第34話「切り札」
僕がリングのところにまで駆け戻った時、御子内さんはその上で突っ伏していた。
リングの端で力なく倒れ、ロープに手をかけるのがやっとという有様だった。
中央には仁王立ちのレイさんがいる。
もしかして、もしかして……
あの御子内さんが負けたのか。
走り寄って、彼女の脇にまで行く。
10カウントは……聞こえてこない。
普段ならどこからともなく地獄の底の極卒がたてるように陰気な声がしない。
妖怪退治ではなく巫女同士の戦いであったからか、〈結界台〉としての機能が働いていないのかもしれない。
御子内さんとレイさんの二人の巫女の戦いは、どちらかがギブアップの叫びをあげるか、気絶でもしない限り絶対に終わらせないとでもいうかのごとく。
「御子内さん!」
僕の声が届いたのか、御子内さんのマットに伏せた顔が上がる。
朦朧としているみたいだった。
戦闘意欲はまだまだ旺盛のようだが、いかんせん受けたダメージが大きすぎるのだろう。
眼の焦点がすぐには定まらない様子だった。
だが、僕が傍にいることはわかったのか、
「遅いじゃないか、京一。疾風などという大層なあだ名に恥ずかしいだろう……」
と、よくわからないことを呟いた。
駄目だ、意識が混濁しているらしい。
すると、それを聞きつけたレイさんが大袈裟に驚いた。
「―――疾風なんて、燃えるあだ名を持っているんだな、おまえ!」
「そんなあだ名はついてないから! ……御子内さん、しっかりしてくれ!」
手を伸ばして御子内さんの肩をゆする。
それでようやく正気に戻ったのか、ロープを掴んだ手を頼りにゆるゆると上半身を起こした。
見た目以上に相当のダメージを負っているようだ。
「……ああ、京一か。ようやくセコンドについたということかな? まったく、そんなことではボクの助手失格だよ」
「ごめん。君が大事な時に傍にいなかった……」
「うーん、まあいいさ。……で、どうだったんだ? キミが知りたがっていた〈うわん〉の謎は解明できたのかい?」
「ああ」
僕は御子内さんを励ますように答えた。
「あの〈うわん〉の正体がわかったよ。やっぱりあれを退治していたら、きっと不幸なことになっていたところだった」
「―――ふふふ、やっぱり京一の言うことはよく聞いておくべきということだね」
「そうだね」
僕はあの廃屋と化した屋敷の中で、大変なものを見つけてしまった。
それが〈うわん〉という妖怪を産みだしたものであり、〈うわん〉が僕らに訴えかけていたものだった。
あいつがあのまま妖怪として退治されていたら、そのメッセージはきっと届かなかったに違いない。
「ボクの戦いは無駄ではなかったということかな?」
「うん」
「……で、キミはまだボクに言いたいことがあるみたいだね」
「―――ああ」
「いいよ、言ってごらん。遠慮するなんて、キミとボクの間らしくない」
まだフラフラしているというのに、御子内さんは懸命に僕の話を聞き、僕にするべきことを問うてくる。
彼女はまだ戦う気なのだ。
こんなになってさえも。
「〈うわん〉を助けたい。だから、あのレイさんに勝ってくれ」
「無茶を言うね」
「君が負けてレイさんが残った場合、僕の話を聞いてくれるという保証はない。あの人は説明なんて聞かずに〈うわん〉を退治してしまうかもしれない。それだけは避けたいんだ」
「レイは……そんなわからず屋ではないよ。……でも、そうだな。万が一ということもある。ボクがあいつに勝利してしまった方が手っ取り早いか」
「ああ、そうだね。だから、立って戦って勝ってきて、御子内さん!」
「ふふふ」
気持ちが届いたのか、御子内さんの眼に生気が戻る。
そして、彼女はロープを背負いながら立ち上がった。
彼女を睨みつけるライバルと雌雄を決するために。
「やはり立つかよ、或子」
「……ボクはラスト五秒の逆転ファイターだからね。最後の最後まで気を抜かないことだ」
「かかか、それでこそ、おまえだ。どんなにでかい奴と戦っても、どんなに強い奴を倒しても得られなかった渇きをおまえなら満たしてくれる」
「ふふふ、逆だよ」
「なんだと」
御子内さんが叩き付けるように言う。
「勝つことだけを第一に考えるからそんな風になるんだ。ボクたちが目指すのはきっとそういうものじゃない」
「……ほざくなよ、或子。負け惜しみか」
「負け惜しみ? まだ、負けてもいないのにそんなことを言うはずがないじゃないか。だいたい、ボクはまだ本気になんてなっちゃあいないよ」
