第37話「妖怪〈口裂け女〉」
口裂け女とは、1979年に岐阜県を中心として全国に広まった怪談である。
この口裂け女の噂が口コミによって広まっていく過程が、今でいう都市伝説のはしりであるとさえ言われているほど、多くの人々に知られているぐらいだ。
噂の最盛期には、子供たちがパニックを引き起こし、通報によって警察が出動したこともあるそうだ。
なぜ、子供たちがパニックになったかというと、現在のようにインターネットの普及する以前は、学校内でのコミュニティによる伝播力が強く、こういった噂は瞬く間に「子供を通して」拡散していったからであるとも言われている。
口裂け女のストーリーは、至極簡単である。
顔半分を覆うマスクをつけた女に「私、綺麗」と話しかけられる。
それに対して応えると、「これでも」といってマスクを外し、隠されていた耳まで裂けた口を見せつけてくるというものだ。
日本全国に伝播する際に、やはり伝言ゲームの要領で内容が歪曲化され、「綺麗というと殺されてしまう」とか「口裂け女は男が髪につけるポマードが嫌い」だとか「空を飛ぶことができる」だとか、様々なバリエーションが付け加えられて増えていった。
そのあまりの広がりの速さに注目し、とあるスパイ機関が噂の拡散力の実験のために広めたのではないかという説も出たほどである。
二十一世紀になってから産まれた僕らにさえ、わりと知名度があるというだけでも、当時のショックの大きさがわかるというものだ。
「……でも、御子内さんたちが動くと言うことは、口裂け女というのは妖怪なの?」
JRの常磐線松戸駅に降りて、ロータリーの上にある広場で僕らはコーヒーを飲みながら話をしていた。
もう一人の退魔巫女とここで落ち合うとのことだった。
レイさんかと訊くと別の人間らしい。
つまり、総勢三人の退魔巫女がこの松戸市に揃うのか。
「古い意味での妖怪ではないよ。新妖怪とでもいうべきかな。……いや、明治から昭和初期に現われたものを新妖怪と定義するっぽいから、平成近くにでてきたのは、新・新妖怪と言うべきか」
新興宗教の定義みたいだな。
「新・新妖怪って……。そんなんでいいの?」
「数はそんなにないし。昔と違って、怖いお話も噂として拡散しても検証されるのが早いし、すたれるのも早いからね。―――んん、都市伝説が妖怪となったもの、といえばいいのかな」
「じゃあ、口裂け女も入るね」
「ああ。でも、今回、僕たちが退治するのは、ある意味では三十年以上前の口裂け女ではなくて、新しい〈口裂け女〉なんだ」
「新しい〈口裂け女〉ってどういう意味?」
「これからすぐに動くことになるから、その時に見ればわかると思うよ。百聞は一見に如かずそのものだから」
御子内さんにしては珍しい対応だった。
どうやら僕に〈口裂け女〉にまつわる何かを解決するのに知恵を出してほしいということのようだが、話のとっかかりの部分ではぐらかされるのはどうも納得できない。
ただ、彼女にもそうするだけの理由があるのだろうし、今は無理に問い詰めることはしないでおくか。
「じゃあさ、それ以外の情報を聞かせて」
「わかった。―――発端はね、二日ほど前だ」
二日前。
GWに入る直前ぐらいか。
「被害者は予備校からの帰り道に〈口裂け女〉に襲われたんだ。手口というか、手順はいわゆる口裂け女のストーリーそのままだね。突然、道端でマスクをつけた女に話しかけられて、『私、綺麗』と訊かれるというものさ」
「想像がつくよ」
「で、彼女は何も答えないでいる間に、その〈口裂け女〉に噛まれた。首筋あたりにばっくりと噛み跡ができて、全治一ヶ月の重傷だそうだ。しかも、跡は手術しても完全には消せないらしい」
「―――噛まれた?」
口裂け女の噂では、そういうものはあまり聞いたことがない。
なるほど、新〈口裂け女〉と呼ばれているのはそういうことか?
