第69話「呵々大笑する巫女レスラー」



 美厳さんが抜刀したが、鞘から抜き出されてきたのは日本刀の刃ではなく、黒い棒のようなものだった。

 竹光……という訳でも、木刀という訳でもなさそうな品だ。

 きちんとした鞘に納められていたので傍目には僕のようなド素人にはまったくわからなかった。


「あれは、割った竹で鉄棒を包み、上から何層にも漆を塗って固めた「柳生杖」と呼ばれる杖です。わたくしどものご先祖が考案したものですわ」

「へえ、そうなんですか」

「はい、稽古にはひきはだ竹刀のほうを使いますので、どちらかというと杖術のためにですけど」

「でも、相手は真剣なんですよね」

「もちろん」


 月光の怜悧な輝きの中、銀の砂の上に立つ女性は握っていた太刀をそっと下した。

 柄を両手で緩く握り、自然体のだらんとした下段の構え。

 そのくせ、僕の眼にも一切の隙が見当たらないほどの完成度。

 いったい、あれはなんだろう。


「あの……下段の構えは何ですか。ゾクゾクしてくるんですけど」

「あれは下段の構えなどではありません。我が柳生流の〈無形のくらい〉ですわ」

「―――むぎょうのくらい?」

「ええ。柳生―――というよりも新陰流には構えという言葉を使わず、いかなる場合でも自然じねんに相手の攻めに対応できるように、剣尖を下げたあの姿勢を基本とします。ただ、「構え」を使ってはいけないので、「位」なんていっているだけですけどね」


 冬弥さんはいたずらっ子のように笑った。

 実のお姉さんが真剣勝負をしているというのにかなりの余裕だ。

 それだけ美厳さんの実力に自信があるのだろう。

 ただ、僕は今まで散々御子内さんの妖怪退治につきあってきた経験則上、あの日本刀の女性が醸し出すもう一つの気配についても感じ取っていた。

 鋭く冴えた気配を「剣気」と呼ぶなら、それは「妖気」。

 地獄の底の亡者が口笛と共に吹き散らすものだ。

 吐き気を催し、泥のように甘い。

 美厳さんが一点の曇りもない剣気の輝きに満ちた双眸を持っているのなら、あの女性の両目には羅生門で老婆の話をきいた下人のような曇天の濁りがあった。

 あんな相反する物が同居しているなんて……


「あ……」


 すっと美厳さんの柳生杖が下がる。

 期せずして両者は同じ構え―――いや、位をとった。

 明らかに同門同士だ。

 姿勢も呼吸もあまりに似すぎている。


「確かに、あの剣の持ち主は新陰流の道統のようですね。であるのならば、総帥である姉さまがあたって当然です」

「冬弥さんも、やられるのですか?」

「姉さんが墜ちたのならば。ですが、その心配はありません。あのあねは毀誉褒貶を顧みず、しかも普段は怠惰で空ばかり見ているような、仕事をしない人ですが、いざというときには誰よりも頼りになります。以て六尺の子を託すべき女ですわ」


