ー第8試合 現代天守物語ー

第51話「ボーイ・ミーツ・プリンセス」



 それは、本当に出来事だった。


 図書ずしょ健司は、ホテルの一ホールを借り切って行われた両親の参加しているパーティーの途中で、偶々開いたエレベーターに誰も乗っていないことに気がついた。

 このホテルは人の出入りが激しく、エレベーターも常に誰かが使っている状態。

 もう夜になっているとはいえ、この時間帯に誰もいないというのは非常に珍しい事だった。

 まだ十歳の健司は、深く考えもせず、好奇心に任せて乗り込んでしまった。

 すると、エレベーターは行き先を指定してもいないうちに、勝手に動き出した。

 最上階へ向かって。

 このホテルは三十階建てだ。

 子供の好奇心は、最上階のフロアーを覗いてみたいというものでいっぱいになった。

 怒られでもしたらその時はその時。

 遊んでくれる相手もいないパーティーでじっとしているのには、もう飽き飽きしていたので、このちょっとした心の弾む冒険は望むところだ。

 だが、妙なことが起きた。

 頭上の表示が最上階の30階に達するのを心待ちにしていた健司だったが、なんとエレベーターは30階についても開くことなく、階数表示のない一つ上にまで行ってしまったのだ。

 そういえば、……28.29,30という表示の横に不自然な空間があると思った。


 チン


 エレベーターが止まった。

 このホテルにおける31

 予想は外れたが、それ以上に健司は興奮した。

 叱られるのを覚悟で最上階を冒険しようというワクワクは、もっと別のワクワクにとってかわられた。

 もしかして、普通は入ったらいけない秘密のフロアーに辿り着いてしまったのかもしれないと考えたのだ。

 好奇心は猫をも殺す。

 そんな諺を知らない子供である健司にとって、これは魅惑の大冒険であった。


「お邪魔しまーす……」


 31階は、これまでの他のフロアーと違って、廊下が上から見て八の字形になっていて、各部屋と連結しているという構造ではなかった。

 エレベーターの降り口から、まっすぐと延びた廊下があるだけだ。

 しかも、廊下の電灯も薄暗く、まるで深夜の消灯時間のようである。

 キョロキョロと見渡してから、健司はそっと歩き出した。

 廊下の奥へ向かって。

 少し歩くと、全面ガラス張りになっていたが、行き止まりではなく引き戸がついていた。

 特に表示がある訳でもない。

 オフィスか、何かだろうか。

 ただ、引き戸の把手の部分はとてつもなく豪勢な装飾が施されていて、値段が高そうな造りだった。

 そこで初めて健司の腰が引けた。

 なんだかわからないが、背筋が寒くなったのだ。

 ただ、男の子の意地のようなものが彼を突き動かした。

 いけるところまで行ってみようという意地が。

 健司はガラス戸をひいて、中に入った。

 広い空間になっていた。

 ちょっとした運動ができるぐらいのスペースがある。

 ふと、隅の方を見てみると、なんとさらに上階に向けての階段があった。

 32階への階段?

 それとも屋上への?

 この場所がいかにもおかしい構造になっているということに、子供の彼が気のつくはずがない。

 何もないということを特段変にも思わないで、健司はスペースに踏み出した。


「そなたは何の用があってここに参ったのじゃ?」


 気がつくと、目の前に十七から十八歳ぐらいの少女が立っていた。

 健司に語り掛ける口調はどことなく古風だ。

 時代劇みたい、と健司は思った。


「ご、ご、ごめんなさい。一番上の階に入ってみたくて……!」


 思わず頭を深々と下げる。

 叱られると感じたのだ。

 相手はまだお姉ちゃんという年頃で、ホテルに勤めている大人という様子ではない。

 ただ、身にまとう雰囲気や威厳というものが、どうしても彼を圧倒するのだ。

 子供が大人に対峙したというよりも、むしろ、はるか年上の老人に威圧されるような。


「ほほほ、好奇心ゆえの行動かえ? ならば、今回だけは許してしんぜよう」

「あ、ありがとう!!」

「よい。堅くなるな」


 この段階になってはじめて健司は、自分に声をかけた少女が今までに絵本ぐらいでしか見たことのないような十二単じゅうにひとえを着込んでいることに気がついた。

 まるで絵本の中のかぐや姫のようだった。

 それ以外にも健司が気づいたのは、少女の前に置かれている細い火のついた燭台の存在である。

 今どき、蝋燭で火をとるなんてことが普通にある訳もなく、小学生の彼にとっては初めて目にするものであった。

 蝋燭というのは誕生日のケーキでぐらいしか馴染みがない。


「お、お姉さんは、ここで何をしているの?」

「そなたに話す謂れはないことよ。さ、早くここから立ち去りなさい。只の子供が来ていい場所ではないぞえ」

「ご、ごめんなさい」

「よいよい。―――ま、ここに誰かがやってきたのは久方ぶりということもあり、わらわもちと気が良くなっておることも事実。童子よ、こっちに来う」


 手招きをされたということもあり、ふらふらと健司は少女の方に寄っていった。


「ほお。近くで見るとやはりなかなかの美男じゃの、そなた。おのこになるのが楽しみじゃ」

「……?」

「では、これをくれてやろう」


 少女が差し出したのは、彼女が髪に差していた櫛であった。

 髪を梳かすものといえばブラシぐらいしかしらない健司にとっては珍しいものである。

 ただ、黒地に美しい紋様の入ったそれは目を奪うのに十分な逸品であった。


「ありがとう」

「よいよい。ただ、そなたが年を経て貴公子になった暁には再び、この場所に訪れて妾の無聊を慰めてくれればそれでよい。その頃には、そなたは美味しそうな妾の好みになっているはずであるからのぅ」


