第47話「イチャイチャするぞ」
17時を過ぎてから、ぽつぽつと人がいなくなっていき、一時間後には井の頭公園には僕たち以外には誰もいなくなった。
その頃には、井の頭公園駅方面から持ち込まれた資材が運び込まれ、僕は十人ぐらいの業者みたいな人たちと〈護摩台〉という名のリングの設置を開始する。
今回はなんと池の上に設置するということで、色々と厄介な部分もあるはずなのだが、彼らは慣れた動きで池の水面にロープを渡して、ブイのようなものを浮かし、軽々と作っていく。
おそらく、僕なんかより年季の入った人たちにとって、こういう現場は普通なのだろう。
あまり口を利かないで黙々と仕事をする人たちだけど、たまに質問するとある程度の返事はしてくれて、なぜか僕に親切だった。
「まあ、頑張れよ、坊ちゃん」
「こういう足場の悪いところに〈護摩台〉を準備する時のコツはな……」
「不忍池に浮かべた時はそりゃあ大変だったんだぜ」
という感じだ。
でも、いい人たちなのは間違いなくて、普段は一人でやっているせいもあり、とても楽しかった。
ただ、独りで黙々と準備運動のストレッチをしている御子内さんが心配だったのも確かだ。
池上に特製リングが浮く段階に至っても、結局、この井の頭公園にいるであろう妖怪の正体は判明しなかったのだから。
だいたい夜の22時ぐらいになって、リングは完ぺきに設置された。
あとは、妖怪をあの戦場に乗せて、我らの巫女レスラーの勝利を祈るだけだ。
「……まったく気配がないね」
ボートの上に仁王立ちになって腕を組む御子内さんが言う。
周囲を見渡しても、何も異常はない。
職人さんたちには決着まで遠くに行ってもらっているので、
スポットライトのあたる美しい夜桜が咲き誇る荘厳な世界に、巫女装束の美少女が佇み、敵を待つ姿は綺麗だった。
現実に非ざる夢幻の世界に迷い込んだようだ。
思わず時間が経つのも忘れて見惚れてしまう。
ずっとこのままこの麗しい少女の傍にいたいと願ってしまうぐらいに。
「……姿を現さないのか、それとも餌が必要なのかな」
「どういうこと?」
「うーん、仕方ないね。京一、キミもボクといっしょに〈護摩台〉に上がろう」
「……別に構わないけど、どうしてさ?」
「ここの妖怪は、どうやらカップルがいちゃつくのがお嫌いのようだからね。ボクとキミでイチャイチャして誘き出す。あそこまで乗せてしまえば結界の力でなんとかなるだろうし」
「適当だな……。でも、イチャイチャするというのはいいよ」
すると彼女は顔を赤くして、
「言っておくけど、振りだからね、イチャイチャする振り! 別にボクがやりたいからやる訳じゃないないんだからな。そこのところを勘違いしないでくれよ!」
「わかっているけど。でも、御子内さんともっと仲良くなれるのは普通に嬉しいな」
「な、なにを言っているんだい、このトウヘンボクのアンポンタン! キミはすぐにそういうことを言うけど、他の女にも言いまくっているんじゃないんだろうね! あとで涼花に調べさせるよ!」
「僕と親しい女の子って御子内さんだけだよ。漫画みたいに仲のいい幼馴染とかもいないしね」
なんだか必死な御子内さんを、ボートでリングまで運び、一緒に上に昇る。
多少、揺れているように感じるのは安定していないからだろう。
いつものようにどっしりと大地に設置していないせいか、リングではなく広いボートに乗っているような感覚である。
「……でもイチャイチャするのって、どうやるの? 僕、彼女ができたこともないから、そういうことの手順がわからないんだけど。御子内さんはわかる?」
「ボクだってないさ。ただ、こういう場合はそうだね……ほら」
手を差し出された。
まずは力比べから入ろうというところだろうか。
力比べなら両手でやらないと……。
「バカ。手を繋ごうと言っているんだよ。なんで、イチャつくのに力比べから入るんだい」
「だって相手が御子内さんだから……」
「ボクが相手だったらってどういう意味だい。まったく、京一は……」
ガシっと手を握られた。
指と指を絡めあう恋人繋ぎだった。
どうやら本当に力比べではないらしい。
「あまり仲良さそうには見えないね……」
「もう、京一は水を差すことばかり言うね。まあ、いい。とにかく座りなよ。ボクに寄り添うように」
「うん、そうする」
僕たちはリングのマットの上に寄り添って座った。
御子内さんは体育座りで僕は普通に足を崩して。
手から伝わる彼女のぬくもりが心地いい。