「他の被害者の話を総合すると、口が裂けているというよりも、大きな口を持っていたということかな。ちなみに口腔内には乱杭歯がずらりと並んでいたらしい。そのことから、ボクらは最初は口裂け女というよりも、低級なキツネやらの動物霊が憑依した人間ではないかと考えたほどだ」
「なるほど」
骨格から違っていたということならば、そういう考えになるのもわかるか。
要するに俗にいう犬神憑きかもしれないという訳だ。
でも、「私、綺麗」といういかにもな言葉がある以上、口裂け女事例だと看做す方が手っ取り早そうだ。
「で、今現在、社務所で把握している〈口裂け女〉の被害は十人。かなりの人数が怪我をしていて、情報操作をしていてもどうしょうもなくなっている感じだ。だから、今日中に決着をつけなければならないと、急いで手の空いている退魔巫女たちが駆り出されているという訳なのさ」
「……え、御子内さんとレイさんと、今、待っている人だけじゃないの?」
「ああ、ここ以外にも、新松戸駅やら北千住側やらにも巫女が配置されているはずだよ」
「そんなにいるんだ?」
「まあね。北関東を護っている連中は根こそぎ集められているんじゃないかな」
へえ。
そんな緊急事態なのか。
未だに御子内さんたち退魔巫女の組織構成などがわからない僕にとっては、見当もつかないけれど。
でも、退魔巫女の皆さんは美人ばっかりだから目の保養にはなるかもなんて、部外者に近い僕がのんびりと下種なことを考えていると、肩をポンと叩かれた。
振り向くと美人ではなくて、白い布地に派手なラメのストライプの入った覆面の女の子が立っていた。
「京いっちゃん、オラ」
「ああ、音子さん、オラ」
覆面を被った退魔巫女、神宮女音子さんがやってきたのだ。
どうやら、待ち合わせの相手というのは彼女のことだったらしい。
オラというのはスペイン語でこんにちはのことだ。
こういうスペイン語混じりの会話をする女の子のために、僕はちょっとだけ勉強しておいたのだ。
たまにラインをしたりする程度の仲だが、コミュニケーションを円滑にするための努力は欠かさない方なのである。
待ちくたびれていたらしい御子内さんは不機嫌そうでジト目をしている。
あまり友好的ではない目つきと態度で、音子さんに注意を促した。
「―――音子。遅いぞ」
「ペルドン」
「なんだって?」
「ごめんなさいって意味だね」
「京一には聞いてないぞ。ボクにもわかる言語でいいたまえよ」
「ディスクルパ」
「今度はどういう意味だい? 京一」
「……じゃあ、なんで僕に通訳させるのさ。―――確か、ごめんなさいの別の言い回しじゃないかな」
「ふーん、つまり軽く謝るだけで誤魔化そうという腹なのか? このボクをだいぶ待たせておいて、反省の欠片もないようだね。しかも、いきなり京一にだけ話しかけるという、友達を無視した所業。……音子、そろそろキミとは決着をつけなければならないかもしれないねぇ」
レイさんとやりあったときは、とても大人な対応をしていたはずなのに、なぜだか音子さん相手には喧嘩っ早くなるのはどうしてなのだろう。
胸の大きさとかにコンプレックスでもあるのかも。
ちなみにあまり気にしたことはないが、御子内さんは年頃の女の子としては普通のサイズ、音子さんがやや上回る。レイさんは問題なく爆乳という感じだ。
まったくもってまな板そのもののうちの妹に比べれば、みんな女らしくて素晴らしいんたけどね。
「京いっちゃん、車を待たせてるからこっちに来て。あ、或っちも来るんなら来てもいいぞ」
「なんだって! おい、音子! 言うに事欠いて、ボクをのけ者にして京一とどこにしけこもうとしているんだい! そんなことはボクが許しても、絶対に天照大神が許しはしないよ!」
随分と心が狭いな、神道の主神は。
あとしけこもうとか言わないでほしいんだけど。
御子内さんも来ていいと言っているんだから、その論調だと複数プレイっぽくなって危険な臭いしかしてこないよ。
「―――江戸川の方の河川敷で目撃情報がある。あたしたちは、そっちに行く」
「そっち? ちょっと変な言い方するね」
「〈口裂け女〉の目撃情報が複数あって、ぶっちゃけ人手が足りない」
「―――わかった、とりあえず行こうか。ねえ、御子内さん」
思った以上に自体は切迫しているらしく、のんびりとしたところのある音子さんもさすがに焦っているようだ。
突っかかる御子内さんをほとんどスルーしている。
無駄だと判断したのか、黙ってついてきた御子内さんと一緒に大通りに止めてあった車に乗り込む。
ベンツだった。
しかもSクラス。
メルセデス・ベンツ・W222というかなり最新型に近いタイプで、乗り心地はよく性能も高いという高級品だ。
なんでこんなものがあるのかという疑問はさておいて、音子さんと僕と御子内さんの順で乗り込むと、戦車のように雄々しく走り出す。
