崩れた剣士の懐に、深すぎる位置に、御子内さんが侵入する。
キスでもするかのごとく接近する。
だが、あれではどんな技もだせない。
あまりに近すぎるのだ。
御子内さんが両手で剣士の顔を挟む。
左右の頬に優しく両手を添えるように。
ぱん
僕の耳に軽い、本当に軽い、何かが破裂したような音がした。
同時に剣士が膝から崩れ落ちる。
まるで糸の切れた操り人形のようであった。
銀沙灘に顔から落ちようとした時に、御子内さんが優しくそれを支える。
刀だけが落下していた。
何が起きたのかさっぱりだ。
ただ、僕にもわかることは……
今の音で決着がついたということだけだ。
「……どうなったの?」
「おそらく、さっきの最後の技が……」
「御子内さんは何をしたんでしょうね」
「わたくしではなんとも……」
僕らは首をひねるだけだった。
だが、その決着を完全に理解していた人もいた。
美厳さんだった。
「――あれは添えたんじゃなくて、敵の頭を両方の掌で挟み込むように打ったんだ。その時に頭と掌の間にほんのわずかな隙間を空けておき固定する。結果として、相手の頭部を一瞬のうちに数千・数万回振動させることができる」
「まさか……」
「あの女性はおそらく軽いパンチドランカーになったのだろうな。ムカつくが或子の天才な見切りの眼があって初めて使いこなせるのだろうさ」
軽く解説する美厳さんだが、僕にはさっぱりだった。
「くそ、あんな技を隠してやがったのか、或子め」
なぜか御子内さんが勝ったことが気に入らないらしい。
いかにもそこはライバル関係という感じだ。
女性を担いで意気揚々と帰ってきた御子内さんに、
「何だよ」
「うーん、なんだと思いますぅ~」
「いちいちそういうのを挟むな、バカめ」
美厳さんとしてはいいところを持っていかれたようで悔しい気持ちもあるのだろう。
柳生流の剣士が負けたという意識もあるのかもしれない。
あと、自分の活躍がなかったということもあるのかな。
なんとも複雑なのだ。
「……三池典太も取って来い」
「刀なんてどうでもいいよ。ボクはこの
「くそ」
改めて銀沙灘の上に突き刺さったままの太刀をとろうと歩き出した美厳さんが止まる。
その視線の先には、持ち主を失くした刀と―――総髪のでっぷりした大男がいた。
欲に満ちた笑顔を浮かべ。
「やりましたぞ。ようやく、我が手に光世が!」
柄に手を掛けて引き抜く。
天に刃をかざしてうっとりとする。
芸術ともいえる日本刀の美しさに心を奪われる気持ちもわかる。
だけど、その刀は……
『ちい、こいつには剣客の血が流れていないじゃねえか……』
またも戦いに飢えた剣士が、今度は陣内さんを器として顕現していた……。
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