すぐ隣に繋がった彼女がいるというのは本当に落ち着く。
「面白いことをいいなよ」
「……酷い無茶ぶりだ」
「場を和ませるのは男の役目だと聞いているよ。だから、京一の仕事さ」
「特にないなあ。……あ、涼花の受験勉強を見てくれてありがとうね。おかげであいつも御子内さんと同じ高校に行けたって喜んでいたよ。
「今、話す内容ではないんじゃないか」
「きちんとお礼言っていなかった気がするからさ。御子内さんには〈高女〉から助けてもらったり、いつも涼花と僕が迷惑をかけて申し訳ないとも思っているし。いつかまとめてもっともっとちゃんとした恩返しがしたいな」
御子内さんはそっぽを向き、
「申し訳ない、だけかい?」
「ん?」
「ボクに申し訳ないというだけで、今日もつきあってくれているということなのかな? 特に他に理由はなくて」
「何を言っているの?」
「だから、キミはボクのことよりも、ボクに恩義を感じているから忠誠を誓うように付き合っているだけなのかと聞いているんだよ!!」
なんだか知らないが、御子内さんはちょっと興奮していた。
いつも冷静な彼女らしからぬ気色ばんだ顔だ。
「そんなことはないよ。謝礼ももらっているし」
「お金!」
「うん。社務所から妖怪退治の度にいくらかもらえるのは助かるね。大学の学費と独り暮らし用に溜められるから」
「ボクにつきあっているのは……金の……ためかい?」
今度は絶望そのものという表情を浮かべる。
あまり見たくない顔だった。
でも、理由はわからないけどそれは誤解だよ。
「まさか。いくらお金が貰えても、御子内さんのためでなきゃこんな夜遅くに水を被りながらリングなんて設置しないよ。僕は御子内さんのためだからこそ、頑張って仕事ができるんだ」
「……えっ」
「初めて見た時から、僕は君のことを信じて、君を助けたいと思っている。それは嘘偽りのない本心だ。僕は―――君のものみたいなものと思ってくれればいいよ」
不思議な沈黙がリングに落ちた。
桜の花びらが一枚舞った。
僕らの間にひらひらと止まって、そのまま動かない。
「そ、そういうことなら、い、いいよ。今日から、京一はボクのものということでいくからさ」
「……そういうことでいいよ」
「なんだい、そのニヤニヤ笑いは。腹が立つね」
「生まれつきだよ。でも、ニヤニヤなんてしていないから」
「まったく、キミはチェシャ猫並みに嫌なやつだな」
ぎゅっと握る手に力が宿る。
僕のものよりも小さな手。
でも、僕はこの手に救われた。
優しい人の温かい手。
「じゃあ、これからも頼むよ、ボクの京一」
「うん」
―――その時、御子内さんの手が何の予備動作もなく動いて、僕の目の前でこぶしを握って止まった。
「な、なに?」
「……これを見てみなよ」
御子内さんの掌にのっていたのは潰れた蚊だった。
黒くてわりと大きい。
……そういえばさっきも飛んでいたっけ。
「何、これは……どうして……」
御子内さんが鋭い眼で周囲を警戒し始める。
「さっきボクたちに向けてまっすぐに飛んできたんだ。―――蚊があんな直線的に飛ぶものか。どうやら、正体はともかく手口は読めてきたよ」
僕も周囲を見渡した。
襟のボタンを留めて、軍手をはめる。
肌の露出を少なくするために。
「……この妖怪は蚊を使役して、なにかをしたんだ」
「蚊で……何を……?」
「わからない。ただ、血を吸わせてどうこうというものではなさそうだけど……」
「なるほど」
蚊とは思いつかなかった。
いや、だからこそ、目撃例がなかったのか。
蚊なんて小さすぎて怪異だとも意識されないのだから。
しかし、御子内さんに見破られた以上、もうこの手は使わないだろう。
そして、案の定……
「見なよ、京一。……手口を見破られて実体化し始めた」
さっきまで何事もなかったリングの一画に小さな羽虫が飛び回る蚊柱が発生し、それが徐々に黒く濃くなっていき、不気味な音とともに一つの物体に変化していく。
無数の蚊が―――あいつの本体だったのだろうか。
ほんの数秒の後、リングには布をまとった一人の女性の姿をした妖怪が立ち尽くしていた。
琵琶のような丸い楽器を抱えた姿の。
「弁天様のご登場という訳だね……」
いみじくも御子内さんが看破した通り、蚊の集合体となってそこに出現したのは、等身大の弁財天であった……。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます