第63話「巫女と猫」



 猫の干し首。


 その出来からして本物の猫の死体から首を切断して加工した、手作りのものというのは明らかだった。

 どうみても市販の品ではない。

 しかも、見た目はすべて同じ方法で作成されているようであった上、一つ一つ専用のケースに入れて、大事にしていることが窺える。

 ということは、これは一人の人間のハンドメイドであるこということは疑いのないところだ。

 そして、その一人とは―――


「和田の隠し事はこれか……」


 極めて単純な話だ。

 彼は、一言で言い表すのなら、「猫の虐待者」だったのだ。

 虐待といっても致死性のものであり、最終的には死んでしまった猫の首を切断して、玩具にしてしまうようなレベルの異常者。

 このアタッシュケースに詰まっているのはざっと二十匹分ぐらい。

 作成した中でも出来のいいお気に入りだけだとすると、和田が虐待して来た猫の総数は見当もつかない。

 僕たちの日本においては、快楽殺人の起きる予兆として小動物が殺されるという事件はよく確認されている。

 有名な神戸の事件なんかでもそうだ。

 生命の価値というものに頓着しない、まさに生命観の歪んだものによって度々引き起こされるものなのだ。

 僕ら人間だけの価値観によると、この和田のように猫の虐待どまりで、悪くて器物損壊程度でとどまっていてくれてラッキーといったところだろう。

 ということで。

 だが、猫の側から見たら、同胞を何十、下手したら百単位で虐殺されているのである。

 とても許せるものではないだろう。

 しかも、干し首という、まさに玩具そのものとして扱われながら。

 その猫たちの怨念が噴出したものが、あの〈化け猫〉なのだろう。

 和田に対しての同胞の恨みを晴らさんとしているのだ。


「御子内さん!」


 リングを見ると、御子内さんと〈化け猫〉が一進一退の攻防を繰り広げていた。

〈化け猫〉の肢を使った戦い方は変わらず、しかもいい一撃を喰らっても、ほとんど怯まないタフネスを誇る。

 咳き込みながら戦う御子内さんでは、このままだとジリ貧だ。

 ただでさえ危険な状態なのに煩わせるわけにいかない。

 くそ―――ならば―――


「おい、猫たち!」


 僕は猫たちの前に躍り出た。

 そして、和田のアタッシュケースを差し出す。

 

「君たちの同胞は返す! 和田にも償わせる! だから、恨みを抑えてくれ! 頼むよ!」


 すると、アタッシュケースを取り戻そうと和田がにじり寄ってきた。

 こんなものでも彼にとっては大事なものなのだろう。

 でも、大事だからといって許されるものと許されないものがある。

 この場合は後者だ。

 和田の行為はただの悪業でしかない。


「てめえ、俺の力作に何をするんだ……!!」

「諦めなよ。直接君自身を猫たちに報復させるために差し出さないだけ、僕は随分と寛大な方だと思うけどね」


 猫たちを刺激しないように、僕はアタッシュケースを開けて、そっと滑らした。

 すーとアタッシュケースが猫たちの前に行く。

 最初は警戒していたが、何もないとわかると猫たちは口々に入れ物ごと干し首を口で器用に持ち出す。

 そして、次々に林の中へと消えていった。

 気がついた時には、アタッシュケースの中は空になっていた。

 あの干し首がどうなるかはわからない。

 猫たちのための墓場があるのならそこに運びこまれるのかもしれない。

 ただ、そのことを僕ら人間が知る必要はない。

 彼らの領域の出来事なのだ。


「俺の……力作が……」


 がっくりと項垂れる和田。

 だが、まったく同情の余地はない。

 こいつがどれだけの命を弄んだかを考えれば。


『シャアアア!!』


 振り向くと、リングの上でも試合が動いていた。

〈化け猫〉の攻撃に対して、御子内さんの手数が明らかに上回り始めているのだ。

 もしかしたら、猫たちの恨みが少しは晴れたのかもしれない。

 その効果が〈化け猫〉の動きを鈍らせているのか。

 だが、〈化け猫〉自身はまだ戦いを止める気配がない。

 御子内さんを斃そうと暴れ続ける。


「だっしゃあああ!!」


 下方から擦りあがるような御子内さんのハイキックが〈化け猫〉の顔面に決まる。

 怒りに任せて後肢で立ち上がって、左右の爪で風を切り裂く。

 

