第52話「妖怪〈オサカベ〉」
江戸時代の「甲子夜話」において、平戸藩主だった松浦静山は以下のように妖怪〈オサカベ〉を紹介している。
『―――姫路の城中にオサカベという妖魅がいて、城中に久しく住めりという。あるいはまた、天守櫓の上層にいて常に人の入ることを嫌う。年に一度、その城主のみこれと対面す。その他は人がおびえてのぼらない。城主が対面するとき、妖魅が姿をあらわすが、その形は老婆のようだと伝えられている……』
伝説によると、〈オサカベ〉は光仁天皇の皇子である
富姫は都を追放されて播磨に流され、姫路城のある
桜木山は姫山とも呼ばれている。
だが、数百年経ってから当時の武将・赤松貞範が、彼女の御霊を慰めるために祀られていた刑部明神と富姫明神のお社を蔑ろにして、姫路城を築城したことから、富姫による祟りが始まったらしい。
そこで、代々の城主は年に一度自らあいさつに出向くことにしたということだ。
以来、姫路城の天守閣には〈オサカベ〉という妖怪が巣食うようになった。
これに類似した話は全国各地に伝わっており、城の天守閣などのように巨大で古い建築物の最上階に棲みつく女怪のことを〈オサカベ〉と称するようになったという話だ。
江戸の怪談集「諸国百物語」に記載され、「東海道四谷怪談」の鶴屋南北が歌舞伎「
御子内さんがいう泉鏡花の「天守物語」のネタとなったというのは、これらの数々の〈オサカベ〉譚だということである。
「ってことは、もともと天皇家由来のお姫様なのかな?」
「姫路城のものはね。……まあ、現在修復中らしいけど、どうなることかな」
「白くて綺麗なお城らしいから、一度行ってみたいなあ。ねえ、御子内さん」
「ああ、
……その翌年、この発言を僕たちはものすごく後悔することになるのだけれど、それはまた別の話。
「でも、姫路城ってさ、播州更屋敷のお菊さんの井戸もあるんだよね。なんか、怖い話が多い気がする」
「それは四谷怪談の南北先生のせいだろう。実際のところ、お岩さんもお菊ちゃんもいい迷惑だと思うよ。実は普通の可愛い女の子が不幸な目にあっただけなのに、両方とも日本の死霊の典型みたいにされてしまったんだから」
「そうだよね」
「うん。まあ、それでも女らしい恋の要素があるだけ、どっちも富姫よりはマシかもしれないけれど」
「ん? 〈オサカベ〉は違うの」
「ああ。この妖怪に恋の要素がついたのは、さっき言った泉鏡花が大正六年に書いた「天守物語」からなんだ。直接のもとネタである「
宮本武蔵に勝てるというだけでも、それは相当なものなんじゃないだろうか。
ただ、御子内さんの話でわかったことは今回の妖怪は相当強力な相手だということだ。
……妖怪〈オサカベ〉か。
「……じゃあ、男の子を攫ったというのは、どうしてなんだろ?」
「ん?」
「僕は最初は「天守物語」のイメージで〈オサカベ〉を捉えていたけれど、それってもともとの妖怪とは違うんだよね」
「……うん」
「若い鷹匠と恋に落ちて、最期は二人が結ばれるという結末は後付な訳でしょ。となると、今回の依頼にある攫われた男の子を助けてくれというのは、ただの食欲を満たすためかなにかだったのかな?」
僕たちは、さっきまでこの赤坂にあるケントゥリア・リージェンシー・ホテルで行方不明になった男の子の両親から依頼を受けていた。
この三十階建てのホテルの最上階に巣食うという妖怪に攫われた我が子を救ってほしいという両親の願いを、
それから一通りの調査がなされ、実際にこのホテルの最上階には妖怪が棲みついていることが確認されたということで、退魔巫女の御子内さんが派遣された。
そこまではいい。
ただ、いつもならばスムーズに進むはずの戦場であるホテルとの交渉が難航した。
最上階へと立ち入ることでさえ難色を示されたのだ。
ホテルの中に〈護摩台〉という名前のリングを設置させろという無理難題を客商売の彼らがはいそうですかと認めるはずもない。
そのため、非常に口が上手いという退魔巫女見習いの熊埜御堂さんまでも追加で派遣して、ようやく交渉が成立したのである。
「……そこはわからないな。攫われたのは確かなんだけど」
「確か、さっきのご両親の話だと、家族で参加したパーティーのときに一度ここに来たことがあるらしいね」
「うん。それから、夜になるとたまに姿が見えなくなり、「ホテルにいるお姫様に呼ばれています。探さないでください」と書置きを残していたということだし」
「それだと誘拐されたというよりは、自主的に向かったみたいだよね」
息子の様子をおかしく思っていた両親は、深夜遅くになってフラフラと家を出ていくその後を追ったらしい。
その際に、男の子は舞うように空を飛び、最期はケントゥリア・リージェンシー・ホテルの中に消えてしまったそうだ。
家族からすれば攫われたとしか思えないだろうが、僕にはちょっと引っかかる。
「妖怪に憑りつかれたものはおかしくなるのが相場だし、それほど変という訳ではないけどね」
「それもあるけれど、僕としてはさっきのホテルの支配人の態度も気にかかるな」
「そっちはボクも同感だ。あそこまで露骨に拒否されるのは久しぶりだったよ」
……まあ、パーティー会場にも使う広場に資材を搬入して、妖怪退治用のリングを設営させてくださいという話を聞けば、たいていの人は拒否るだろうけど。
しかし、退魔巫女のもつ冗談のような影響力からすると、この手の交渉はだいたいすぐに終わるはずなのに、今回に限っては熊埜御堂さんのようなエキスパートらしい人まで連れてきたというのは珍しい。
ちなみにさっき見ていた限り、見習いとはいえ、熊埜御堂さんは本物のタフ・ネゴシェーターだった。
普段の、
「疲れましたー」
「ダルいですー」
「スイカが食べたいですよー」
という我が儘だらけの彼女とは思えない交渉術の巧みさには驚かされた。
交渉の際に何やらマイクを持ち出していたのは不思議だったけど。
「センパ~イ、京一さ~ん!」
噂をすれば影が差すという言葉のとおりに、熊埜御堂さんが僕たちを見つけて走り寄ってきた。
手にはさっきまでのワイヤレス・マイクを握っている。
腰には簡易スピーカーつきだし。
『こんばんは。あのですね、資材の搬入用意が整ったそうです。三十階の広場にエレベーターで運び込むそうなので、スーパー・或子先輩にも立ち会って欲しいらしいですよー』
「―――熊埜御堂。目の前でマイクを使うな。鼓膜が破れそうだ」
『す、すいません! うちってこれがないと術が使えないんですよー!!』
「だから目の前で!」
『すいませーん!!』
……なんでも彼女はマイクという媒介物を通すことで、言霊を操る能力の持ち主らしい。
どういう仕組みなのかはわからないけれど、それを使えばたいていの無理難題は押し通せるのだそうだ。
客観的に見ると、ただのマイク・パフォーマンスにしかみえないのがアレだったけど。
こんばんはから入ると、ゆっくりとしたテンポの喋り方がもっとスローになるのでさらにそう聞こえる。
「……熊埜御堂はこう見えてもサンボの達人なんだけれど、もうこの言霊使いの練習ばかりしてね。なかなか実践にださせてもらえないんだよ……。ボクとしては頭が痛いところなのさ」
御子内さんが呆れたようにいうと、それに対して後輩は、
「アネキー、そんなこと言わないでくださいよコノヤロー」
と泣いてすがるのであった……。
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