それは嘘だ。
本気でかからなければあのレイさんの前に立てるはずがない。
だが、この期に及んでもまだそんな強がりを言える御子内さんの胆力が凄まじいだけだ。
「或子ォォ……!」
挑発を真に受けたのか、レイさんの美貌に怒気が増す。
彼女こそ、本気になったのだ。
そのことが御子内さんにとってプラスとなるかマイナスとなるかはわからない。
僕はただ彼女の戦いを見届けることしかできないのだから。
「行こうか、レイ!」
御子内さんが構えると、レイさんが腕を伸ばしたまま襲い掛かってきた。
突進型のウェスタン・ラリアット。
まさかとは思ったが、レイさんはラリアット使いだったのか。
なるほど彼女の〈神腕〉を活かすということならば、あの西部発祥の投げ縄は文句のないチョイスだ。
あれならば御子内さんが撃墜寸前にされたとしてもおかしくない。
ただ、ロープに振ってからのカウンターならばともかく突進しながらでは、威力に欠けるし、速さも足りない。
御子内さんはダッキングで躱した。
だが、それだけ。
反撃することもなく、中央にまで移動する。
おそらくはまだダメージが完全に抜け切れていないのだ。
体力回復の狙いもあるのだろう。
もっとも、そんなことがわからないレイさんでもないようだった。
畳み掛けるように鋭く強烈なビンタと掌底突きの連打を放ってくる。
前後左右に器用に動いて、必殺ともいえる一撃を丁寧に避けていく御子内さん。
思わず、
「うまい……」
と、口に出してしまった。
今までは突貫第一の脳筋の持ち主という印象が強かったが、こういう受け身にたってのアウトスタイルも熟せるのだと初めて知った。
なるほど、レイさんがあそこまで強烈に意識するわけだ。
彼女の〈神腕〉にどれだけの力が秘められているかはわからないが、あれだけ徹底的に回避されることはそうはないだろう。
正面からの真っ向勝負の打ち合いだけでなく、こういう技術を活かした戦いもできる相手はざらにはいないであろうから。
こうやって時間を稼いでいるうちに、徐々に御子内さんの動きにキレが回復していく。
いつもの巫女レスラーの動きに。
おそらくは全力のラリアットを受けたであろうダメージは完全には抜けないとしても、反撃にでるためには十分なまでに。
「さて、そろそろやり返すとするか」
「余裕のつもりかよ、或子!」
「まさか。ボクに余裕なんかないよ。ボクはチャンピオンではあるけれど、常にチャレンジャーだ」
レイさんの回転しながらの裏拳が唸りを上げても、御子内さんの顔面を捉えるにはいたらない。
それどころか、懐に飛び込んだ彼女の腰を据えた短めのショートパンチが腹筋を貫いた。
ほとんど距離のない場所から先の先をとる中段突き。
「半歩崩拳、あまねく天を打つ」といわれた
いつものなんちゃって八極拳以外にも形意拳なんかも使えるのか、彼女は。
もっとも、本物とは違う我流だとは思うけど。
そして、たたらを踏むレイさん目掛けて放たれる得意のローリング・ソバット。
腕を交差してブロックすることでギリギリのところでクリーンヒットにはならなかった。
しかし、復活していた。
流れるような美しい技のコンボが出た。
あれこそ、巫女レスラー御子内或子の真骨頂だった。
「どっしゃああああ!」
天を衝く気合いとともに御子内さんが前に出る。
上段、下段に分けて繰り出されるナックルパート。
レイさんは両腕を回転させてそれを弾く。
どっしりと腰を落としたその捌き方は、空手などのそれではなく中国拳法のようだった。
彼女もまたただのパワーファイターではない。
修練を重ねた闘士なのだ。
〈神腕〉という武器にだけ頼り切ってはいない。
複雑な手による連打を、数発を除いて受けきった。
「やるね!」
「おまえだけが強い訳じゃねえ!」
「そんなのあたりまえだよ!」
自分も強いが、相手も強い。
そうでなければいい戦いにはならない。
格下だけと戦って防衛戦を繰り広げるようなチキンとは違う。
二人とも戦いに誇りを感じることを至上の喜びと考える生粋のファイターなのだろう。
御子内さんがロープに向かって走り、反動を利用してボディプレスを放った。
奇襲のつもりだったろう。
だが、彼女の身体ごとレイさんは両腕で受け止め、それからなんとくるりと梃子の要領で回転させて、背中を膝の上に叩き付ける。
ラリアット以外のレスリング技は使っていなかったレイさんが、力任せながらもそんな大技を出してきたことが驚きだった。
