第33話「そこはかとなく虎の穴」
御子内或子と明王殿レイの二人の巫女は、示し合わせたかのように同じタイミングでリングに歩を進め、そして飛び乗った。
奇しくも赤いコーナーポストには或子、青いコーナーポストにはレイが立つ。
形の上ではチャレンジャーはレイということをまざまざと表しているようであった。
「……二年ぶりだ」
「そうだね。ボクたちが見習いだった時代の話だから、もうそんなものか」
「ああ、オレもあれから何体もの妖怪を退治して来た。おそらく、撃破数は同い年でオレがトップのはずだ」
「聞いているよ。とても頑張っているそうじゃないか。同期として鼻が高いよ」
「ぬかせ」
レイは吐き捨てるように言った。
「妖怪退治なんて、数をこなせばいいってもんじゃない。どれだけの大物を倒したって、ただの勝利なんて虚しいもんだぜ」
「その気持ちはわからなくはないよ。ボクだって、たまに後味が悪い戦いをすると気分が悪くなるしね」
「退魔巫女なんて、自分が満足できなければただの作業だ」
「同感。でも、ボクたちが戦うことで止められる悲劇もある。それをするための作業だというのならば、ボクは迷わずリングに立つよ」
「相変わらず、いい子ちゃんぶるな」
「そうでもない。最近は、昔と違ってただ良い試合をしているだけでいいとは思わなくなった。色々な意味でね」
「そうかよ。オレの方はおまえにやられた時のことを今でも引きずっているっていうのによ」
ずしりと踏み出し、両掌を縦に揃え、金剛力士のように構える。
魔人のごとく息吹を吐きだし、双眸は火矢のように敵を射抜く。
「忘れたとは言わせないぜ、爆弾小僧」
「だから、ボクは女の子だってば」
―――退魔巫女の道場はとある深山幽谷に存在する。
そこでは幼少の頃から才能を見出された少女たちが、傍目には地獄のような稽古を続けて、いつか退魔の巫女として戦う日に備えていた。
或子とレイの出会いはそこであった。
幼女の頃から両腕に秘められた神通力のおかげで〈神腕〉と称されていたレイは、確立したスタイルを持たない我流の闘士として首席に近い扱いを受けていた。
レイの力任せのビンタは小癪なガードごと吹き飛ばし、迅雷の突っ張りは食らった相手の意識を刈り取った。
あまりにも強いポテンシャルは、生半可な修練などものともしないものなのだ。
だから、レイは道場での生活に飽き飽きしていた。
巫女としての修業そのものは嫌いではなかった。
言動を含めて大雑把ではあったが、レイはもともと生真面目な性格の少女であったので、一枚一枚薄皮を貼り固めるように力を蓄えていくことに向いていたのである。
ゆえに、共に修業を重ねるものたちの力不足は耐え難かった。
一日数度のスパーリングも、ものの数分で片付いてしまうので、時間が余ってしまい退屈なだけだったからだ。
まだ、自分だけで修行していたほうがいい。
こうしてレイは孤立していった。
だが、その孤独の時代は簡単に終焉を迎えた。
家庭の事情で合流が遅れていた御子内或子がやってきたのだ。
その我武者羅なファイト・スタイルを伴って。
或子の戦い方自体はそれほど奇をてらったものではない。
ただ、彼女は前進しか知らない女だった。
もし弾丸が少女のカタチを伴っていたのならば、まさに御子内或子こそがそれであったろう。
力の差、体格の違い、技の才能、経験値の有無、そして血筋。
それらをギリギリにでも上回るものがこの世にあるとしたのならば、それは―――ただ一つ。
ド根性、しかない。
カビの生えた根性論と精神性だけを持って、御子内或子は道場の仲間たちを撃破し続けた。
ただ傍観しつづけていたレイが認めざるを得ないほどに。
そして、或子の存在は道場を変えた。
バカは感染する。
バカは
気がついた時には、彼女たちの同期はこれまでの期とは比べ物にならないほどに熱く滾った
気合いだ、気合いだ、を十回唱えればどんな敵にも負けないパワーファイター。
色々あって覆面を被りだしたルチャドーラ。
巫女だというのにボクシングしか学ばないバンタム級。
顔に隈取をしたオリエンタル・スタイルのレスラー。
―――そこにはレイが望んでいたものとは、真逆に近い、一種異様な世界ができていた。
なんというか、巫女の自覚がまったく欠片もない連中揃いの。
(あれ、おかしいぞ。オレはこんな戦いのワンダーランド的な空間を望んでいたわけではないのに……)
今度こそ別の方向で孤立することになったレイであったが、しばらくたってから御子内或子と対戦し、60分に及ぶ死闘の果てに敗北を喫してから同類にまでなってしまった。
レイと或子の実際の勝負はそれ一度きりであったが、彼女の脳裏にいつまでも焼き付いて離れることはなかった。
自分を負かした強敵としての彼女のことが。