 意味はよくわからないが、貶しているように見えて、妹は姉を信じているのだろう。

 そう、僕が御子内さんを信じているように。


「なんとまあ……」


 美厳さんがにっと笑った。

 眼帯をつけた隻眼が肉食獣の飢えを湛える。


「やるか」


 彼女は戦う女だった。

 同時に、出歩くことを厭う面倒くさがりであった。

 ただ、相手からこっちにきてくれたのならばそれを拒否するのは無礼だと感じる女でもあった。

 だから、笑った。

 と、後で言っていた。

 僕は彼女の中に自由に動けなくなったせいで、自堕落になった御子内さんをみた。

 だから、僕は彼女に心を奪われたのかもしれない。

 御子内さんに見惚れるように。


『ほお。―――この時代にこれほどの剣士がいるとは。しかも、女で。おぬし、名を何と申す?』

「ただの柳生よ。亡霊に教える義理はない。おまえをその女の中から追い出すだけなら、それで足りるだろう」

『吠えたな、柳生の当代』

「化物乃至怨霊に負けるおれではないぞ。では、参るぞ」


 音もなく美厳さんは前進した。

 舞うように―――いや、あれは能の足運びのようだった。

 彼女はするすると間合いに踏み込む。

 動いているのに動いて見えるものは月輪の輝きのみ。

 凄絶な妖気の絡みついた剣に挑むのは、ただ一人の美少女剣士柳生美厳。

 合い撃つ同門の剣士。


「えっしゃあ!!」


 大気を震わす音声とともに跳ね上がった剣が躍る。

 攻めたのは美厳さん、躱したのは太刀の女性。

 共に僕には詳細もわからない一瞬の立会いだ。

 なぜなら躱したはずの相手の剣が翻り、美厳さんの髪を切り裂いていたからだ。

 斬ったはずなのに斬られていた。

 そんな馬鹿な因果はあり得ず、僕の眼が追い付かなかっただけだと知った。

 修練した剣士の太刀筋は神速。

 だが、その神速すら見切るのが剣士。


「くっ」


 美厳さんが離れた。

 額に球のような汗が浮かんでいる。

 口角が吊り上がり、いかにも楽しげなのは異常だったが。


『―――やる』


 太刀の女性が男そのものの低い声で言った。

 心底感じ入ったという風に聞こえる。

 でも、実際そうなんだろう。

 真剣をもったもの同士のあんなスピードの戦いを、髪の毛だけを持っていかれた程度に切り抜けたのだから。

 僕も今までにあんな攻防は見たことがない。


「……ふうん、きちんと修業はしていたみたいじゃないか。てっきり、前みたいにダラダラとしていたもんだとばかり思っていたよ」


 ただ、そんな戦いを呑気な言葉で評する人がいた。

 僕の御子内さんだ。


「み、御子内さん。しー!」


 唇に指をたてて黙らそうとしたのに彼女は、


「なんだい、いきなり! お、女の口に触ろうなんてエッチなやつだな、京一は。これが最近のセクハラなのかい?」

「そうじゃなくて、空気読んで、空気を!」

「空気? ああ、KYだね。KY」


 いまさらKYを流行言葉のように、やってやったぜみたいに使われるとちょっと困るんだけど。

 そういえばこないだも「バッチリグッドでバッチグーなんだよ」と自慢そうに言っていた。

 流行に対してのアンテナがこの人は極端に低いんだよ。

 受信するのがはやぶさが打ち上げられてから帰還するまでの時間が必要みたいだ。

 いや、そうじゃなくて。


「美厳さんが真剣勝負をしているんだから! 水を差しちゃ駄目!」

「なんだい、そんなことか」


 御子内さんはお気楽だった。


「美厳、その女性ひとの持っているものが三池典太光世なんだね」

「……ああ、うちの家宝だぜ。内弟子の一人がある戦いでなくしてしまってな。まさか、こんな形で戻ってくるとは……」

「その後のいざこざが、古い刀に妖魅を纏わせて旧い武人の影を甦らせたのか……。ふふん、そうなると剣士の斬りあいよりはボクの出番のようだね」


 そういって、拳を鳴らしながら前に進み出る。

 二人の間に割って入るように。


「邪魔をするんじゃねえよ、或子。これはおれと柳生の家のタイマンだ。引っ込んでやがれ」

「違うよ、美厳。キミは勘違いをしている」

「なんだと?」


 そして、御子内さんは太刀の女性を睨みつけ、


「これは刀に憑りついた妖魅が暴れている。ただそれだけの、妖怪退治さ。だったら、ボクら退魔巫女の出番でしかない」

「……んだと?」

「妖魅が模しているのは伝説の柳生十兵衛だろうがなんだろうが関係ないね。―――ボクはチャンピオンとして誰の挑戦も受ける」


 いつものスタイルに構えた。

 いくらなんでも無茶苦茶すぎると思ったが、同じ考えだったらしく止めに入ろうとした冬弥さんの肩を押さえてしまった。

 そんな僕を彼女は驚愕の眼差しで見つめる。


「どうして、とめるのですか? いくら或子さまでも、真剣を相手にしたら……」


 僕は首を振った。

 ここは横やりを入れていい場面ではない。


「……だって、御子内さんがやる気だというのなら、それを止めるなんてことは僕にはできない」


 情けない男の悲鳴だったかもしれない。

 ただ、彼女と付き合ってきた助手としてはそれしかいえないんだ。

 御子内或子が、異種格闘戦をやると決めたのならばそれを応援するしかない。


 ある意味、ファンとはそういうものなのだ。


「さあ、今度はボクの番だよ。―――柳生十兵衛の……にせもの」


 呵々大笑する巫女レスラーを憤怒の表情で女性が睨んでいた……。

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