 櫛を受け取ると、健司はそのまま少女の傍から離れた。

 去り難かったけれども、これ以上はいけないと心のどこかが叫んでいる。

 後ろ髪を引かれる思いで、ガラス戸から抜けようとしたとき、


「このときのことは誰にもうてはならんぞ、図書健司よ」

「え、どうして僕の名前を……?」

「妾とそなただけの秘め事よ。努々ゆめゆめ忘れるではないぞ」

 

 エレベーターまで辿り着き、その中に乗り込んでも、あの少女の視線にずっと晒されているような気がしていた……。

 


         ◇◆◇




「―――というわけでして。男の子が一人行方不明なんですよー」


 僕たちの目の前でダブダブした白衣と派手に開いた胸元(残念なことに大きくはない)、太もも剥き出しのミニスカ緋袴、そして白いニーソックスという格好の少女が力説をしていた。

 おだんご頭のツイン・ミニョンという子供っぽい髪型も含めて、どう見てもコスプレにしか見えないが、一応は本物の巫女である。

 名前は熊埜御堂くまのみどうてん。

 御子内さんたちの後輩であり、退魔巫女見習いである。


「それはわかったよ。で、何でキミがボクたちのところに来たのかの説明はないのかい?」

「は、忘れていました! てんちゃん、おバカさん!」


 妙にテンションの高い子だよね。

 この間、松戸の病院で会った時は、退魔巫女の諸先輩方が揃っていたのであれでも低めのテンションでやっていたのかもしれない。

 御子内さん、音子さん、レイさん、こぶしさん……。

 確かに後輩からすると面倒くさそうな面子だ。


「熊埜御堂も今年からは実践に入るんだろ? そろそろ落ち着いてもいい頃じゃないのか?」

「そうなんですよお。禰宜ねぎさんたちにも子供っぽいとか色気がたりないとか言われてましてー。くっちゃべるのだけは得意なんですけどねー」

「いや、子供っぽいとかはどうでもいいんだ。を大切にしようということだよ」

「え、てんちゃんにも先輩方みたいなエロさが必要という話ではないんですか!? もっとLOよりは快楽天的な感じの!!」


 御子内さんだって色気はないけどね。

 あと、この子、きっとかなりの耳年増だ。


「熊埜御堂は退魔巫女として色々と間違っているからね」

「そんなー」


 うん、実のところ君も大概なんだけれど。


「で、てんちゃんがグレート・或子先輩のアシストにつけられた理由はですね。場所がちょっと場所なんで、口のうまそうな奴が必要だからということなんです!! ―――てんちゃんって口だけしか取り柄ないんですかね……」


 自分で言って自分で落ち込みだした。

 しかし、これだけ上がったり下がったりされると会話について行くのが厄介だ。

 音子さんみたいに普段はローテンションだけど、ネット上でだけは饒舌とかのほうがまだついていける。

 僕だけだとこの熊埜御堂さん相手には苦戦しそうな気がした。


「場所? ケントゥリア・リージェンシー・ホテルなんだろ」

「はい、それですー! 赤坂にある奴でーす!」

「別に特に問題はないんじゃないか? 〈護摩台〉を設置するのは大変だろうけどさ」

「ところがぎっちょん、そうじゃないんですよー。実はですねー、ケントゥリア・リージェンシーって夏には廃業するんですよー。で、現在、撤収作業中でして」

「え、日本でも有数のホテルなのに?」

「はーい、そうなんですー。なんでも、建物の老朽化と業績の悪化が原因らしいですけど、まあ、それだけじゃないとてんちゃんなんかは睨んでますがねー」

 

 これは僕も初耳だった。

 ケントゥリア・リージェンシー・ホテルは有数どころか日本を代表するホテルの一つだ。

 来日した海外のVIPなんかが頻繁に使うと聞いたことがあるし。


「発表はまだらしいんですけどー、公にしたときにはもうすぐに解体作業に入るって話でしたねー」

「そりゃあ、また唐突だね」

「でしょー。で、出入りの業者とかに今回の妖怪退治のことが漏れたりしないように、ちょっと口の上手いのがやったほうがいいって、てんちゃんに白羽の矢が立ったという訳でーす。―――どーせてんちゃんは口だけですよ。こんなのこぶしさんがやりゃあ、いいのに……」


 また落ち込んだ。

 躁鬱病の気味でもあるのだろうか。

 

「落ち込むなよ。熊埜御堂には熊埜御堂のいいところがある。今回だって期待しているからな」

「はい、スーパー・或子先輩!」


 実は何も大したことは言っていない御子内さんの慰めもそれなりに効果があったようだ。

 花のような笑顔を浮かべて、熊埜御堂さんは立ち直った。

 ちなみにそろそろ、御子内さんについている「スーパーなんちゃら」という異名の由来が知りたいところだ。


「じゃあ、京一。今週末はよろしく頼むよ」

「うん、それはいいけど。妖怪の正体はわかっているの? さっきからほとんどそっちの話はでないみたいだけどさ」


 御子内さんは、用意されていた書類をポンと叩いて、


「古い巨大な建物の最上階に巣食う、姫の姿をした妖魅と言ったら、ボクたちのギョーカイではほぼ一つしかいないんだ」

「……そうなの?」

「ああ。妖怪〈オサカベ〉。―――泉鏡花の『天守物語』のモデルになった妖怪さ」







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