第68話「月下の剣人たち」
柳生十兵衛三厳。
慶長12年(1607年)に、柳生但馬守宗矩の長男として誕生した、俗にいう柳生新陰流の剣豪である。
三代将軍の徳川家光の小姓となったのち、家光の稽古役も兼ねていたが、ある時から家光に嫌われて蟄居させられることになり、再出仕が許されるまで12年ほど謹慎は続いていたという。
彼の記した『月之抄』によると、蟄居の間は故郷の柳生庄に引き籠り、亡き祖父・石舟斎宗厳が残した口伝や目録の研究をしていたというらしいが、その一方で、武者修行等で諸国を放浪していたとする説もあって、これが十兵衛隠密説の発端ということである。
正保3年(1646年)父但馬守が死去したことで、八千三百石を相続して家督を継ぎ、慶安3年(1650年)鷹狩りのため出かけた先で急死したと伝えられている。
死因は明らかにされていないそうだ。
片目に眼帯をした「隻眼の剣豪」の姿が有名で、僕自身そのキャラクターでイメージしているところがある。
それもあって、僕としては千葉真一とか村上弘明が演じていたドラマや映画の知識が多いかな。
直接の子孫という人に出会えたのは、ちょっと興奮する。
ただ、その人が化けて出たとすると話は別だ。
大昔の剣豪なんて、今、存在したら危険極まるなんてものじゃないよ。
「御子内さん、リングは?」
「〈護摩台〉は作っておく意味がないだろうね。亡霊だとすると、ただの妖怪よりも〈結界〉の縛りが弱まるし、普通にタイマン張った方が早い」
「……〈付喪神〉みたいなもの?」
「妖魅の格としてはね。ただ、今回のように生前の人物の映し身だとすると厄介なんだ。……今でいうコピーみたいなものだからさ」
コピー?
つまり、柳生新陰流の十兵衛そのものがやってくるということかな?
「かなりの強敵だよ。さすがに素手では難しいかもしれないね」
「大丈夫なの? 僕は心配なんだけど」
「美厳もいるし、なんとかなるだろう。あいつはダラダラとした女だけど、剣の腕だけは折り紙付きさ。ボクだって勝てるかどうか……」
「そんなに強いの?」
「もちろん、堕落しきっているけど、武蔵野に根を張った〈
きっと強いとは思っていたけど、御子内さんがそこまで認める相手とは……。
「待たせたな、或子。ではいくぞ」
さっきまでの着流し姿をやめて、袴をつけた美厳さんがやってきた。
手には太刀を一振り握っている。
どうみても女子高生には見えない。
隣には着物姿の冬弥さんがいるが、彼女の持っているのは小太刀だった。
脇差よりもやや長いのでわかる。
冬弥さんもやたらと扱いに慣れていそうなので、きっと彼女もかなりの腕の持ち主なのだろう。
「あとの妹たちはどうした?」
「〈結界〉張りさ。さすがに柳生の下屋敷に入ってくるような妖魅相手に、何も準備しない訳にはいかないだろう」
「確かにね」
巫女レスラーと少女剣士は連れ立って、歩き出した。
玄関よりは庭に向かって。
「……どこに向かっているんです?」
「例のものは正門の守りが堅いとみて、塀を乗り越えて侵入してきました。さすがに身が軽い」
冬実さんは僕の質問にすぐに答えてくれた。
というか、どうして僕がここにいていいのかがさっぱりわからない。
別にいつものようにリングを作る訳ではないのだから、いてもいなくても変わらないだろうに。
「いえ、まあ、京一さまが観戦しておられますと、或子さまにいつもトップギアが入ると伺っておりましたので」
「御子内さんがトップギア? 僕がいると? いや、そんなことはないよ。いつだって、僕の御子内さんは全身全霊、全力で戦う子だから」
「ふふ、赤心を推して或子さまの腹中に置いてなさるんですね」
「えっとどういうこと」
「内緒です」
二人に着いて行くと、柳生屋敷の広い日本庭園に出た。
麗しい月が闇夜に輝いている。
