第41話「空で裂ける口」
「住所きたわ。ナビに打ち込んで」
「シィ」
ベンツの助手席で音子さんがスマホの音声認識で住所を喋ると、すぐにナビが開始された。
五分もあればいける距離だった。
ほぼ並走しているレイさんのバイクもついてくる。
「―――
「その子が最初の〈口裂け女〉目撃者ってことかい?」
「
「……ということは、彼女の近くに本物が……いるということかな?」
「本物って。〈口裂け女〉は都市伝説の噂みたいなものなんでしょ。根本的な実体があるというわけではないんじゃない?」
「確かに、そうなんだが……うわわわ!!」
キキキキ!
ベンツが唸りを上げて急ブレーキをかけた。
後部座席の僕と御子内さんは抱き合う格好でつんのめる。
「な、なんだい、こぶし! きちんと運転してくれよ!」
僕の胸に顔を押し付けて、鼻を打ったらしい御子内さんが抗議の声をあげる。
「……そうもいかないのよ。観て」
「なんだってんだい?」
運転席からフロントガラス越しにこぶしさんが指し示した先は……
何軒かの一戸建て住宅が密集している、平凡な町並みだった。
アレさえなければ。
思わず息をのんでしまう。
退魔巫女たちと付き合うようになって、霊感らしきものが育ったのか、強い霊ならば視えるぐらいになっていた僕でも、あんなものは初めてお目にかかる。
はっきりいって、異常だった。
「な―――なんだ、あれ……?」
その思いはここにいるみんなに共通だったようで、隣の御子内さんですら唖然としている。
「あんなに強い霊力の持ち主がいるってこと……?」
「久しぶりに見たわ、こんなの……」
僕たちの視線の先には、二階建ての家を見下ろすような形で揺らぎながら立ち尽くす影がいた。
二階のベランダ付近が腰のあたりにあるので、だいたい二十メートルぐらいの高さはあるだろう。
頭と四肢を持つ、明らかな人間のカタチをしているが、影法師のように黒く染まっていて細かい部分はわからない。
だが、はっきりとわかるものはある。
顔の部分にあたるとある部位―――本来ならば口がある場所に三日月のように広がった赤いおぞましい割れ目。
人間ならば耳にあたる位置まで亀裂のように深紅が広がっている。
「御子内さん、あれは何?」
「……たぶん、霊力が噴き出して幻視できるようになっているんだよ。それなりに力がある人間ならば訓練無しで誰にでも視えるほどに強力な、ね」
「まさか……あれが……人の……」
「うん。ただ、一人のものにしてはかなり尋常じゃないから、色々と謎はあるんだけど……」
僕にまでわかるというのは相当なことだ。
しかも、あの割れ目のイメージからすると、あれは……
「〈口裂け女〉だろうね」
「ああ、ブロッケンの妖怪じゃあるまいし、あれほどくっきりと出るなんて驚きだよ」
「或子ちゃん、もしかして、あれが今回の事件の原因なのかしら?」
「まず、関係性は深いだろう。もっと近づいてみないとならなくなったね」
「わかったわ。現役の子たちにお任せするわよ」
だが、ベンツから転がるように外に出た僕たちは、いつの間にか囲まれていることに気がついた。
黒い服と長い髪、歪んだ身体をもって、耳まで裂けた口を持つ妖怪の群れに。
「また、凄い数だね……」
さっきの河原よりも多い。
路地裏から、天井から、ブロック塀の向こうから、わらわらと僕たち目掛けて近寄ってくる〈口裂け女〉たち。
いったい、どこに隠れていたというよりも、どうやって増殖しているのかが不思議な妖怪の包囲網だった。
「こぶしさん、あんたもやれよ」
「やれやれね。私、もう引退しているんだけども」
「……ずっと婚活には失敗しているんだから、もう一度やれば」
「物騒な職業だと男に逃げられるのよ……」
「神職をなんだと思っているのさ」
こぶしさんも運転席から出てきて、指の部分がないドライバーズグローブをキュッとはめる。
そして、手を振ると、どこからともなく二対の黒い棒が現われた。
いったいどこに隠していたのか、スーツをきているのならわからなくはないけれど、今の彼女はベストを着こんでいるだけで、あんなものを隠しておけるはずがない。
手品のようであった。
しかも、手にしている棒は、アルファベットのT字型の把手がついた格闘用武器―――トンファーであった。
それをブルース・リーのように回転させて、「ほあああ!」と構える。
つま先はトントンとリズムを刻み、鋭い眼光は藪睨みで妖怪どもを射抜く。
「或子ちゃんと音子ちゃんは、あの家に向かって」
「こぶしはどうするんだい?」
「レイちゃんと私でここは引き受けます。―――いいわね?」
「ふん。謎解きをするよりもオレ向けな仕事だな。こぶしさんの
「最近はサボリ気味だから、期待しないでね」
そんなことを言いながらも、こぶしさんはブンブンとトンファーを振り回して、〈口裂け女〉の群れの中に突貫していった。
化鳥のごとき怪声とともに。
ああ、やっぱりあの人ももともとは退魔巫女だったんだろうなあ、と納得してしまう。
御子内さんたちの先輩なんだろうね。
とはいえ、巫女クンフーなのでレスラーの彼女たちとはちょっとばかり違いそうだ。
「レイ、頼んだよ」
「任せろ。千葉県と茨城県を護るのは、元々オレの役目だ」
レイさんも〈神腕〉を振るって、次々と妖怪たちを消滅させていく。
さすがは御子内さんと互角にやりあえるだけはある。
「行くぞ、京一」
「はい!」
「……またあたしをハブった」