後部座席が三人でも余裕に感じるぐらいに広く、両隣に二人の女の子が並んでいてもあまり接触もなく役得はなかった。
運転しているのは、ドライバーらしいベストとパンツ、制帽を被った若い女性だった。
おそらく二十代後半ぐらい。
髪を短くしているし、背も高そうなので、最初は男性かと思った。
発進の時も一瞬の揺れもないほどスムーズで、W222の性能だけでなく運転の腕もいい人なのだろうと想像がつく。
「―――あれ、
御子内さんの発言からすると、このW22の運転をしている女性は不知火こぶしという名前らしい。
かなり親しげなのでそれなりに深い知り合いなのだろう。
こぶしさんという女性は振り向きもせずに、
「お久しぶりね、或子ちゃん。どう、元気にしている?」
「まあね」
「そっちが例の助手の子? レイちゃんが褒めていたわよ」
「まあ、そうだろうね。ボクの京一は褒めるに値する男さ。ただ、音子に対して甘いのが最悪の欠点だがね」
「ふふふ。音子ちゃんも色恋沙汰では下手なちょっかいをするのねえ。……で、どうなの?」
何がどうなのか、と横を見ると、音子さんがスマホではなくタブレットを弄っていた。
指の動きが迷いなく、高いレベルで慣れていることがわかる。
メールもやらない御子内さんとはえらい違いだ。
すぐに、顔を上げ、
「みんな、それぞれの場所で退魔を続けている。でも、どうしても特定できないみたい」
「……でしょうね。元凶が把握できなければ、イタチごっこが続くだけだし」
「でも、やらないとパニックになってしまうかもしれない。さっき、ツイッターのトレンドに入ってきていた」
「なんて?」
「#口裂け女現る、だって。その他のSNSでも少しずつ拡散している。写真がないから、インスタとかではまだ反応がないけど」
「わかったわ。いい、みんな。今のところ、〈口裂け女〉の決定的な証拠写真というものがまだ出回っていないから、ただの噂話だけど、ヤバい写真でもアップされたらすぐに問題になるからね」
そういうネット対策もされているのか。
でも、完全な隠ぺいは不可能だろうし、どうするつもりなのだろう。
「京一も覚えているだろうが、妖怪は通常人の眼には見えない」
御子内さんが僕の疑問に答えてくれた。
内心でのことだったのに、心が読まれているようで驚いた。
「〈ぬりかべ〉がそうだっただろ? あれは意識して妖怪が人目につこうとしない限り、ほとんど不可視な存在のままなんだ。あと、意図的に人間に絡もうとしたときとか、限定されるのも特徴だ」
「ああ、〈天狗〉も〈うわん〉も、自分から人に絡んでいたもんね」
「今回の〈口裂け女〉も自分から『ボクは綺麗かい?』なんて言わない限り、そう簡単に目撃されるものじゃない。最近の京一みたいに、頻繁に妖怪に接したり、もともと高い霊能力や神通力を保有していなければね。だから、写真だってほとんど撮られてないんだ。まだまだカメラにその手の霊的な力をこめるだけの技術はみつかってないし」
「科学も万能じゃないのか」
「うん、そうさ」
なるほど、〈口裂け女〉でフィーバーしているこの松戸でも、一般人のすべてが妖怪を見られる訳ではないというのならば、万が一のことが起きる前に退魔巫女が総出で取り組めば事態を早々に納めることができるかもしれないのか。
だから、御子内さんやレイさんだけでなく、音子さんやこぶしさんみたいな人たちもいるというわけだね。
こぶしさんの正体はわかんないけど……。
「さあ、ついたわ。その土手を越えた先で、レイちゃんが戦っているはずだから、助太刀してやってちょうだい」
「応ともさ」
「……シィ」
ベンツW222の停車とともに、二人の巫女レスラーは左t右のドアから飛び出した。
右手には江戸川を見下ろせる土手が延びていて、川の水の湿った香りが漂っている。
僕たちは土手を昇り切り、見通せなかった反対側を見やった。
絶句する。
それはそうだろう。
あまりにも非常識な光景が繰り広げられていたからだった。
「せいっ!」
川辺で仁王立ちになり、そのあだ名の由来となった〈神腕〉を振るうのは明王殿レイさんだった。
こちらはもう知っているから構わない。
問題なのは彼女が相対している江戸川の方だった。
夜の暗い帳の中、そう狭くもない川から水を滴らせつつ現われる痩せっぽちの女の影があった。
黒いワンレンの髪型はびっちょりと濡れ、張り付いた前髪の隙間から黄色い眼光が覗いている。
明らかに異様。
見事なまでに怪異。
あれが〈口裂け女〉か。
だが、問題は〈口裂け女〉の容姿ではなかった。
僕にでも断言できる。
退魔巫女がここまで駆り出された理由が。
川の中から陸地を目指してやってくる、口が耳まで裂けた妖怪は……何十匹もいたのだ。
江戸川の一画を完全に埋め尽くす勢いで、増殖したかのようにそいつらは上陸をし続ける。
まるで、そう―――「
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