さすがは御子内さんの同期ということか。
背中をしたたかに打ち付けられた御子内さんだったが、なんとか回転してマットの端まで脱出する。
寝技による追撃はない。
やはりレイさんは立ち技オンリーなのだろう。
今の風車式背骨折りも完璧に入ったというわけではないようだ。
とはいえ不用意に飛んだ御子内さんにも油断があったと言わざるを得ない。
「御子内さん、しっかり!」
「おうさ!」
僕の声援にサムズアップと笑顔で応えてくれる彼女を、対戦相手が奇妙な目で見つめていた。
「……おまえ、昔からしつこさが売りだったのは変わっていないにしても、そんなに笑っていたか?」
「いきなり何を言っているんだい?」
「オレの知っている或子はもっと考えなしでスタミナ切れなんて考えもしない奴だったはずだぞ。どうして、そんな体力回復・温存をできるようになった?」
よく考えれば当たり前のことだが、昔の御子内さんはそういうことができなかったらしい。
僕の知っている彼女は今のままなので不思議に感じたことはないけど。
「レイ、自分だけが試合を愉しんでいるのではいけないということがあるんだよ」
「なんだと?」
「どうしても戦わなければならないことがあり、どうやっても負けられないことがある。そのためには頭も使わなければならない。至極簡単なことさ」
「……オレには絶対に負けられないということかよ」
「京一に頼まれたからね。キミに勝てって」
「男のためかよ。見損なったぞ」
「ううん、違う」
「じゃあ、なんだよ」
「力では解決できないことのためさ」
そう力強く宣言すると、御子内さんは一本指で天を指さした。
「この御子内或子は、お天道様に恥じない戦いをしていると信じている。だから、今のレイに負けることはない」
「ぬかせ、或子!」
またも二人の巫女レスラーは激突する。
レイさんは相変わらずのビンタと突っ張りで牽制しつつ、腕を採るなりラリアットを狙う作戦のまま。
しかし、これだけ長引いてくると御子内さんの千変変化する攻撃方法に比べると、単調になってくる。
力押しだけが取り柄ではないと言え、あまりに同じパターンが続けば対策を取られてしまうというものだ。
しかも彼女たちのレベルとなると一度でも見せてしまえば、すぐにでも修正してくる。
基本的に二度見せたら危険なのだ。
同期であるということもあり、手の内を知り尽くされているという弱点もある。
この点、やはり技の多彩な御子内さんが有利だ。
次第にレイさんは隙を突かれて防戦一方になっていく。
ほとんど御子内さんが押している形勢だった。
だが、客観的に見ているからわかることもある。
レイさんは一発逆転を狙っている。
常に二本の〈神腕〉によるラリアットをぶちこもうと虎視眈々と隙を窺っているのだ。
御子内さんがそのことに気づいていてくれればいいんだけど……
と心配していたら、御子内さんが放ったなんちゃって
レイさんのぬるりとした円の動きだった。
間違いなく来る!
風車のごとく回転する両腕が下から必滅の投げ縄を―――違う―――あれは……
「アックスボンバー!」
斧爆弾がグラウンドゼロを引き起こさんと大気を焼き尽くす。
あんな至近距離で肘の内側と二の腕を顔面にぶつけるのは、生半可なパワーでは足りないはずだ。
しかし、レイさんは〈神腕〉を持つ巫女だ。
彼女ならば可能か。
「御子内さん、躱せぇぇぇぇ!」
僕が必死に叫んだ時、今まで直線にしか動かなかった御子内さんがひらりと回転して舞った。
「!!」
レイさんの後ろに飛びながら回り込んだ。
まるで地表スレスレを飛び去るツバメのごとく。
そして、彼女の右の蹴りがレイさんの首筋―――延髄に命中した。
「延髄切り!」
僕はあんなに滞空時間が長い延髄切りを初めて見た。
宙を舞うようだった。
レイさんが最後のアックスボンバーを隠していたように、御子内さんも切り札としての延髄切りをここにいたるまで秘めていたのだ。
裡門頂肘はただの見せ技。
本命は最初からこっちだったのである。
必殺技が炸裂したとき、相手は確実に倒れる。
斃しきれなければそれは必殺技ではない。
御子内或子の延髄切りは間違いなく、
明王殿レイはそのまま膝から崩れ落ちていく。
彼女の意識の沈黙とともに、同期の巫女レスラー同士の戦いは決着した。
やはり僕の御子内さんは巫女レスラーのチャンピオンなのだった。
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