第61話「猫の戦い」
「京一、和田さんを〈護摩台〉へ」
「うん!」
僕はいけすかない依頼者の腕を掴んで、リングの上へと押し上げた。
はっきりと目の当たりにした〈化け猫〉の巨大で獰猛な姿に怯えてしまっていたためか、さっきのような敵意剥き出しとはいかないようだ。
経験上、妖怪との接触というものは、人にとって天敵とのそれに等しい。
馴れていない人間には相当のショックがあるはずだ。
特にあの〈化け猫〉は……人間への憎悪に凝り固まっている。
『待テイ!! 逃ガスモノカ!!』
和田を追ってリングに滑るように入ってきた。
「ひい!」
情けない悲鳴を上げる和田と、こいつしか見ていない〈化け猫〉。
果たしてこの両者の間に何があったのか。
放っておけば和田も隣にいる僕も、猛獣の牙と爪に引き裂かれて終わったことだろう。
だが、それをよしとしないものがいる。
カアアアアン!
リングにゴングが鳴り渡る。
不可視の〈結界〉が張り巡らされ、この狭くて四角いジャングルに妖怪が閉じ込められた。
猛獣の眼光がコーナーポスト上に注がれた。
腕組みをして、下々を睥睨するかの如き
「無制限一本勝負でいこうか!」
『小癪ナ巫女メ! 我ラノ恨ミヲ晴ラス前ニマズハ貴様ノ喉笛ヲ掻ッ切ッテクレルワ!!』
キシャーと爪を立てる猫目掛けて、挨拶代わりのミサイルドロップキックが炸裂する。
かなりの超高度からの威力抜群のはずの蹴りを喰らっても、わずかにたたらを踏むだけで耐える〈化け猫〉。
相当のタフネスだろうと推測できる。
あとは御子内さんに任せるしかない。
僕は腰を抜かしてへたり込んでいる和田の首根っこを掴んで、今度はリングの外へと引きずり出した。
リングの〈結界〉へと〈化け猫〉を誘いこんでしまえば、こっちの仕事は終了だ。
僕たちにあとできることは御子内さんを信じることだけ。
〈化け猫〉がニヤリと笑ったような気がした。
しかも、尻尾がピンと立っている。
上機嫌のようだが、これは上あごにある独特の器官で匂いを感じ取ったときの反応という話だ。
猫が快感を覚えた時に顕著にでる反応らしい。
すなわち、あいつは御子内さん相手に興奮しているのだ。
猫が人間の御子内さんに欲情するとも思えないので、つまるところ戦いの高揚感を覚えているということだろう。
一方の御子内さんも楽しそうだ。
人間よりも大きいネコ科の猛獣―――ライオンなどと戦うに等しいというのにまつたく尻込みすることがない。
最初に仕掛けたのは〈化け猫〉だった。
前肢を器用に使い、軽くはたくように振ってくる。
俗にいうネコパンチだった。
人が使う分には腰がのっていない力の足りないパンチでしかないが、爪を隠し持っているのと、狩猟の時に前肢で獲物を押さえつけて首を噛みきる猫の戦い方を知っていると、決して油断できない。
柔道の襟の取り合いのように緊迫した攻防となる。
とはいえ、〈化け猫〉は所詮猫であった。
次第に焦れて、前肢のリーチを生かすために、ぐっと立ち上がった。
ニメートル以上の体長をもつ四足獣が立ち上がるとそれだけで恐怖を感じてしまう。
『シャアアア!!』
空気を切る声とともに爪が光った。
御子内さんはバックステップで躱す。
続けて連打。
それも躱した。
いつも以上に御子内さんに余裕が感じられる。
身体能力としては人と猫では明らかな差があるというのに、今日の御子内さんはそれを意にも介していない。
まるで、攻撃パターンを知り尽くしているかのように……
「そうか!」
僕は思い至った。
レイさんと猫カフェに行ったとか言っていたし、以前から彼女は猫の独特の戦い方について研究済みだったんだ。
だからこそ、この落ち着いた戦い方を選べるのか。
『シャアア!!』
またも〈化け猫〉が前肢の爪を立ててきた。