道場を卒業し、退魔巫女としての活動を開始してからは、その想いがさらに強迫観念に近い形にまで達してしまったのが、今のレイの状況であった。
自分の縄張りである千葉・茨木を放置して、或子の住む東京都・多摩地区にやってきてしまうぐらいに。
「あの時の貸しを返してもらうぜ、或子」
「ふん。わざわざボクと
「酔狂な真似か?」
或子は首を振った。
横に。
「バカなことをいうね。ボクにはビートルズも安産祈願もわからないけれど、キミが放った空手チョップの雄姿はしっかりと覚えている」
「―――だったら、オレとやりあうことには不満はないんだな」
「―――レイよ、ボクを愛で殺せるかい」
申し合わせたように、二人の巫女レスラーはぶつかりあった。
まず先手を打ったのはレイ。
巨体の〈河童〉にさえ悲鳴を上げさせるビンタをぶっ放した。
或子はまともに受けたりはしない。
レイのそれは大振りで孤を描くテレフォンビンタであることから、素人ではない或子にとっては躱せて当然なのだ。
とはいえ、全身の力と体重が乗っているということから威力は高く、加えてレイの神通力のこもったビンタは要注意であることは疑いない。
身を屈めて、或子は回し蹴りで足を刈りに行く。
レイは膝をたわめ、力を入れることで軸を維持しつつ、回し蹴りを弾いた。
もし倒されて寝技にでも持ち込まれたら、不利であることを〈神腕〉の巫女は知り尽くしていた。
立って勝負してこその自分だ。
だから、軸足を刈られようと転んだりはしない。
そのまま縦に顔面を割り砕く、チョップを放った。
首筋にでもあたればいかにレスラーの太い猪首でさえも折れるほどの破壊力。
急所を外したまま上半身を捻り腰に飛びかかったが、レイはまさに人間山脈、或子の組みつき程度で怯むことはない。
「ふんが!」
美女とは思えない気合いとともに力任せにタックルを引きちぎる。
その姿はほとんど弁慶。
「でやああああ!!」
タイミングを計り、或子は奇襲の胴回し回転蹴りを放つが、これも力任せに背中から叩き落した。
両腕を大きく回転させて、バウンドした或子をもう一度左手ではたき落とす。
レイがただ一つ道場で学んだ格闘スタイル、
腰を支点にして上半身を振り、風車のごとく回転させて、遠心力を用いて打撃を放つのが劈掛掌だった。
〈神腕〉と称される神通力をもったレイに相応しい技である。
もっとも、彼女がこれを学んだきっかけは、或子がたまに使うなんちゃって八極拳対策のためであったが。
その或子に対して振るえるということが、無性に楽しかった。
小兵の或子が直線的な歩法の八極拳を用いるのに対して、大柄なレイが曲線的な歩法の劈掛掌というのも対比が面白かった。
やはり戦いは楽しい。
或子とやりあうのは笑える。
こんなに嬉しいことはない。
「でやああ!」
マットに横たわった或子をさらに掌で追撃するが、下方から競りあがったオーバーヘッドキックによってカウンターされた。
「くそっ!」
「まだまだ!」
ブレイクダンスの要領で足を回して跳ね起きた或子が得意のナックルパートの連打から、最後に
お返しとばかりに再びレイのビンタが大気を切り裂いた。
吹き飛ばされる或子。
硬直時間を狙われたのだ。
警戒していたのにまともに食らってしまうとは。
そして、一瞬の油断をつかれた。
手首を握りしめられ、気がついた時にはロープへと振られていた。
振られた身体はロープの弾力によって跳ね返り、もう一度マットの中心部へと戻ってくる。
次の瞬間、レイの左腕が伸ばされた。
(ラリアット!)
わかっていた。
わかってはいたのだ。
これこそが最も恐るべき明王殿レイの
だが、わかっていても食らってしまうのが、必殺技というものである。
或子の喉元にカウボーイの投げ縄が絡みつく。
首の骨が折れるかというほどの衝撃を喉という急所の一点に受けて、或子は悶絶した。
「ぐぼおあ!」
女子のものとは思えぬ苦悶が響き渡る。
ラリアット。
西部からやってきた重戦車が得意としていた、シンプルが故に強く、様々なバリエーションを持つ殺人技だった。
或子ほどの巫女をも倒せる可能性を秘めているぐらいに。
しかも、レイのものは打撃+マットに向けて叩き付けるという荒業である。
かろうじて頭を庇ったものの、或子は全身におびただしいダメージを浴びてしまった。
「―――まだ、始まったばかりだぜ、或子。おまえの根性を見せてみやがれ!」
「……やらいでか!」
まだまだ或子は負けていないと叫ぶ。
だが、〈神腕〉の巫女レスラーはほぼ無傷のまま。
このまま行けば、御子内或子に勝ち目は薄い。
果たして、彼女はどこまでこの強敵に抗うことができるのであろうか……
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