落ちてきた月光が地を照らし、池の水面を輝かせる。
豊富すぎる輝きの中から、一条だけ抜き取るようにさらに強く際立つ煌めきがあった。
「月之抄ときたか……。まんざら偽物という訳でもなさそうだ」
美厳さんが重々しく呟いた。
片目だけの視線は錐のように尖っている。
その先には、一振りの刃を手にした若い女性が立ち尽くしている。
しまむらみたいなトレーナーとジーンズのどこにでもいそうな女性なのに、一目で尋常ならざるものとわかる気配を湛えていた。
殺気……じゃない。
この氷の上を一人で彷徨うがごとき感覚。
肌がまるでひりついたように痛い。
「―――剣気です。京一さま」
隣にいた冬弥さんが解説してくれた。
「修行を積んだ剣士が刀を持ったときに放つ気配のようなものです。殺気と違い、純粋な色彩に満ちたものであるほど透き通っていくものですから、感じるだけで痛みを覚えます。これだけの剣気をだせるものは、現代ではそうはいないことでしょう」
「……そう……でしょうね」
「剣の心得のない京一さまでもおわかりになられるでしょう?」
「はい」
彼女の言う通りだ。
この美しい月凜の下、波紋を表現した精緻な白い銀沙灘に佇む―――まさに月下剣人。
恐ろしいほどに凛々しい。
『よお、あんたが今の当代かい?』
「……左様だ。で、貴様が巷で話題の辻斬りという訳か?」
『ああ、
女は言った。
銀沙灘の中央に立っているというのに、砂盛にもそこに至る空間にも、どんな足跡も残ってはいなかった。
白砂を盛り上げて造られ、月の光を反射させる役目をもつといわれている銀沙灘は脆い足場なので歩いたら跡がつかないはずがない。
いったい彼女はどうやってあそこに辿り着いたのだ。
「〈浮舟〉ですね。〈軽気功〉の一種で、体重を一切ないように振舞うことができる技です。柳生……というよりも、伊賀の忍法ですよ」
「忍法……。ああ、そんなのもアリなんだ」
まあ、プロレス技で妖怪と戦う巫女がいるんだから、忍法を使う忍者がいても別に問題はないか。
仕組みとか存在理由はとりあえず棚に上げておこう。
今更だしね。
「ボクがやるよ」
「ふざけろ。ここはおれの実家だ。よそ様に初手を譲る気はないぞ」
「……それじゃあ、わざわざボクを呼んだ意味がないだろう」
「おまえに頼みたいのは、あの刀を取り戻した後の御祓いだ。当代一の退魔巫女ならば、刀についた妖魅を祓うことぐらい容易いだろう」
「まあね。で、あれはやっぱりキミのご先祖様ではないのかい?」
「……」
その問いには答えず、美厳さんも銀沙灘に踏み出した。
二歩進んだところで僕は気づく。
彼女の足跡も砂の上に残っていない。
美厳さんもまた、あの剣士と同類なのだと。
自分の痕跡を砂上に一切残さずに歩みを続ける。
「凄い……」
思わずつぶやいてしまった。
とても信じられない光景だ。
あの彼女ならば水の上さえも歩けるかもしれないと信じるほどに。
「美厳姉さまは我が柳生の総帥です。この
「そんな人にわざわざ挑んでいるんだ、あの女性」
僕は戦慄した。
もしかしてとんでもない超・剣士戦を目撃させられる羽目になるんではないかと。
一瞬も目を離せそうにない戦いの場にいるはずなのに、どういうことか僕の注意は別の場所に向けられていた。
柳生屋敷の日本庭園の端に、なにやら見覚えのあるどっぷりとした体格の人物がこそこそと隠れているのに気がついてしまったからだ。
この場にはまったく相応しくない、その体格と総髪は、さっきの元・忍者の古物商、陣内さんのものだった。
嫌な予感がしたが、ほぼ同時に美厳さんが抜刀したことで空気が一変してしまい、思わず視線を外してしまった。
そのことが後々に面倒になるということを知らずに。
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