第49話「水の妖怪の力」



 アプサラスかラクシャーサ。

 僕の乏しい知識ではそのどちらかであるかは判別できないし、正解であるとは断言できない。

 ただ、御子内さんが戦っている妖怪の正体―――それはおそらくデング熱が妖怪化したものだということについては確信があった。

 去年、2014年の夏に代々木公園で蚊に刺された男性が海外渡航歴もないのに、日本では流行していないデング熱を発症した。

 それから約一ヶ月に渡り、都内と埼玉県一帯の公園内で蚊を媒介したとおぼしき、デング熱の患者が増加する。

 結局、秋に入ったことによる気温の低下と徹底的な自然公園の除虫によって、蚊が駆除されたことで沈静化したと言われている。

 ここ井の頭公園においても殺虫剤が撒かれたはずだ。

 だから、デング熱を持った蚊そのものは全滅したのだろう。

 しかし、滅せられなかったものもある。

 それはデング熱という人々を害する感染症そのものが変化した―――妖怪である。

 おそらく発生地であるインドに住む人々は知っていたのだろう。

 水源の傍に現われ、人々を苦しめる熱病を―――人食いの鬼に摸すことで警戒を怠らないように、アプサラスやラクシャーサという妖怪を語り継いできたのだ。

 そして、このインド産の鬼たちは、二十一世紀の東京の中心にある井の頭公園に顕われた。

 デング熱そのものではなく、その化身である妖怪として―――守護者である弁財天の庇護のもとに。

 おそらくこの地を守る弁財天は、自分と同じようにこの異郷にやってきてしまったインド出身の妖怪を憐みの心をもって留めてしまったのだろう。

 だから、神の本堂がある場所にこの妖怪は存在できているのだ。

 しかも、弁財天の似姿を手に入れたことで彼女のもつ「仲のいい男女に嫉妬する」という性質までも手に入れて。

 結果として、この妖怪はデング熱ならぬ嫉妬によって、好き合う男女を別れさせるという性質を獲得した―――のかもしれない。

 本当のことはわからないけれど、ただかいぼりが終わり、気温が夏のように暖かくなったことで蚊の活動が活発化したことで、この妖怪もまた元気を取り戻したということはわかる。

 しかし、御子内さんを躊躇わせていた神の似姿がただの偽装だとわかってしまえば問題はない。

 巫女レスラーは強いのだ。

 この世を荒らす邪悪な妖怪たちを掴んでは投げて叩きのめし、どんな敵でも両肩をリングにつけて3秒フォールすることで退治し、必殺のスープレックスで討ち滅ぼし、場外乱闘と反則攻撃で封印できる!


「いけえ、御子内さん!!」

「おうさ!!」


 御子内さんが弁財天に右のエルボーを叩きこむ。

 巨大なる女神の似姿はそれを正面から受け止めて、平然としている。

 だが、あえて御子内さんはエルボーを連撃して、集中的に胸のあたりを狙う。

 裡門頂肘りもんちょうちゅうなどのなんちゃって肘技ではなく、力と勢い任せのラッシュだった。

 そしてそのまま全体重を乗せて、弁財天を押し倒した。


「よし!」


 倒した弁財天の頭を抱え込み、ヘッドロックに移行する。

 そのまま走り出して、跳びあがり、首筋を痛めつける。

 二度、三度……。

 さすがの妖怪も危険を感じたのだろうか、御子内さんの腰に手を伸ばし、逆に力任せに持ち上げ、バックドロップ―――違う妖怪にはそんな技はない―――ではなく、ただの放り投げだ―――で返そうとする。

 しかし、御子内さんはそれを予期していたのだろう、弁財天が高らかに自分を持ち上げた到達点でくるりと身体を捻るとその魔の手を逃れ、背面に着地する。

 今度は背中に一撃を加え、頭が下がったところを膝からマットに叩き付けるカーフブランディングを仕掛けた。

 いつもの御子内さんではなかった。

 まるで西部の荒くれもののように容赦がなく、まっすぐな闘志剥き出しの戦いだった。

 またも突っ伏した弁財天に対して、立ったまま落下式のエルボードロップを落とす。

 だが、妖怪もタフだ。

 その肘を受けきると、カウンター気味に下から抉るように琵琶を鈍器のように振るう。

 体重ウェイト差もあり、御子内さんは吹き飛ばされる。

 とはいえ転がったままの力の入っていない攻撃では彼女を止めることなどできはしない。

 再び、弁財天が立ち上がったときにはもう再攻撃の体勢は整っていた。


「どりゃあああ!!」


 立ち上がったところを見計らっていたような、空中跳び膝蹴りが放たれる。

 見事に胸に命中した。

 さっき肘撃ちを集中させた箇所だった。


「御子内さんの狙いはそれか!」


 あの弁財天は頑丈だ。

 そこを崩すためには攻撃を幾重にも重ね、その堅いガードを打ち破るしかない。

 だからこそ、集中的に同じ個所を狙っているのだろう。

 肘や膝という硬質な部分を用いることで。


『グオオオオオ!!』


 ついに弁財天が吠えた。

 執拗なまでの御子内さんの連打に焦れたのだろう。

 リングに上げられた妖怪がよく示す反応の一つだ。

 自分よりも小柄なただの女の子の気迫に負けそうになって、何故やられてしまっているのだと叫ぶ悲鳴のようなもの。

 でも、そんなことをしても無駄だ。

 御子内さんを止めたかったら、きちんと正面から戦うしかないんだよ!