だが、今度は避けずに懐に飛び込んだ。
そのまま突き立てられる膝蹴り。
横に一回転しながら、肘が猫のわき腹に入る。
さらに三連コンボとして右の踵落としがさく裂した。
怒涛の連続攻撃にさしもの〈化け猫〉もふらつく。
初っ端のミサイルドロップキックさえ耐えた〈化け猫〉であっても、人体における最も堅い部位による三連弾は相当効くのだろう。
普通の人間ならあれでもう終わりだ。
しかし、相手は妖怪。
ただ終わるはずがない。
「なっ!?」
御子内さんが突然倒れこんで、尻もちをついた。
何があったのかとよく見てみると、彼女の足首に黒い筋が絡まっている。
その正体に気づく前に、その筋が引っ張られ、御子内さんがさらにマットに背をつけた。
同時に上からかぶさってくる〈化け猫〉。
二本の前肢が御子内さんの肩を押さえつける。
そして、彼女の首に巻き付いた。
何をするのかと思ったら、意外な肢の動きを見せる。
なんと自重を乗せて締め上げ始めたのだ。
御子内さんの首の骨を折るために。
―――自然界において関節技を使う生物はいない。
ただ、ネコ科の生き物だけを除いて。
猫の狩りとライオンの狩りは違う。
鼠のような小動物を主とする猫と違い、自分よりも体格に勝る獲物を仕留めることがある
彼らが最も頼りにしているのは前肢の強靭な力であった。
草食動物の頸に肢を掛けて、捻り、首の骨を折る。
それがネコ科の獰猛な王たちの戦いなのだ。
そして、その戦法が御子内さんに向けられたのである。
「御子内さん、逃げて!」
だが、体格で凌がれるということは体重でも負けているということだ。
百キロ以上の体重差のある相手に伸し掛かられたら反撃のしようがない。
御子内さんも〈化け猫〉の前肢を外そうと必死でもがくが、マウントポジションを取られてしまっているようなものなので、どうにも振りほどけない。
このまま行ったら、さすがの彼女でもまずいことになる。
「……なんだよ、あの巫女。やられちまいそうじゃねえか! もっとしっかりしろよ!」
後ろから心無い罵声が飛ぶ。
和田だった。
しっかりしろだと?
おまえの代わりに妖怪退治を命懸けでしている彼女に対して「しっかりしろ」だと。
ふざけるなよ。
御子内さんはいつも必死に戦っているんだ。
おまえに彼女の何がわかる。
クソが!
だが、こんな奴に構っている暇はない。
助けに行くべきか。
僕は脇に寄せてあったパイプイスの背を掴む。
だが、あの〈化け猫〉の敏捷さでは僕の攻撃が当たる可能性は低い。
しかもあのタフネスぶりだ。
それでも、一瞬でも気が引ければそれで隙をつくれるかもしれない。
行かなくては。
今こそ。
「―――ちょっマテよ、なんだよ、おい!」
またも後ろから和田の声がした。
無視だ、無視。
あんな奴のことを気にしている暇はない。
一刻も早く御子内さんを助けないと。
「うわあああ、止めろ、止めろぉぉぉぉ!!」
さすがに様子がおかしいと振り向いた時、僕は絶句した。
僕と和田の後ろ、数十メートルの位置におびただしいほどの猫の群れが迫って来ていたからだ。
猫の目は光を受けて輝く。
網膜の裏にあるタペータムという反射板のおかげだ。
それは闇夜でも変わらない。
今日のように月の綺麗な晩ならなおさらだ。
その爛々と光る猫の瞳が何対も―――いや何十対もこちらに向けて注がれていた。
三十匹はいる猫の群れだった。
この猫たちはいったいなんのために……。
あの〈化け猫〉が呼んだのか。
リングの上では御子内さんが、リングの外では僕と和田が、それぞれまったく想定もしていない危険な状況に陥ってしまっていた……。
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