右回転らいとさーくる


 御子内さんの落ち着いた右手の回転が〈化け猫〉の爪を捌く。


左回転れふとさーくる


 素早い左手の回転が〈化け猫〉の攻撃を弾く。

 体勢を崩したところで再び、ハイキックによるカウンター。

 すでに御子内さんは自分のペースを取り戻していた。

 時折咳き込んではいたが、毒の効果を見越した上で、最小限の動きで優位を保つようにしているのだ。


「キシャアアア!!」


〈化け猫〉が後ろに飛んだ。

 体勢を整えるつもりなのか。

 追撃しようとした御子内さんの足元に黒くて長い影が迫る。

 さっき彼女を転ばした影だった。

 それは〈化け猫〉の尾であった。

〈化け猫〉は猫又とも呼ばれることもあり、二又の尾を持つこともある。

 その片方を使い、御子内さんの文字通り足を引っ張ろうとしたのだ。

 だが、巫女レスラーに一度見せた技は通じない。


「フン!」


 御子内さんの震脚が尾を踏みしめる。

 尾を踏まれたことで逆に〈化け猫〉の動きがストップする。

 そのまま、まっすぐに進み、御子内さんが舞うように後ろ回し蹴りを爆発させた。

 そして、背中を見せるようにもう一回転して、跳びあがりながらの後ろ回し蹴り―――フライング・ニール・キックが放たれた。

 二連続の大技が〈化け猫〉を叩きのめす。

 

「これで終わりだよ!」


 御子内さんの宣言通りに〈化け猫〉は崩れ落ちた。

 同胞の恨みのために変化した妖怪も、ついに巫女レスラーの波状攻撃の前に屈したのである。



        ◇◆◇



「……いました、この家の奥さんです」


 帯同した禰宜の一人が、畳を剥がしてその下に押し込まれていた和田家の母親を見つけ出したようだった。

 引退後、退魔巫女のサポート役を務めている不知火しらぬいこぶしは、その母親に息があることを確認して一安心した。


「化け猫譚だとたいていは噛み殺されているから、運がいいわね。このお母さまは」

「こぶしさま、二階の和田雅史の部屋から、やはり猫の死体がいくつか発見されました」


 二階にいっていた禰宜からも報告が入る。

 やはり或子からの報告通りである。


「全部、丁重に回収して。社務所で懇意にしているお墓に埋葬するから」

「わかりました」


 こぶしは後始末の面倒くささにため息をついた。

 とはいえ、事件そのものは終わっている。

 妖怪退治という退魔巫女の仕事としては。

 だが、猫の虐待という悪業から今回の依頼主がもっと大きな悪業を重ねないとは限らない。

 そのための予防措置もしておく必要がある。

 退魔巫女が妖怪から助けた結果、さらに大きな犠牲が出たなんて言ったら笑い話にもならないからだ。

 和田家の捜索は、行方不明になった母親の行方を探すのと和田雅史の犯罪の証拠を集めるという二つの目的のためになされたという訳である。


「或子ちゃんのいうことももっともだ」


 退魔巫女の御子内或子からの連絡では、和田雅史の処遇を検討すべきとあった。

 こぶしたちもそれを必要と判断した。

 巫女がそういう意見を具申することは珍しく、こぶしたちとしては真剣に受け止めざるを得なかったということもある。


「ただ、まあ、きっとあの子の差し金なんだろうけど」


 こぶしは一度だけ会った少年の顔を思い浮かべた。

 松戸での事件で面識を得たが、それだけでも頭のいい優しい少年だとわかっている。

 或子が退魔巫女として一皮むけたのも彼のおかげだろう。

 今回の事件もきっと彼が重要な役をになったにちがいない。


「彼がいる限り、或子ちゃんは大丈夫かな」


 こぶしは微笑んだ。

 猫を虐待死させるようなものもいれば、猫のために何かをするものもいて、世界は太極図のようにバランスがとれている。

 それだけでいい。

 その世界のために退魔巫女は働けばいいのだ。


 ……ただ、そう思っていた。

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