「どりゃああああ!!」


 御子内さんのドロップキックが炸裂する。

 バキっと音がして、弁財天の堅い胸板についに亀裂が走る。

 なんで出来てんだという疑問が湧くくらいに堅かった、さしもの胸板も、巫女レスラーの執念の前にはなすすべもない。


「まだまだ!」


 さらに追い打ちをかけようとした御子内さんだったが、弁財天の指が琵琶をかき鳴らすのをみて横っ飛びする。

 例の指向性の音の攻撃をタイミングと勘だけで避けたのだ。

 さすがという他はない。


「ボクに同じ技は通じないよ! 音で攻撃してくるというのなら、それよりも速く動けばいいだけのことさ!」


 うん、その理論無理があるから。

 マッハで動けるのか君は。


「えっ?」


 だが、さっきの弁財天の攻撃には別の意図があったようだ。

 御子内さんが躱した隙に、弁財天はロープを潜りぬけて場外―――リングの外に飛び出した。

 ボチャンと池の中に落ちた。

 ボートが浮かぶとはいえ、深さそのものはそれほどない池だ。

 弁財天の頭だけが水面に飛び出していたが、それ以上沈んでいく様子はない。


「逃げる気かな?」

「いや、この〈護摩台〉の結界からはどんな妖怪も逃げられはしない」


 そんな大層な効果があるとは今でも信じられないけど。


「じゃあ、どうして?」


 どこからともなくカウントが鳴り始める。

 戦っていたものが場外に出たことで鳴り響く20カウントだ。

 これが1から20まで数え終わった時、妖怪は消滅して封印される。

 それは妖怪である弁財天にもわかっているはずなのに、あえて場外に出た意図が読めない。

 弁財天はゆっくりと頭一つをだしたまま、池の中をぐるぐると回りだした。

 マット上の御子内さんを睨みながら。


「ふん、何をするつもりか知らないけど、そんなところからではボクに手を出すことはできないよ」


 御子内さんの挑発に応えるかのように、弁財天の顔が上がる。

 その頬が異常なほどに膨張する。

 何かをするつもりだ。

 次の瞬間、透明な弾丸が一条の線とともに御子内さんとの間に走る。

 飛沫とともに。


(水鉄砲か!)


 弁財天が口に含んだ池の水を圧縮して噴き出したのだ。

 まるで水鉄砲のごとく。

 しかもその威力は―――おそらく岩をも貫く。

 

「御子内さん!」


 彼女の危険に思わず叫ぶ。

 だが、御子内さんは―――

 

「ちぃ!」


 掌をかざして、犠牲とすることで水の魔弾を逸らした。

 顔面を狙った必殺の攻撃を躱しきった御子内さんは、トップロープ上に立ち上がった。

 手から流れる血を庇いもせず。


「それが最後っ屁かい? だったら、次はボクの番だね!」


 御子内さんが飛ぶ。

 着地点は―――弁財天の頭の上だった。

 奇跡的なまでのバランスで立ちながら、御子内さんが足踏みという顔面攻撃を行った。

 顔を踏まれて、手で払いのけようとしても御子内さんの華麗なステップによって触れもしない。


『グオオオオ!!』

「人の恋路を邪魔する奴はボクに踏まれて死んでしまえ」

『グオオ!!!』


 業を煮やしたのか、弁財天の両腕が伸び、御子内さんの足首を掴もうと交錯する。

 だが、巫女レスラーは完全にそれを読んでいた。

 腕が伸びた瞬間、高らかと月面宙返ムーンサルトり、大槌のような踵での一撃をさく裂させる。

 それで勝負アリ!

 弁財天の頭頂は完全に木っ端みじんに破裂して、妖怪は池の中に没していく。

 断末魔の叫びすら上げずに。

 でも、僕にとっては妖怪の末路はどうでもいいことだった。

 あいつと一緒に沈んでいく御子内さんの方がもっと重要だったから。


「御子内さん!!」


 あの無理な体勢からの落下だと下手をしたら溺れてしまうかもしれない。

 僕はセコンドの位置から池に飛び込んだ……。 




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