僕たち三人は、往く手を遮る妖怪たちを斃しながら、あの巨人の足元にある一軒家へと向かった。
辿り着いてみれば、ごく普通の家屋だ。
とても何か特別なものがあるようにはみえない。
だが、巨人がずっとこの家の上に待機している以上、ここに何かがあるのは間違いなかった。
「お邪魔するよ!」
御子内さんが玄関の扉を蹴り開けて、屋内へ躍り込んだ。
この期に及んで躊躇などはしていられないということだろう。
だが、それも正解だったようだ。
飛び込んだと同時に左右から〈口裂け女〉が襲い掛かってきたのである。
とはいえ、御子内さんと音子さんが予測していないはずがなく、なんの問題もなく殴り消された。
「ここは〈口裂け女〉の巣」
「ああ、油断するなよ、音子」
「やっとあたしの名前を思い出しやがった」
「音子は、京一と階段を上ってこの庄司美晴という女の子を確保。京一はその子から情報を聞きだしてくれ」
「アルっちは?」
「ボクは一階を制圧する」
御子内さんはそのまま直進し、居間らしき空間へと行く。
相変わらず即断即決だ。
僕の御子内さんらしい思いっきりのよさだった。
「京いっちゃん」
「うん」
音子さんとともに階段を上る。
二階にも一体だけ〈口裂け女〉がいたが、斜めに繰り出されたチョップによって簡単に消滅した。
「ここか」
僕たちは『みはる』と可愛い手書きのプレートのついた部屋に飛び込む。
ここが庄司美晴さんの部屋のはずだ。
真っ暗だった。
「きゃああああああ!」
絹を引き裂く女性の叫び。
誰かがいる。
この暗闇の中に隠れているのだ。
「電気をつけるよ!」
スイッチを点けると、ベッドと机とクローゼット、そしてガラス製の天板のテーブルが置いてあった。
そして、部屋の隅で毛布を被ってこちらに怯えている女の子も。
僕はともかく、かなり音子さんの覆面を見て驚いていた。
まあ、普通だとこういう覆面を被った人って強盗の類だしね。
巫女装束よりはそっちのインパクトの方が遥かにおおきいだろうし。
「庄司美晴さんですか?」
「……ううう」
「君を助けに来たよ」
「……助け?」
僕は音子さんを指さし、
「〈口裂け女〉に襲われているんでしょ? その化け物から君を守るために、この徳の高い巫女が派遣されてきたんだ。見た目は驚くけど、本当に巫女なんだ」
「……巫女……? さっき、ダダちゃんから来たメールの巫女さん……なんですか?」
「ああ、そうだよ。そのメールを見せて」
美晴さんが見せてくれたスマホの画面には、黒嵜奈々枝さんがついさっき送信したらしいメールが表示されていた。
『すぐに助けが行く。オバケを追い払ってくれる巫女さんがそっちに行くから待ってて』という内容が打ち込まれていた。
おそらく、熊埜御堂さんが奈々枝さんに出させたものだろう。
「携帯からも……ダダちゃんから……かかってきたし……本当に、巫女さんなの……」
うん、やはり見た目のせいで信じてもらえないか。
とはいえ、音子さんにとってマスクはアイデンティティーっぽいから脱いでくれとはいえないし……
だが、僕の考えは杞憂にすぎなかった。
音子さんは美晴さんの隣に膝立ちになり、
「これでいい?」
と、そっとマスクを脱ぐ。
パッと光を発したかのように思えた。
それは音子さんの素顔の神々しさというべきだろうか。
色の白さ、全体的に彫りが深いけれどもバタくささはなく、むしろ神秘的なまでに整った美貌。
フォトショップ加工したとしてもここまでシミ一つない絹のような肌にはならないだろうというほどに、まさに輝いているという言葉こそが相応しい。
「綺麗だ……」
それ以外、僕は考えられなかった。
顔の好みでいえば僕は御子内さんタイプが好きだけど、これだけの美少女を傍にするとそんな趣味なんて凌駕してしまう。
背筋が震えるぐらいに見惚れてしまった。
不意打ちといっても過言ではないだろう。
「……は、はい」
「落ち着いて。あたしを信じて欲しいな」
「……うん、あっ、はい!」
美晴さんもぽうっと頬を赤らめていた。
同性であったとしても、いや、同性だからこそ、この美貌には抗えないかもしれない。
「あ、あの、失礼かもしれなんですけど、も、もしかして『残念系オクタビオ@パス』さんじゃありませんか!!」
え、なに、その変な名前。
「わ、わたし、あなたのツイッターのフォロワーで、な、な、なんどかリプしたこともあって……!!」
「ごめん、あたしのフォロワーは結構いるから、全員は覚えていないんだ」
「―――そうですよねえ、残パスさんのフォロワーって三十万人いますもんね……」
ツイッターのフォロワーが三十万って……
芸能人でもそんなにいないでしょ。
って、音子さん、ツイッターなんてやっていたの!?
「うん。やってた」
確かに音子さんなら、SNSのほとんどの流行りは押さえていそうだけど。
「わたし、残パスさんのツイート、ホントに好きでっ!!」
「ありがと。でも、その話はあとで。あたしたち、妖怪退治に来たんだから」
なんだか、よくわからないことになっているけど、とにかく美晴さんの心は開けそうで良かった。
ただ、問題なのは……
『ゴオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』
僕らの頭上で怪獣のごとく吠えるあの口が裂けた巨人をどうにかしなければならないということだった。
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